月の民
翁夫婦はかぐやの残した手紙を読み、血の涙を流して、一日中寝込んでしまった。帝は部屋から出て来ずに、食事も取らない。
数日経ってようやく部屋から出てきたかと思うと、帝は従者に最も天に近い山を訪ねた。
ある人が駿河の国にある山が都にも近く、天にも近いと答えたので、我が身には何の役にも立たないと言い、不死の薬と手紙をその山頂で燃やさせた。
その山は『富士の山』と名付けられ、いまだに煙が立ち上っている。それから帝は人が変わったように仕事をし続けた。
それから何年の時が経っただろうか。帝は都での仕事をやり遂げ、後継ぎも立派に育ち、二十四という若さで亡くなった。
——そう記録には残っている。
帝が一番信用を置いていた側近が寂しそうに語りかける。本当に行ってしまわれるのかと。すると一つの声が返される。
帝は一人、腰に名刀を下げて静かに都を去ろうとしていた。
やるべきことは終わらせ、後継ぎも居る。後の命を自分の為に使って何が悪い、と帝は言い、私が居なくなった都を頼む、と付け足して闇に消えていった。
帝はかぐやの残した手紙を思い返し、五つの難題の品を手に入れようとした。
まずは天竺に行き、三年の時を過ごし、釈迦の住む天界の扉を開いた。そして、激闘の末、『仏の御石の鉢』を手に扉から出てきた。
次に五年の時を費やし、蓬莱山を見つけ出して、そこに住まう仙人達を降し、『蓬莱の珠の枝』を手折り下山した。
そして唐を訪れ、燃えない木に住み着く大きな鼠の噂を聞き、鼠の吹く金色の炎ごと斬り捨て、『火鼠の皮衣』を剥いで、帰国した。
雷の鳴る雨の中、何日も刀を構え続け、自分に向かって落ちる雷撃を身体を捻ることで躱し、返す手で稲妻を切り裂き、『竜の頸の珠』を奪い取った。
最後に燕が飛び回る芒種、刀を抜いたと思うと瞬く間に全て切り落とし、『燕の子安貝』を手に入れた。
——五つの品を手に入れ、富士の山に登り、いまだに燃え、煙を上げ続ける不死の薬を手で掬い、『仏の御石の鉢』に入れる。
鉢の発する光が強まり、激しく火花を上げるのを確かめた帝は、瞳を閉じ手を叩いた。
周りの景色が溶け、次の瞬間には月に居た。
帝が来るや否や歓迎する様に月の地中から鬼が這い上がってきた。その数は段々と増え、その数は百を超え八体。
帝が小さく笑い、刀を構えると空気の流れがが凛と静まり、空気が揺らぐとともに鬼の首が三つ落ちた。
鬼は帝に次々と向かって行く。鬼が金棒を振り下ろす前に斬撃を与え、『蓬莱の珠の枝』を振るうと鬼は塵となって消えて行く。
炎を片手にまとった鬼が手を突き出すと、焔が連なって勢いよく飛んでいくが、帝は『火鼠の皮衣』を広げ、撥ね返す。
帝は懐から『竜の頸の珠』を取り出し、宙に放り投げると、徐々に雷が走り、近くにいた鬼達に稲妻が舞う。
枝の葉が全て落ち、皮は破れ、珠が割れた時には、立っていたのは帝ただ一人だった。
帝が息をつくと、いつの間にか現れたのだろうか、月の都が目の前に広がっていた。
帝は驚いたが、すぐに落ち着きを取り戻し、月の都の中へと駆けて行った。
どのくらい移動しただろうか、他とは雰囲気の異なる大きな部屋にたどり着いた。
数えきれない程の月の民が集まり、部屋の中心の宙に浮いた畳の方に手を向けていた。
その畳の上には、虚ろな眼をして穢れを溜め込み続けるかぐやが座っていた。
帝は腹の底から湧き出る感情を押し殺し、浮かぶ畳を目指し大きく跳んだ。
月の民がそれを唯見ている訳もなく、手の平から龍が幾つも生まれ、帝に噛みつこうとした刹那、帝は『燕の子安貝』を砕いた。
すると、帝の身体が淡い球状の光に包まれ、その全てを弾き飛ばした。
帝はこの隙にかぐやを抱き締め、帰って来い、と呟いた。
かぐやは瞳に黒曜石の様な漆黒を宿し、大粒の涙を溢し、帝を強く抱きしめ返した。
周りにはかぐやを取り戻そうとしている月の民が目を赫くする。その数は一千、一万と増えて行く。
二人は顔を見合わせ、同時に横に手を伸ばした。
二つの手の平が強く合わさり、乾いた音が大きく響いたと思うと、無数の竹が月光の様な輝きを帯びながら月の民の攻撃を、月の民を、月の都を貫いて行く。
かぐやに蓄えられた穢れはその竹に封じ込まれ、月の一角に銀色にも金色にも見える竹林が広がった。
月の民は光に溶け、消えていく。
月の民の瞳は畏れ、不安、怒り、
—憎悪 焦燥 憂慮 落胆 屈辱 激昂 困惑 断腸 憤慨 遺憾 怨嗟 嫉妬 慟哭 悲哀—
今まで忌避し、抑え込み、眼を背けた感情、穢れに呑まれ、消えていった。
月の民は穢れることを拒み、忌み嫌い、しきたりを通じて穢れを追いやっていた。
しかし、穢れた地球は美しく、穢れのない月は物寂しい。
ようやく、この話を締め括ることができる。自己紹介が遅れました。
ここまで綴ったのは月の民、穢れを受け入れた方の月の民。貴方の知っている兎の始祖にあたる者。
初めて穢れた言葉を扱ったが、読み物になっていただろうか。
今回のお話をなぜ知っているのか、如何して穢れることを受け入れたのか、というお話はまた今度にしよう。
これは私の話ではなく、かぐやの、月の民と争い、穢れ、幸せを掴んだ少女のお話なのだから。
そして、物語には締めくくりがいるだろう。
——閑話休題
二人は銀色に輝く竹に囲まれ、永遠の時を共に過ごしたのでした。
めでたし、めでたし。
月の都のかぐや姫 和音 @waon_IA
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