第20話 無防備で隙だらけ

「……飲み過ぎですよ」


 ため息とともに溢されたフィリップの声に答えることなく、ルシルはフィリップの腕の中でぼんやりと視線を彷徨わせている。ねむい、というのを全身で表現するルシルに、フィリップはもう一度溜め息をついた。

 何もかもをフィリップに預けきったルシルの姿は、無防備という一言では足りないくらいで。


「こんなに無防備で隙だらけで」


 答えがないことを知りながら、フィリップは与えられた家へと歩きつつルシルに話しかける。


「男として意識されてるんだかされてないんだか、分からなくなりそうです」

 

 何を言われても反応しなかったルシルが腕の中でもぞりと動き、フィリップは慌ててルシルを見下ろして足を止める。居心地が悪かったのか、しばらくごそごそと動いた後、やがて少しだけ内側を向いて動きを止めた。

 その指先は、しっかりとフィリップの胸元の服を掴んでいる。


 フィリップは数度口元を戦慄かせると、けれど何も言わずに歩きはじめた。

 襲うなよー、と冗談半分でかけられた声を思い返す。襲うわけない、ないけれど。


 すうすうと寝息を漏らしながら、ぐったりと身体の力を抜いているルシルは、きっと多少のことなら起きないはずだと、分かってしまう。


「ほんと、あなたは卑怯ですよ」


 あえて口に出すことで気を紛らわせながら歩き、フィリップは与えられた家へと辿り着く。一瞬迷って、小さく村の人に謝罪をすると、足で扉を蹴り開けた。

 そのままルシルを運び、2部屋あるうちの一室に入ると、寝台に恭しくルシルを下ろそうとする。

 そこで、フィリップは気がついた。


 ルシルの手は、未だフィリップの服を握りしめたままで。

 気持ちよさそうに熟睡するルシルの顔を見つめると、フィリップは大きな溜め息をついた。口から何もかもが逃げていきそうだと、フィリップは強く目を閉じる。


「……すみません」


 眠るルシルに声をかけると、ルシルの下半身を寝台に乗せ、上半身を片手で支えながら、フィリップは開いた方の手でその細い指先へと触れた。

 こっそりとその寝顔を窺うも、今のところ変化はない。一本ずつ指を外していくと、不意にルシルが身じろぎして、フィリップの全身が強張る。


 んー、と喉の奥から甘えたような声を立てて、ルシルは両手を広げた。そのうちの片手が、勢いよくフィリップにぶつかる。

 ルシルの動きが止まった。フィリップも、呼吸すらできずに固まっていた。

 一瞬の沈黙があって、ルシルが動いた。


 上半身を捻り、フィリップの方へ向き、両手を伸ばして。

 気がついた時には、フィリップは、ぴったりとルシルに抱きつかれていた。


「ちょっ……と待って」


 一瞬で沸騰しかけた頭を押さえつけ、理性を引きとどめて、唸るようにフィリップは呟く。


「え、俺、これ……襲ったら俺が悪いの?」


 何の言葉も届いていないルシルに、脳をよぎった邪な考えを振り払うようにフィリップは頭を振る。

 起こしたくないなどと言ってはいられない、もう起こそうとフィリップは決意する。


 その瞬間、ルシルの手から力が抜けた。重力に従って、ルシルの身体は寝台の上へと崩れ落ちる。

 しばし呆然としてその姿を見つめていたフィリップは、ふらふらとその場に座り込んだ。


「……酷い」


 片膝を立てて、その上に肘をついて頭を伏せる。

 手で触れた額は熱を持っていて、ぐわんぐわんと頭が揺れるのは、決して少しだけ口にした酒のせいではない。

 しばらくそうしていたフィリップだったが、やがてゆっくりと立ち上がると、眠るルシルの体勢を整え軽く布団をかける。

 部屋に微かに漂う香りから逃れるように、足早にフィリップは部屋を出た。

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