第35話 呼吸

 目を開くと、薄暗い部屋の中だった。

 目が慣れなくて、何度も瞬きを繰り返してみる。

 どうやら工房の中の寝台に寝かされているらしい。

 身体を起こそうとして、カミュスヤーナは誰かにしがみつかれていることに気づいた。

 顔を下に向けると、水色の頭が見える。


「テラ」

「カミュスヤーナ様」

 テラスティーネが、カミュスヤーナの腰に回している腕に力を入れた。

 胸に当てられた彼女の前髪をかき上げて顔を覗き込む。瞼は閉じられ、口の中では、もごもごと何かを言っている。

 どうやら寝ぼけているようだ。

 テラスティーネが一緒に寝ており、部屋の中が薄暗いことから考えて、今は夜であるらしい。


 折角寝ているところを起こすのも悪いが、現在の状況を聞きたいので、身体をゆすってテラスティーネを起こす。

「テラ。起きてくれ」

「カミュス……?」

 テラスティーネが青い瞳をぽやんとさせながら、カミュスヤーナを見上げてくる。青い瞳。眠る前に見た彼女の瞳も青い瞳だった。

 移行自体はうまくいったのだろう。カミュスヤーナは、テラスティーネの様子を見て、胸をなでおろす。


 だが、2人で共に工房で寝ている状況も、テラスティーネに抱き着かれているのも、理解できぬ。

 カミュスヤーナは、その解を持っていると思われるテラスティーネに問いかける。

「今の状況を教えてくれ。テラスティーネ」

 カミュスヤーナの声にテラスティーネは、はっとしたように目を見開き、しばらくすると涙で、その青い瞳をにじませた。

「……テラ?」

「やっと、目が覚めたのですね。。カミュス」

 胸の中でしゃくりあげ始めたテラスティーネの背中を優しくなでてやる。


「テラ。あれからどれだけたっている?」

「……4月です」

「……」

 カミュスヤーナはこめかみに手をやった。

 4月。もう彼女の婚姻は済んでいるではないか。

「私の婚姻は延期してもらいました」

 カミュスヤーナの考えを読んだかのように、テラスティーネは言った。


「一旦、起きましょうか。お腹が空いているかもしれませんが、今は夜なので、明日の朝までお待ちくださいね」

 テラスティーネは、カミュスヤーナの腕の中から寝台の外にでると、机に灯っていた明かりの光量を上げた。中央にある円卓に、水を汲んだグラスを2つ置く。

 カミュスヤーナは寝台の上で起き上がる。

 ひとまずめまいはしない。


 寝台の脇に立ち上がってみたが、4月もたって筋肉が弱っているかと思いきや、問題はなさそうだ。

「寝ている間も、腕や足は動かしていましたから」

 カミュスヤーナが自分の身体を確認しているのを見て、テラスティーネから声がかかる。

「ちなみに、結界もカミュス個人に張っていたので、必要最低限の生命活動しか、していなかったと思います」

 カミュスヤーナは、テラスティーネの正面の椅子に腰を下ろした。汲んでもらった水を口に含む。喉を通る水を快いと感じた。


「なぜ、私を眠らせた?」

「いろいろ限界な様子に見受けられましたので」

「君はあの時には意識が移っていたのだな」

「急に意識が貴方の夢の中から、この身体に吸い寄せられました。気づいた時にはカミュスが手を握ってくださっていたので、多分魔力をこの身体に流されたのではないですか?」

「魔力を流したのがきっかけで、意識が移行したのか?」

「おそらくは」

 テラスティーネが頷く。


「以前、貴方の夢の中に退避した時と、同じような現象かもしれません」

「君の瞳と髪の色も元の色に戻っているが」

「カミュスが眠られた後に、私が戻しました」

「君にそんなことができたのか?」

 魔法士だからか?カミュスヤーナ自身は魔人だから、魔力等を奪ったり与えたりできるものと思っていたが、実は人間でも可能なのだろうか。

 カミュスヤーナが思いにふけっていると、テラスティーネは言いにくそうに口を開いた。


「……私の父親が人間ではありません」

「人間ではない?」

「天仕(てんし)です」

 言われたことが理解できなくて、カミュスヤーナは動きを止めた。


 天仕(てんし)。それは魔人と同じく、かつてこの世界に存在した種族。だが天仕はその存在の特殊さゆえに姿を消した。


「カミュスはお聞きになったことがございますか?天仕は『与うるもの』。自分が持つ能力、魔力、血などを、自分の意志で他者に与えることができるのです。ですから、私は、自分が持っていた、元は貴方の色をカミュスに与えました」


 カミュスヤーナは茫然と彼女の言葉を聞いていた。

 その脳裏になぜか一人の男性が浮かぶ。水色の髪、金色の瞳、そして背中を覆う白い羽。あれは誰だったか……。


「そして、カミュスは魔人の血を引いていますよね?」

 テラスティーネの問いかけに、カミュスヤーナの意識が引き戻された。身体が固まる。

 テラスティーネの様子を窺うが、彼女の表情はカミュスヤーナを心配するものから変わっていない。特にカミュスヤーナを忌避している様子はない。

「私が魔王に襲われた時、魔王はカミュスと、うり二つの容姿でした。そして、カミュスを我が弟と言ったのです」

 テラスティーネはすべてわかっていたのだ。カミュスヤーナは異分子だと。


「カミュス!」

 カミュスヤーナの身体が、テラスティーネから遠ざかろうと動く。彼女はそれを見とがめて、強い口調で彼の名を呼んだ。

「すまない。テラスティーネ。私のせいで君は魔王に襲われた。私がここにいなければ……」

「いいえ!カミュスがここにいなければ、私は疫病で死んでいます」

 テラスティーネが席を立ち、カミュスヤーナの方に歩み寄ってくる。

 なぜ、私に近づこうとする。私はきっと君を傷つけてしまうのに。


 テラスティーネの手がカミュスヤーナの身体に触れようと伸びてきて、彼の身体は意図せずにビクッと跳ねた。彼は、テラスティーネから離れようとして、後ろにあった寝台の上に座り込む。テラスティーネは止まることなく、カミュスヤーナの方に身を寄せてくる。

「テラ。触れるな」

「カミュス」

 テラスティーネの顔が悲しそうにゆがむ。伸ばされていた手がためらった後、カミュスヤーナの頭に触れた。優しく頭を撫でる。でも彼の身体の震えは収まらない。


 息が苦しい。

 荒い息をついているカミュスヤーナを、テラスティーネは心配そうに見つめている。

「ゆっくり息を吐いてください」

 テラスティーネが優しく告げた。意識して息を吐く。

「今度は息を吸ってください。ゆっくりと」

 テラスティーネの言葉に従ってゆっくりと呼吸をしていると、少しずつ息苦しさと身体の震えが収まってきた。

 頭を撫でていた手が、カミュスヤーナの頬に触れて、いつの間にか流れていた雫をぬぐう。


 そのまま後頭部に腕が回されると、カミュスヤーナの頭はテラスティーネの胸の中に抱き込まれた。

 あぁ、前にテラスティーネから告白された時と同じだ、と、カミュスヤーナは思った。

 テラスティーネの身体の温かさと鼓動を感じる。その感覚に安堵したのか、再び目尻に涙がにじんだ。


 何かテラスティーネに声をかけたいのに、言葉にならない。

 かろうじて、彼女の背中に手をまわして引き寄せる。

 まるで縋り付いているかのようで、情けない。


 彼女も何も言わなかった。

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