第24話 君のせい
ルフェリアと、その
幼い頃から仲が良く、性格もよく似ていて、彼女たちを見分けることは、長年2人を見てきた村人ですら困難だったという。
そんな2人に転機が訪れたのは、とある雨の日。
先代大聖女の崩御の日であった。
大聖女は、自らの死期を悟ると、大聖女に代々伝わる『遺産』を用いて、国中の人間の魔力を調べ上げる。
魔力量、魔法への適正、そして大聖女となるに相応しい性格。それら全てを兼ね備えた次代の大聖女を選ぶことが、大聖女となった人間の最後の仕事だ。
そして、先代の大聖女は新たな大聖女を指名した。
曰く、北方の小さな村に住む、白い髪に、深い緑色の瞳をした、少女。
そして、ルフェリアは迎えに来た聖マートリア教会の聖女に連れられ、村を去った。
大聖女、ルフェリアの誕生であった。
1人残されたオフェーリアは、最愛の姉の後を追って、教会へと入った。血が繋がっているからか、オフェーリアも大きな魔力を持っていた。オフェーリアは、姉であり大聖女であるルフェリアの後押しもあり、両手を挙げて聖マートリア教会へと受け入れられた。
そして、数年が経った。
ルフェリアは最初こそ、その大聖女としての魔力を見せつけていたが、次第にその威光に翳りが見え始めていた。
一方で、オフェーリアの魔力は天井知らず。何をするでもないのに、猛烈な勢いで膨れ上がっていく自らの魔力に恐怖を覚えたオフェーリアは、夜間、人知れずルフェリアを訪ねた。
それが悲劇の始まりだった。
ルフェリアも悟っていたのだ。自分が真の大聖女ではないことを。本当に大聖女となるべくは、オフェーリアであるということを。
オフェーリアに、大聖女になろうなどという意図はなかった。ただ、ルフェリアの困窮を悟り、真に大聖女である自分なら、ルフェリアの力になれるだろうと、両手を差し伸べただけだった。
だが、ルフェリアは大聖女として過ごした数年のうちに、大きく変わっていた。
村にいた頃には決して味わうことのなかった、美しい装飾品、広い部屋、柔らかい寝台に、舌がとろけるような食事。
誰も彼もがルフェリアを大聖女として崇め、讃え、跪く時に湧き上がる感情。
そういうものを知ったルフェリアは、もうかつてのルフェリアではなかった。
一方でオフェーリアは、どうしようもなく純粋な人間だった。ただ懇々と、オフェーリアに説いた。力になりたい、と。選ばれた大聖女ではなくても、姉さんは大聖女だ、と。
そんな清らかで美しいオフェーリアの姿は、ルフェリアにとって毒だった。
それなら、とルフェリアは呟いた。
私の力になるというのなら、その力を私に頂戴。
その言葉と共に、オフェーリアは魔力を失った。
「――前にちらりと言っただろう、秘匿された『遺産』だよ。人体副属、魔力系統の禁術が込められたもので、『遺産』を使われた相手の魔力を、それを溜めている器ごと奪い取って、対になっている魔術具へと移す。奪い取られた器は、人の身体の中にある時のように自然と魔力が回復することはないけれど、魔力の多い人間の器さえ奪えればかなりの量になる」
「……」
「そして、母はルフェリアの元から逃げ出した。もちろんルフェリアは母を追ったけれど、その時教会で下働きをやっていた父が母を助け、2人はどうにか逃げ出した。以来、母はルフェリアから隠れ続けながら私を育てていた。だが」
忘れられない光景がある。
ひとつだけ明かりの揺れる室内。ルシルはオフェーリアの魔道具によって縛られ、床に転がされていた。もう一つ首にかけられた魔道具はぼんやりと光ってルシルの身体を包み込み、その姿を部屋に立つ1人の人間の視界から覆い隠していた。
口元に静かな笑みを浮かべた、美しい女性。床に崩れ落ちるオフェーリアに向かって伸ばされた指先で、血のように赤い指輪が光ったことを覚えている。
「ある日、ルフェリアに見つかった。どう足掻いても逃げられない状況だと分かった瞬間、母は私を縛って騒げないようにして、隠れているようにと厳命して、透明化の効果のある魔道具を私に押し付けて……1人で、ルフェリアを出迎えた。母は魔法が使えない。善戦したと、今の私でも思う。鬼気迫る戦いだった。だが、そのまま、母は――」
「言わなくて、良いです」
フィリップは、堪えきれずその言葉を遮った。震えを隠しきれなくなった声に、それ以上の言葉を紡がせたくはなかった。
静かな嗚咽の声を聞きながら、フィリップは強く目を閉じる。瞼の裏に熱いものが滲んできて、フィリップは歯を食いしばった。
「私は生き延びた。そして、聖マートリア教会に入った。……復讐の、ためだ」
しばらくして、先ほどよりかは幾分落ち着いた声で、ルシルが話し出す。
