第19話 牽制と独占欲
粗末な家でこそあるが、その料理は立派な物だった。
青々とした葉に包まれ、香辛料を絡めて蒸し焼きにされた肉の横で、塩をふりかけて焼かれた肉のぱりっとした皮が、しきりに爆ぜて音を立てている。
上がる湯気で少し揺らいで見える汁物は、油が椀の淵に僅かに膜をはり、細かく刻まれた青菜が彩りを添えている。
見慣れたものよりもやや黄みがかったパンが、数枚折り重なって皿の上に積まれていた。
慌てて用意されたのであろうが、それが最高級の料理であることは見てとれた。
丁寧にお礼を言い、ルシルは綻ぶ頬を抑え切れないままに手をつける。手元にあった、ちょうど一口ほどの大きさに切られた肉を口に運べば、絶妙な辛さの中で、じゅわりと濃厚な汁が口いっぱいに広がった。
隣でフィリップも落ち着いた様子で食事をしているが、その手の速さは誤魔化し切れていない。
それも仕方のない話だ。ここまでの旅路は山道ばかりで、食事といえば携帯食、乾ききったパンと固い干し肉くらいのものだったのだから。
食事を楽しむ2人の手が、少しずつ緩やかになって来たあたりで、先ほどフィリップの治療した男性が口を開いた。
「俺は、ダジルと言います。この村の長です」
「ルシル・アシュリーだよ」
「フィリップです」
一通り名乗りを上げると、ダジルはゆっくりと頭を下げた。
「先ほどは、申し訳ありません」
「いや、聖女が色々と素行に問題ありなのは事実だからね、警戒しても仕方がない。過去に何か被害でも?」
「その、それが、まあ」
「詳しく聞かせていただけませんか?」
ぐっと身を乗り出しかけて、フィリップは慌てて料理を取るふりをする。そして何気ない風を装って続けた。
「いや俺も聖女、あ、この人は別ですよ、が好きじゃなくて。俺も昔聖女に酷い目に遭わされたもので、ついつい熱が入ってしまって」
「あなたもか!」
ぱっと顔を明るくしたダジルが、強く頷く。
「うちもそうでな! 村で病人が出てるってのに、一昼夜かけて助けを求めに行ったやつが帰ってきたと思ったら、とんでもない金額を請求されて、そんな金額村全部売ったところで手に入らないってのに」
「……それが、この村に極端に女性と子供が少ない理由かな?」
ルシルの声に、ダジルは沈痛な面持ちで頷いた。
「誰も、助からんかった」
その場に立ち込めた空気に、ダジルは慌てて両手を振り回すと、言葉を続ける。
「それが、聖女様方にお願いしたいことで」
「さすがの彼も、亡くなった方を生き返らせることは」
「そうでなくて、今もまた流行ってんです!」
「同じ病が?」
勢いよく頷いたダジルは、両手を広げて室内を指差した。
「村の中で、倒れてるやつとその看病をしているやつを除いた、動けるやつがこれだけしかいないんです」
その言葉に、ルシルは驚いて室内を見渡した。
食卓を囲むようにして20人いるかいないか、調理場や見張りにまだいるにしても、多くても数十人。村の規模からして考えられないほどの少人数だった。
「なるほど」
短く相槌を打ち、考え込むように目線を伏せたルシルに、ダジルは身を乗り出して叫んだ。
「お願いします! 俺は、俺はこの村を守らないと!」
「ルシル」
フィリップの声に、ルシルは軽く頷くことで答えた。そして、考え込むように口にする。
「もちろん、あなた方を見捨てるつもりはない。君もそうだろう?」
「はい」
「聖女様!」
「だけど初めに言っておきたいのだけど、私は魔法が使えない。後、何度も言っているけど、聖女ではない」
「……は?」
意味が分からないというように眉を寄せたダジルに、ルシルはもう一度繰り返した。
「私は魔法が使えない。ここにいる魔法を使える人間は、彼だけだよ」
「な、え」
「魔法が使えない人間が聖女だったことが不思議? 申し訳ないけれど、その話は長くなるからまた今度で。それより、今は病の話をしよう。良いかな、この病は再発している」
淡々と語るルシルの声だけが部屋に響き、誰もが固唾を飲んでその言葉の続きを待っている。
「つまり、かかった人間を治療するだけだと意味がない。火事になってから消してまわるのではなく、そもそも火事にならない努力をしないとね」
「それは、つまり」
「少し、調査のための時間をもらっても?」
「病気の方は、俺が責任を持って治療しますので」
