昇天
——月がちょうど真上まで来た時、異変は起こった。
月の光が弱まり、辺りが真っ暗になったかと思うと、昼間の様に明るくなり、空から、月からそれはやってきた。
雲を渡り空を駆ける大きな兎に乗って、月の民は地面から五尺ほどの所へ立ち並んだ。
気の弱い人は、その様子を見て気圧され、逃げ惑い、平伏した。
気の強い人はなんとか矢を放つが、月の民が指を向けると矢は止まり、あらぬ方向へ逸れていった。
一番前にいる月の民が手を静かに合わせると、家の戸が全て開け放たれ、かぐやのいる部屋へゆっくりと向かった。
かぐやは最も奥にあり、最も広い部屋で翁夫婦と抱き合っていた。翁は命に換えてもかぐやを守る気でいた。
しかし、月の民が部屋に入って来るや否や、体が動かなくなってしまった。恐怖や困惑のためではない。金縛りにあったかの様に動けないのだ。
かぐやは全て諦めた様な顔をして、月の民の方へ足を進めた。
月の民の一人がかぐやの額に指を当てようとした刹那、かぐやは後ろに引き寄せられ、抱き寄せられるのを感じた。
——私のかぐやに手を出すな——
そして帝の声が耳元で鳴り響いた。
その時、かぐやは穢れた。穢れてしまった。
一人竹の中に生まれ、記憶は殆どなく、不安を感じ、翁が見つけ、育ててくれた事に安心し、感謝の念が芽生えた。
人に助けられ、人を助けたいと思い、感謝を伝えられ、嬉しく思った。もっと役に立ちたいと思った。
人からの愛を初めて受け、それを愛しく思い、叶わないことに悲しみを寄せた。それでも心の底から愛したいと思う人がいた。
これは、この感情は月の都では、穢れなきものではあり得ないことだった。
かぐやは、今まで抑えてきた穢れを、感情を、全て解放した。
かぐやが穢れたと分かったが否や、月の民は一斉に目の色を赫く染めた。
月の民が一糸違わぬ動きで手の平を叩くと、火の玉が放たれ、雷の矢を穿ち、水の刃を飛ばした。
それを帝が刀で弾き飛ばすと、かぐやは手から乾いた音を鳴らし、炎の龍を放ち、雷光が穿ち、滝の様な水を飛ばした。
月の民は吹き飛ばされ、光に溶けていった。しかし、相手は百を超える。
残った月の民は手を合わせて攻撃を繰り出し、また後ろからも続々と月の民がやってきていた。
かぐやが手を叩き相殺し、帝が刀で叩き斬るが、どんどんと押されていく。相手は千をも超える。
二人とも必死で月の民に抵抗した。
だからこそ、後ろから忍び寄る月の民に気付くのが遅れた。
先に帝が気付き、かぐやの名を呼び、駆け寄るが間に合わない。かぐやが振り向き、手を叩く暇もなく、月の民の指はかぐやの額に吸い込まれていった。
青白い雷が小さく光り、かぐやの体が動かなくなる。帝は月の民に捕えられ、身動き一つ取れなくなってしまった。
月の民がかぐやに『不死の薬』を少し舐めさせ、穢れを飛ばし、『天の羽衣』を掛けようとした時、かぐやは最後に手紙を書いてもいいかと尋ねた。
月の民は何処からか現れた筆と紙を渡し、額から指を外した。
かぐやは物静かに手紙を書き、不死の薬を添え、帝の所へ行き、口を合わせた。
そうして月の民が『天の羽衣』をかぐやにそっと掛けると、かぐやの眼から生気が失われ、帝のことを目にも止めなくなってしまった。
月の民と共に大兎に乗り、空高く飛んでいき、月に帰ってしまった。
———その様子を帝はただ見つめることしかできなかった。
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