第38話 交州の王


 南海に止まる事一月余り。


 体力の回復を待っていた俺は体調が戻ると蒼悟そうごの呉巨を尋ねた。



 途中何度も何度も黄忠から体調を気遣われたが、不思議に俺の体はなんとも無かった。


 どちかと言うと病に倒れる前よりも今の方が調子は良い。



 呉巨は劉備と知り合いで交州刺史に任じていたので簡単に面会出来たのだが、彼の態度は横柄であった。


「お前が劉備の養子の劉封か。ああ、確か長沙の劉氏の生まれだったな。俺様も長沙には一時居た事が有ったんだ。お前のところはケチくせえ奴らばっかりでよ。俺様は苦労したんだぞ。ヒック」


 呉巨は俺達を迎えると宴席を設けてくれたが、その席上で彼は俺に愚痴を溢していた。


 その内容はまぁ、あれだよ。


 自分が認められないと感じる周りに対する僻みだった。


「そうですか。それは知りませんでした。我が一族の無礼、平にご容赦を」


「おう!お前は若いのに分かってやがるな、ヒック。俺達で士燮の野郎をぶち殺して交州は俺様の物にしねえとな! がははは、ヒック」


 どうもこの人は状況が分かってないような気がする。


 それに酒に弱すぎだ。


 この時代の酒のアルコール度数はそんなに高くない。


 だから酔いたい人はかなりの量の酒を飲まないと酔えない。


 俺も飲んでいるが甘くて全然酔えない。


 これって酒なのか?



 宴席は三日ほど続けられた。



 その間に呉巨に対する俺達の評価は駄々下がりであった。


「ふむ。およそ人の上に立つ人物では有りませぬな」


 普段から辛口の潘濬。


「若に対して馴れ馴れしい。それに我らを使い走りのように思っているようじゃな。あれは駄目じゃ」


 俺に対する態度からご立腹の黄忠。


「呉巨殿は駄目ですな。太守としての評判も宜しく有りません。あれでは刺史など務まりませぬ」


 冷静に呉巨を見ていた徐庶。


「はっきり言って、俺はあの男が嫌いです! そうでしょ。劉封様?」


 はっきり言い過ぎだよ魏延。


「つまり皆の意見は一致していると言う事か?」


「「「「はい」」」」



 俺は呉巨を呼び出し徐庶が彼に対する罪状をでっち上げて処断した。


「てめえ! 耳長の養子のくせに俺を殺すのか!この事は耳長も知ってやがるのか!それともこれも耳長の指図か!どうなんだ!」


劉備の呼び名は、みんな耳長なのか?


福耳とか言わないのかね?言わないか?


「はぁ、連れていけ」


 呉巨は喚き散らしていたが刑場に連れていかれた。


「我が君を侮辱するとはなんたる不遜。やはりあれは駄目でしたな」


 静かに怒っている潘濬は怖いな。


「そう言うな承明。追放とかでは駄目だったのか。元直?」


「追放すれば彼は孫呉に行くでしょう。そして彼を利用してこの地に彼らがやって来ます。それに江陵に送っても彼の居場所は有りません。現にあれは我が君を同格か何かと思っていたようですし」