言葉をなくしてルシルを見つめていたダジルは、その大きな両目に、不意に涙を溢れさせた。
「え、あ、ちょっと」
「す、みません。こんなに、こんなに俺たちのことを考えてくれる方も、いるのかと、思って……」
その言葉に、ルシルは小さく目を伏せた。
「私も、まだまだだよ」
くるりと振り返ったフィリップに、ルシルは苦笑いで返した。そうして、ダジルに向かって告げる。
「今の病人に関しては保証できる。けれど、病の原因ごと取り除ける保証は、どこにもない。それでも良ければ、この件は私たちの方で引き受けるけれど」
「どうか、よろしくお願いします」
頭を下げる村人たちに、ルシルは笑って手を振る。そして、思い立ったという風に両手を打ちあわせると、目を輝かせて聞いた。
「ところで、お酒はあるかな?」
「え?」
「お酒だよ、お酒。ずっと飲んでみたくて」
「聖女様は、飲まないんじゃ」
「教会の聖女はね。私は別に気にしていないけど、街中じゃ、人目もあるから。教会に属しているかしていないかなんて、普通の人間には分からないわけだし。けれどここなら、気にしないで飲めるだろう?」
「はい、ありまっせ秘蔵の酒が!」
「おいカルム!」
奥の部屋からひょいと顔を出した、いかにも好青年といった風情の青年が、手に握った瓶を振る。
「これなんかどうっすか!」
「ぜひ飲みたいね!」
立ち上がりかけたルシルの服の裾を掴んで、フィリップは無理やり座らせる。そうして、耳元で囁いた。
「ちょっと、飲んだことあるんですか」
「ないね」
「どうしてそうやって無茶を」
「今を逃したら、もう二度と飲めない気がして」
「そうですけど、ここは」
2人が小声で言い合う間にも、大きなコップに注がれた酒がルシルの目の前にどんと置かれる。目を輝かせて手にとったルシルを、フィリップが慌てて抑えた。
「滅茶苦茶弱かったらどうする気なんです!? そのままどこかに連れ込まれでもしたら」
「大丈夫、君が守ってくれるんでしょう」
「守りますけど! けど」
俺がどこかに連れ込む可能性は考えないんですか?
すんでのところでその言葉を引っ込めたフィリップが黙ったのを良いことに、ルシルは恐る恐るその芳醇な液体に口をつけた。
途端にふわりと鼻の中で広がるような香りと、慣れない苦味に、その目が大きく見開かれる。
会場はにわかに宴会の様相を呈しはじめ、重苦しかった空気は一変し、誰もが安らいだ表情で語り合っている。
そんな光景を見ながら、フィリップは口元を緩めた。
きっとこの人が守りたいのは、こういう光景なのだろう。
ほんの少しずつ、啜るようにして酒を口にしていたルシルに、随分と顔の赤くなったカルムが口を開いた。
「ところでお二人、どんな関係なんっすか?」
「っ!?」
咽せかけて前のめりになったルシルと、ずるりと椅子から滑り落ちかけたフィリップ。
その並々ならぬ様子に、カルムの目がきらりと光った。
「恋人、いや夫婦とか?」
「絶賛口説き中です」
すぐに余裕を取り戻し、平然と返したフィリップに、今度こそルシルが咽せる。
咳き込むルシルの背を笑顔で摩りながら、フィリップは好戦的に辺りを見渡した。
「というわけで、俺のなので、手を出さないでくださいね?」
「ちょ、え」
「おー!」
それでこそ男だ、という拍手と、でも振られてんだろ、という揶揄の声が聞こえる中、悠然とフィリップは立ち上がる。
そうして、数人の男を指差した。
「ルシルに見惚れてましたね?」
「それは、その、こんなに綺麗な人なんだから仕方ねえだろ! 男なら誰でも――」
「やりますか?」
笑顔で外を指差したフィリップの服の裾を引っ張り、ルシルが慌てて訴える。
「な、君は何をやって」
「何って、牽制です」
「けんせ……」
絶句したルシルを見下ろして、フィリップは微笑む。
ほのかに染まっている頬は酒のせいではないと、フィリップは都合よく思い込むことにした。ひゅう、と口笛が吹かれ、おろおろと視線を彷徨わせているルシルに視線が突き刺さる。
見られているのを感じ、相変わらず綺麗な笑顔でルシルを見下ろすフィリップを感じ、何が何だか分からなくなったルシルは、誤魔化すように、手元の酒を見つめる。
「ルシル、何を――」
フィリップの制止の声を無視して、ルシルはそれを勢いよく煽った。
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