「危険だと思ったかな? 確かに危険かもしれない、けれどそんなことは私にはどうでも良かった。あの女に、復讐さえできれば良かった。教会の中はあの女の庭のようなものだが、同時にあの女には常に監視がついている。付き従っている聖女は多く、誰もがあの女の顔を知り、その動向は常に監視されている。あの女は私の存在を知らない。母は巧妙に隠し通していたから。そして、教会を離れてからは……君がいた」
ルシルは静かにフィリップを見上げた。
何も言わずに星空を見上げるその横顔に、ひきつれるような罪悪感を覚えた。
「君の力は、あの女に並び立つまでになった。君は、私にとって、最高の盾であり、武器だった。君が私の近くにいる限り、あの女は私に手を出すことはできないし、君はあの女と互角に戦える唯一の人間だ。私はそれを、最初に君に会った時から悟っていた」
「……」
「……君を助けた時に、そういう一切の打算がなかったとは、私には、言えない」
ルシルは、再び溢れてきた涙を拭った。
母の話は、全て過去のことだ。胸は痛むが、引き攣れるような恨みと悲しみはあるが、恐れることはない。だが、フィリップは違う。
ルシルは怖かった。
この上なくルシルを慕うフィリップが、何を思うか。助けられたと恩を感じ、優しい人間だと尊敬し、恋をしているという人間の、その醜い本性を見たときに、果たして、何を思うか。
そんな人間に、フィリップを愛しているなどと、口にする資格はない。
ルシルは、いつの間にか自らの心に根を張っていた恋心を、静かに受け入れた。
「ルシル」
突然身体を温かいもので包み込まれ、ルシルは身体を震わせる。
そっとルシルを抱きしめたフィリップは、微かな吐息と共に、口にした。
「良かった」
フィリップは少し身体を離すと、ルシルの涙を指先で拭う。
「俺が一方的にあなたに助けられたんじゃなくて、俺にもあなたのために何かできていたというのなら、こんなに嬉しいことはないでしょう」
「……」
「俺の中の罪悪感は消えました。ルシルの望み通り。良かったですね」
「……それでも、全部、打算で」
「最初はそうだったかもしれませんが、それならなぜあの時あなたは俺を手放そうとしたんですか? 俺があなたに惚れ込んでいるのは明らかで、あなたに言われれば俺は大聖女だって殺しに行ったと思います。それが分かっているのに、俺に別の道を選べと言ったのは、自分の安全より俺の人生を優先したからじゃないんですか?」
ルシルは、揺れて滲む視界の中でフィリップを見つめた。空へと無造作に広げられた星の間で、いっとう綺麗に笑うフィリップの顔を見た。
「結局俺の気持ちを優先だなんて言って、俺を散々振り回して、期待させて落として……それも全部、俺の感情を思ってでしょう。恋愛方面においてのあなたの立ち回りの酷さは、置いておいて」
「……」
「ルシルは、これ以上なく、俺のことを思ってくれています。打算なわけ、ないでしょう」
堪えきれず、声を上げて泣き出したルシルを抱く腕に、フィリップは力を込めた。その艶やかな髪に手を這わせ、数度撫でる。
「ずっと、あなたの苦しみに気付けなくて、勝手なことを言ってすみません」
「いや、それは、わ、たしが」
切れ切れのルシルの声に、フィリップは苦笑すると、ルシルの涙が服に染み込むに任せる。
「あなたでも、そんな泣き方するんですね」
「君、のせいだ」
「……はは」
軽く空を仰いで乾いた笑いを漏らしたフィリップは、どうしようもない想いに目を細めてルシルを見下ろす。
「本当に、意味がわからないくらい、俺はあなたが好きですよ」
「フィ、リップ」
つかえながら呼ばれた名前に、フィリップはぴたりと身体を膠着させる。
フィリップの胸元を握りしめ、ルシルはどうにか言葉を絞り出す。
「私、私も、君のことが――」
「ルシル」
必死の一言を遮られ、ルシルはしゃくりあげるのも忘れてフィリップを見上げた。
ぐちゃぐちゃになった視界の中で、フィリップが微笑んだ気配だけが伝わってくる。
「それは、全て終わったら聞かせてください」
「で、も」
「俺が、あなたに全てを返し終わったら。あなたの復讐の手伝いをして、この件に片をつけて、本当の意味で俺があなたと対等になれたら、教えてほしいです」
庇護するものと、されるもの。
守るものと、守られるもの。
その判断をするには、あまりにも物事が絡みすぎていて、貸しも借りも、何もかもが分からなくなってしまった。
全てを終わらせて、2人の関係をもう一度並べて、そこからもう一度始めたいと、フィリップは思った。
無造作に宝石箱をひっくり返したような、大小様々な星たちが煌めく空の下。
泣き声は、やがて啜り泣くような微かな声に変わり、緩やかな寝息へと落ち着いた。
「……そういえば、昨日もこんなことしましたね」
一つの影が、ゆっくりと村へと向かう。
全てが終わるまで、後少し。
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