紅は園生に植えても隠れなし⑤

 時刻は午後四時半を回った。チームメイトの活躍に美園高校の部員たちが手を叩き合わせる。ダブルス決勝トーナメントも準決勝まで進み、応援の声も次第にボリュームを増していた。

 花ノ谷かのやの部員が固まる空間からやや離れた席に座った平原は、すみれが口々に労いの言葉をかけられるのを見ている。三回戦の審判を終えた菫は、試合が終わってすぐ席に着いた平原から三十分ほど遅れてようやく応援席へと戻ってきたのだ。


 地区大会では試合に負けた選手が次の試合の審判を務めることが多い。同じく二回戦で敗退した選手と二人一組で北沢姉妹の三回戦を担当したようだが、間近で二人のプレーを見て思うところがあったのか、組み合わせた両手に顎を乗せた菫はしみじみと息をついた。


「やっぱり北沢さんたちって強いどころの話じゃないですね。中学の時よりフットワークよくなってるし。どこに打っても返ってくるし、崩したと思っても修正されるし、あと妙にサインが長い」

「最後ちょっとおかしくない? まあ、実際他のペアよりは長いと思うけど。どう見ても打ち合わせって感じじゃないしねえ」


 くすりと笑った井浦が話の続きを引き取る。北沢姉妹はサーブレシーブの場面のみならず、試合が一時中断した時も当たり前のようにラケットを持たない手でサインを出し合っていた。

 二人の手はラバーの上で次々と形を変え、何種類ものサインを組み合わせて互いに見せ合う様子は仲睦まじく喋っているようにも見える。おもむろにうちわを持ち上げた井浦は学校名がプリントされた面の上で握り拳を作り、ノックするように二度動かした。


「これが『今日もがんばろ~』で、この手でくるっと丸を描いたら『この調子でいくよ』なんだっけ。マリちゃんはもっと知ってるよね?」

「そうね、その手をピースに変えると『いぇーい』と『慎重に行こう』になるわね」


 棒読みがすぎる鞠佳まりかの答えに薫子かおるこが小さく吹き出した。興味を惹かれたのか、身を乗り出したあさひが無邪気に問いを重ねる。


「鞠佳ちゃんも萌さんもちゃんと覚えてるんですね。他にももっとあるんですか?」

「二十か三十くらいは嫌でも覚えてるわ、あいつらに散々聞かされたもの。しかも何日か後に抜き打ちテストまでしてくるのよ」

「ふ、これを、ちゃんと覚えてるかってこと?」


 声を震わせて尋ねる薫子に、ちょっとあんた面白がりすぎじゃない、と鞠佳がじとついた目を向ける。その後も一同が思い出話で盛り上がる中、端のほうに座った菫がそろりと席を立った。

 応援席を上がってきた菫は平原の斜め前、他の部員たちからも平原の席からも少し距離を取った位置に座る。話題を提供しておいて一人話の輪から抜ける菫を肩越しに振り返った井浦は、しかしすぐに納得したように前を向いた。

 よく気の回る後輩が、雑談に加わる気もなくぽつんと陣取っている先輩のもとに向かった――きっとそんな風に見えたのだろうと平原は推測する。


 とかく周囲を見て動きがちな後輩だが、こうして菫が平原の近くに来るのは決して気を遣った末の行動ではない。この後輩が生来持ち合わせている集団というものへの嫌悪を突発的にのぞかせているだけのことだ。

 普段はにこやかに場の一員たろうと努力しているように見えて、菫は時々静寂を求めて平原のほうへとやってくる。すなわち、都合のいい逃亡先として。中学時代からそうだったが、菫は平原とばかり組まされる立ち位置をそれなりに有意義に使っているのだった。

 持参したウエハースをさくさくと食べ進めていた菫は、やがて独り言めいた気楽さで口を開いた。


「平原さん、北沢さんたちの三回戦見ました? たぶん見てないんでしょうけどめちゃくちゃすごかったんですよ――あ、これよかったらどうぞ」


 半ば強引に押しつけられたウエハースが手の中でかさりと鳴る。バニラの香りがこちらまで漂ってくるのを感じつつ、平原は水玉模様の包みを脇に置いた。


「相手が浜崎さんと土田さんでね、最初から遠慮なく二人を振っていくんです。由良ゆらさんがかなりフォア側に動かされて、あっこれは完璧に崩したな、って思ったんですよ。そしたら紗良さらさんがいきなりふわっとした軌道のループを打って」


 平原は基本的に人の試合を見ない。後輩ののんびりとした説明を聞きながら、平原はその場面を脳裏に思い描いた。浜崎が鋭角なクロスへ打ち込んだボールを北沢由良が飛びつくように拾う。返球はしたものの、真横に動かされた由良はすぐには台へ戻れない。

