第16話 回想 救済

「カミュスヤーナ様。こんな夜分にお呼びだていたしまして、申し訳ございません」

「よい。アンダンテ。そなたも休んでないのだろう?私が見ておくから、しばらくの間だけでも休むといい」


 テラスティーネの侍女、アンダンテの顔色はとても悪い。ここ数日、寝ていないのかもしれない。

 きっと眠る時間を削って、病に苦しむ主人の看病をしているのだろう。

 ここ、エステンダッシュ領で蔓延している疫病は、対象を問わず猛威を振るっている。

 幸い感染はしていないようだが、それも時間の問題だ。


「お心遣い痛み入ります。お言葉に甘えまして下がらせていただきます。何かございましたら、扉の前の不寝番にお声がけくださいませ」

「わかった」

 アンダンテが扉を開けて、部屋を出ていく。

 閉まりかけた扉の隙間から、アンダンテが通路側にいる不寝番に、声をかけているのが見えた。

 私は別の扉を開けて、中に入った。


 薄暗い部屋の中を、枕元に置かれた電灯が照らしている。

 寝台には赤い顔をして、荒い息を吐くテラスティーネがいた。

 目は閉じられており、眠ってはいるようだが、ひどくうなされている。

 額に乗せられた布を取り、代わりに自分の左手を彼女の額に当てる。


 左手の感触に気づいたのか、瞼が薄くあけられて、青い瞳がぼんやりと私を見つめる。

「……カミュスヤーナ……様」

「来るのが遅くなり、すまない」

「いえ……私に近づかない方が……うつりますよ……」

「私なら問題ない」


 私は寝台の横に椅子を引き寄せた。

 取り上げた布に右手を当て、冷やしてからテラスティーネの額に戻す。

「ありがとうございます……」

「少し身体を冷やすから、目を閉じてくれ」

 私の言葉を受け、目を閉じるテラスティーネ。

 その首筋に右手を添える。右手を介して冷気をそっと送り込む。

 テラスティーネが大きく息を吐いた。熱い息が私にかかる。


「楽になりました……」

「次は水だ」

 私は水の入った薬飲みの吸い口を彼女の口に当てた。

「飲めるか?」

 彼女は頷くと、水を少しずつ飲んでいく。

 私は飲み終わった後の薬飲みを、枕元のテーブルに戻し、先ほど引き寄せた椅子に腰を下ろした。


「テラスティーネ」

「はい」

「君の病状はかなり悪い。……申し訳ないがまだ薬はできていない。そして薬ができるのを待っていたら、君は助からない」

 私は、はっきりと今の状況を彼女に伝えた。

「申し訳ありません」

「なぜ、謝る」

「……貴方の側にいると、貴方をお助けすると、誓っていたのに……。貴方を一人にしてしまう」

「……」


 彼女の目から涙があふれて頬を伝う。私は彼女の頬をぬぐった。

 きっと彼女の眼には、苦しそうに顔をゆがめた私の姿が映っていることだろう。

「君を助けられるかはわからないが、私にゆだねてくれないか」

「私は貴方を信じておりますから」

 彼女は、ぎこちない笑みを私に向けた。


 魔王の訪問により、私は自分の生まれを知った。

 それにより私が疫病にかからない理由も推測された。

 私が魔人だから。人間ではないから。

 ならば、私が持っている何かを彼女に与えれば、疫病の症状を抑えられるのではないか。

 助けられるのではないか。

 問題はその与えるべき何かだ。

 これも魔王の訪問からそれが何かを導いた。奪うことができるなら、与えることもできるのでは?通常の人間では不可能だが、魔人である私であれば可能ではないか。

 そして与えることができるもの。

 今の私にはこれしかない。


「カミュスヤーナ様」

「テラスティーネ。不快かと思うが、許せ」

 寝台に寝ている彼女の側頭部を動かないように、腕で押さえる。はくはくと動く唇を覆うように、自身のそれを合わせた。

 合わせた唇から、魔力を流し込む。

 魔力を流されると不快になるのかもしれない。

 彼女が身じろぎし始める。

 彼女の身体が、自分の胸の下から逃げようとするのを、力を入れすぎないよう抑えつける。

 躊躇いが出るが、ここでやめてしまっては、彼女は治せない。


 魔王に同様のことをされた時、自分は意識を引きずられる感覚があったが、自分の中に魔力を流し込まれると、どのような気分になるのだろうか。

 さすがに彼女の気持ちまでは読み取れない。

 彼女の熱で揺らいだ青い瞳から、目が離せない。

 激しい鼓動は自分のものなのか、彼女のものなのか。

 浮かされるような熱は自分のものなのか、彼女のものなのか。


 流し込む予定だった魔力の半分くらいを終えて、一旦、口を話す。

「大丈夫か?」

「……体の中を何かが、巡っているような」

 彼女の反応が鈍くて助かる。たぶん熱もあってのことだろうが。

 青い瞳が揺らめいている。赤く染まった目尻。

 あまりの美しさに、自分の顔が熱くなるのを感じる。


「気分は悪くなっていないか?」

「むしろ……気持ちいい?」

「なぜ、そこは疑問形なのだ」

 私が呆れたように呟くと、彼女はまたぎこちなく微笑んだ。

「っ……続けるぞ」

 私は彼女の頬に手を当てた。彼女が目をつぶって頷くのを見て、私は顔を近づけた。


 彼女の落ち着きだした呼吸を感じて、私は身体を起こす。

 首筋に手を当てると、先ほどよりも熱が下がっているように感じる。

 どうやら私の推論は正しかったようだ。

 魔力が少なくなったせいか、若干、体が重い。

 彼女の熱が移ったのか、それとも先ほどの行為のせいか、身体が汗ばんでいる。


 彼女を起こさないように顔をぬぐってやり、額の布を再度冷やし直した。

 そして彼女の頭に右手を置く。しばらくそのままにし、彼女の水色の髪を撫でて離した。

 上掛けをかけ直し、側を離れる。


 彼女は今日の出来事を忘れる。そして私以外の者と婚約させ、私から遠ざける。

 彼女の様子を横目で見やる。

 先ほどの彼女の身体の柔らかさや、熱に浮かされた顔を思い出すと、また顔が熱を持つ。

 自分の口を押さえて、大きく息を吐いた。

 相手は病人、そして先ほどの行為は医療行為。

 私は彼女の寝息を聞きながら、部屋を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る