そうだな。いくら同郷とは言え、礼儀は有って然りだ。


「左様、若が気に病む事は有りませぬ。これで後顧の憂いが無くなりましたな。急ぎ合浦に参るとしましょうぞ」


 呉巨は野放しにすれば敵対する、か。



 劉封の記憶では呉巨は孫呉の歩隲ほしつに斬られているからな。


 彼の運命は変わらなかった訳だ。


 それにしても俺もこの時代に染まったな。


 人を裁いて(騙して)殺してもなんとも思わなくなったからな。



 ちなみに交州での人事は俺に一任されている。


 桂陽を発つ前に劉備から現地での判断に任せるとの書状も受け取っている。


 だから俺が勝手に呉巨を処断しても罪に問われる事はない、……筈だ。



「張南。ここの守備を頼む」


「はは、お任せを!」


 南海には体調の戻った馮習を、ここ蒼悟には張南を残して俺達は合浦がっぽに向かう。


 桂陽を発した三万の兵力も今は一万あまり。


 ずいぶん寂しくなったもんだ。


 しかし残った一万は精鋭中の精鋭でこれほど頼りになる兵達はいない。



 合浦を少し南に向かえば香港島が見える。


 この時代の香港島に何が有るのかと興味は有ったが今はそれに時間を掛ける事は出来ない。


 でも後で案内して貰おうかとも思った。



 合浦では交阯こうし 太守 士燮ししょうと合浦太守 士壱しいつが俺達を城門前で出迎えた。


「交阯太守士燮に御座います。若き獅子と出会えて嬉しゅう御座います」


「合浦太守士壱に御座います。どうぞ宜しくお願い致しまする」


 俺は馬から降りて士燮、士壱の前に出る。



 この人が士燮か。



 士燮は交阯太守に就任すると積極的に現地に溶け込み現地の人々の支持を取り付けた。


 交阯での彼はまるで王ような扱いを民から受けているそうだ。


 徐庶と潘濬の調べだけどね。



 士燮の髪は真っ白で彼の苦労の後を感じさせる。


 老人では有るが真っ直ぐ立って俺に笑顔を見せる。


 そしてその柔和な笑顔を見せながらも視線は俺を値踏みしているようだ。



 なるほど、この士燮という人物は劉備、曹操に通じる物を持っている。


 それが証拠に彼の前に立つと足が震えていた。


 俺は彼を前にして緊張しているのだ。


「左将軍・宜城亭侯劉備玄徳様の名代として参りました。劉封 孝徳と申します」


「ほほほ、噂通りのお方ですな。歓迎致しますぞ。では城内に案内致しましょう」


 噂通り? どんな噂だろう。


 それに獅子って何だよ。獅子って!


 それに自分で案内するの?