 片方の選手を大きく動かし、戻りが遅れたところを狙う。ダブルスではよくあるパターンだが、北沢姉妹は一見ピンチに見える状況を打開するのが抜群に上手かった。


 強い回転がかかったループドライブはカット同様、通常のドライブよりゆっくりと相手のコートに飛んでいく。紗良はこれを打つことで由良が戻る時間を稼いだのだ。

 そのうえ回転量の多いループドライブは当てただけでも相手のオーバーミスを誘う。浜崎ならば難なく対応できただろうが、さすがに強打で返すわけにもいくまい。


「浜崎さんが合わせて返したのを、戻ってきた由良さんがすぱっと決めて。これで点取られたらお手上げですよね。北沢さんたちってなんでもできちゃうし、打つしか能がない菫みたいなのとは根本的にプレーの幅が違うっていうか……そりゃ平原さんがいてもあっさり負けるよ、ってかんじですね」


 朗らかに自嘲する後輩の背中をサイドで結った長い髪がするりと滑り落ちる。本人はそう言うものの、今日の菫の出来は文句をつけられるようなものではなかった。単に相手が自分たちの上を行っただけだと思うのだが。

 以前から感じていたことだが、進藤菫は実力のわりに勝敗への意識が希薄だ。この淡泊さがどこから来るのかは平原でさえ奇妙に思う。というのも、試合中の菫は決して諦めのいい選手ではないのだ。

 大きく左右に振られてもどうにか食らいつき、相手に押し込まれても油断なく反撃の機会を窺う。気持ちを切らすことなく攻撃の意識を持ち続けられるのが菫の強みであり実力差のある相手にも善戦できる要因なのだが、後輩の言動とプレースタイルはどうも噛み合っていない。


 言動と戦型にギャップがあると言えば井浦もそうだが、こちらは話が単純だ。井浦の場合はあのプレースタイルのほうが地なのであって、普段の言動は人間関係を円滑にするためのフェイクにすぎない。

 井浦は同じコミュニティに属する者の特性を容赦なく見透かす類の人間で、平原が無意味に機嫌を取りあうような付き合いを嫌うこともよく理解していた。

 そもそも平原には他人に好かれようという発想がなく、極めて自分本位に振る舞うことにさほどの躊躇いも覚えない。集団の中で生きていくのに必要とされる虚飾を一切排した態度は往々にして反感を買うものの、その代わり平原に関わる相手生来の性格を浮き上がらせる。

 鞠佳のように表裏なく平原を嫌う人もいれば、美景みかげや薫子のように表面上は嫌悪を見せないよう意識している人もいる。数多の敵意を受けながら、平原は自分なりに周囲の人間を観察してきた。


 そのうえで不思議に思うのだ。過剰に周りに気を配るところはあるが、平原には卓球部での進藤菫が大きく己を偽っているようには思えなかった。目に見える結果に固執しない性格も真で、なおかつ好戦的な戦い方も真だとするならば、そこには少なからず不自然な齟齬がありはしないか。


「どうかしました?」


 平原が意識を現実に引き戻すと、視線の先では菫がきょとんとこちらを見ている。何も、と答えようとして、平原は反射的に無難な返答を取りやめた。


「進藤さんはどうして速攻になったの」


 平原は、自分にしては棘の少ない語調でそう尋ねた。あまりに素朴な問いに一瞬動きを止めた菫は当惑の面持ちで答える。


「いや、菫たちみんなそうでしたけど、佐原さはら先生と面談して――」

「それは知ってる、でもそういう話じゃない。最初は人に決められたのかもしれないけど、同じ戦型でも続けるうちに差は出てくるんじゃないの」


 プレースタイルに性格が出る。どのスポーツでも言われることなのだろうが、卓球の場合はその傾向が特に色濃い。わずか三メートルの距離から全力で打ち合うこの競技では、思考や意図を超えたほとんど本能的な部分に頼らざるを得ない場面がある。

 コースはどこを選ぶのか、攻めるのか無難に入れるのか、ただ面に当てるのか思い切り振って打ち返すのか、それとも意表を突く変化をつけるのか。数々の選択肢の中からプレーを決定するのは結局のところ自分の本性とでも言うべきものだ。


 とはいえ、初心者が自分の戦型を決めるも何もない。八倶坂やくさか中の新入部員たちは顧問との面談の末性格や特性を見てひとまずの指針を定められた。手首の柔らかい生徒はペン、粘り強く体力のある生徒はカットマン、といった具合に。

 そうして練習していくうちに自分の意見が生まれてくる。そこで再度佐原が一年生たちとの面談を持ち、今度こそ部員たちの戦型というものがはっきりするわけだ。菫の場合は、『攻撃型』というアバウトな括りの中で次第により積極的なプレーを見せるようになった。

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