「太守自ら案内なさるのですか?」


「はい。それが遠路より来られた方に対する礼というものです」


 呉巨を尋ねた時は出迎えはおろか挨拶も満足にして貰えなかったからな。


 これは器が違い過ぎる。


 士燮が呉巨を認めない訳だ。


 頼恭らいきょうも呉巨に追い出されるようにして劉備に会いに来たみたいだしな。



 城内に案内されるとそこには沢山の人々が俺達を出迎えていた。


 士燮の名前を連呼する民に圧倒されながらも、漢人だけではなく他の民族の姿が見えた。


 と言うか漢人よりも異民族が多い。


 そんな異民族の民達は彼らの言葉で士燮を讃えている。


 これは彼をどうにかすると民が爆発するのは目に見えているな。



 官舎に入ると香の匂いが立ち込め、また襄陽や柴桑とは違った音楽が聞こえてくる。


 士燮に俺が休む部屋を案内されると、俺は鎧を脱いで朝服に着替える。


 これから士燮との会談が始まるのだ。


 帯を絞め気合いを入れる。


 士燮は呉巨とは違う。


 きっと会談は苦労するだろう。



 しかし俺が緊張して会談に臨むと士燮はあっさりと恭順の意を伝えてきた。


「我らは劉備様に恭順致しまする」


「それは、有難い申し出だが」


 拍子抜けも良いとこだ。


「この交州は中原より遥か遠く、その喧騒が届きませぬ。我らはただ民の安寧を思うばかりです」


 ああ、なるほどね。


 オブラートに包んでいるけど中央の権力争いを皮肉ってるのか。


『中央は中央で勝手にやってろ。俺らはここで安全に暮らしたいだけなんだよ』と言っている。


 でもね? それはもう出来ない事なんだよ。



 交州はこれから荒れる。



 俺達と孫呉の間で争いが起きる可能性が有るからだ。


 それに士氏は交州に土着して根を張りすぎた。


 これではいつか士氏が漢王朝から独立する可能性が出てくる。


 いや、もう独立してるか。


「士燮。あなたの意は分かった。あなた達の恭順を認めよう」


「はは、ありがとうございます」


 士燮の恭順を受けて交州平定はこれで一旦終わりだ。


 後は新しい交州刺史を誰にするのかと、孫呉の兵を率いて来た者との話し合いだな。



 士燮達を下がらせて悪巧みの時間となった。


 徐庶と潘濬に今後の事を相談する。


「元直。承明。各々の献策を述べよ」


 俺も偉そうになったな。


 でもこうしないと徐庶達が怒るんだよ。


『孝徳様は我が君の代理。謂わばあなた様が君で我らが臣です。君臣のけじめは着けねばなりませぬ』ってね。


 だから年上の彼らの字を呼び捨てにするんだ。


 あんまり好きじゃないんだよね。


 年上を呼び捨てにするなんて。


「はは。まずは士燮より人質を取るのが宜しいかと。彼が我らを裏切るとは思えませぬが、他の者がどうかは分かりませぬ。それに人質を素直に差し出すかどうかで士燮の本音も見えてきましょう」


「元直の策はもっともだな。そうしよう」


 人質か。これもどうなのかな?


『俺らはあなたを信用してませんよ?』と言っているようなもんだしな。


 あっ、そうだ! こんなのはどうだろう?


「まて、士燮の嫡男を中央の官に任じて召し出すと言うのはどうか?」


「なるほど、良き案です。彼らに恩を売る形ですな。さすがは孝徳様」


 よせやい。本当は徐庶も考えてたんだろう。


 それが証拠に良く出来ましたって顔に出てるぞ。


「人質の件はそれで宜しいでしょう。私としては中原の争いから身を退いた者達を召し出すべきだと考えます。この交州に逃れてきた名士は多いですからな」


 人材登用か。常套手段だな。


「その口ぶりだと心当たりが有るようだな。承明」


「はい。性は劉 名は巴 字は子初ししょと申します者が交阯に居ります。その者の才は我が軍の孔明殿、士元殿を凌ぐと思われます」


 劉巴りゅうはか!


 彼がこの地に居るかもと思っていたがやはり居るのか?


「お待ちあれ。彼の御仁は孔明が引き止めても一顧だにしなかったのですぞ。その彼が我らの求めに応じるでしょうか?」


 ああ、劉巴って劉備が嫌いだから逃げ出したんだよな。


「それは孔明殿が悪いのです。孝徳様自らがお会いに成ればおそらくは……」


 何その弱気な発言。


 俺が会って駄目だったらどうするのさ?


「分かった。劉巴は俺が直接会おう。でも失敗しても知らないからな?」


「大丈夫です。自信をお持ちください」



 はぁ、本当に大丈夫なのか?



 そして劉巴を訪ねようとした日に合わせて例の彼らがやって来た。



 その日は劉巴の下を訪れるので徐庶と潘濬に劉巴の注意事項を聞いていた。


 運良くと言うか。劉巴は士燮に同行して合浦に来ていたので、劉備の使者だと言って会おうとしたら固く門を閉ざされた。


 そこで士燮に頼んで彼に会えるようにセッティングして貰ったのだ。


 劉巴に会うのも一苦労だったのだ。



 その劉巴との面談の前に伝令がやって来た。


「申し上げます。合浦の南に船が停泊しており、旗には孫呉の文字が見えました」


「分かった。下がりなさい」


「は、失礼します」


 報告を受けて徐庶が伝令を退席させる。


「ふむ。意外と遅かったですな?」


「どうなさいますか? 訪問は別の日になさいますか?」


「せっかく士燮が場を整えてくれたんだ。行くさ。それに孫呉の連中は混乱してるだろうから、こちらから迎えを出そう。頼めるか承明?」


「お任せを」


 劉巴との面談だけでも面倒なのに、それに加えて孫呉の使者と会わないと行けない。



 きっと孫呉の使者は歩隲だ。



 これはハードな会談になりそうだな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る