紅は園生に植えても隠れなし④
間違いようもなく自分に向けられた視線を感じ、平原はぼんやりと相手側のベンチを見やる。やはり今日も来たようだ。会釈をしてみても肩をそびやかしてこちらを睥睨するベンチコーチが表情を緩めることはない。
物々しい存在感を放つコーチの登場に気付いたのか、平原につられて顔を上げた
「
「個人的な応援じゃないの。飯野純はあのコーチの娘だから」
ああ、と納得の声を漏らした菫が親子の顔を見比べる。嘘をついたわけではない。しかし平原は、平然と自分と飯野にまつわる事実を伏せた。
フロアを仕切るフェンスの裏にはところどころパイプ椅子が置かれ、試合中も各校の顧問や部員がアドバイザーとして座れるようになっている。試合前練習も始まらないうちから姿を見せた飯野はどっかりと椅子に座り、通路を行く選手たちは正藍寺のコーチを迂回するように歩いていた。
正藍寺とはこれまで何度も対戦してきたが、飯野は毎度ベンチに姿を現す。他の選手が重要な試合をしていようと、タイムが必要なほど競った展開になっていようと平原の試合を見に来る飯野は、もしかすれば単にこちらにプレッシャーを与えたいだけなのかもしれない。
お願いします、と四人分の声が響く。ラケットを交換し相手ペアの用具を確認する間、正藍寺のユニフォームをまとった二人は菫のラバーを見て何か囁き交わしていた。シェイクの選手がバックに
ひとまずの対応を練っているのか練習の間もぽつぽつと言葉を交わしていた二人は、試合開始からわかりやすい手を打ってきた。
まずは飯野のサーブから。レシーバーの菫は平原の動くスペースを確保するため立ち位置をやや右に寄せている。右利きの選手がバックハンドでレシーブしてすぐ右に抜ければパートナーの邪魔になりにくい。
加えて粒高はどんな回転にも対応しやすいという利点があり、菫はいつもこのように構えていたが――飯野が出したのは、回転を抑えたロングサーブだった。
「――っと!」
意外な選択に瞬時に反応し、台の中央へ戻った菫が思い切り二球目を振り抜く。体ごと傾けるようなスイング。フォアで打たれるとは予期していなかったのか、相手の二人はほとんど動けないままスマッシュを見送る。
ナックル系のロングサーブ。進藤菫のプレースタイルを知っているならまず出てこない選択肢だ。菫のラケットを見た飯野と中津は粒高対策としてこのサーブを選んだのだろうが、レシーバーが優位に立ちやすいダブルスで、速攻相手に取る対応としては的外れだった。
強振できる長さのサーブはフォアで打ち、そうでなければ粒高でつなぐ。菫の判断基準はシンプルだ。不十分な体勢から迷わず強打につなげたレシーブは強烈に相手の印象に残ったことだろう。相手に動揺を与えこちらに流れを引き寄せる理想的なスタートだ。
相手も同じミスを続けるわけにはいかない。飯野の出した下回転系のサーブを、菫がとんと前に落とす。中津が台にラケットを打ち付けるようにして切ったボールが低い弾道でネットを越える。余裕を持って構えた平原は、手首を体の側に引きつけながら相手の位置を確認した。
右利き同士の中津と飯野ではどうしても早い移動に難がある。曲がりの少ないバックドライブで前に出てきた飯野の横を抜くと、ベンチに座るコーチが忌々しげに腕組みした。
ナイスコースです、と微笑む菫の声に頷きを返し、軽く手首を振った平原は、ボールを拾いに走る相手を目で追った。中津と飯野は右利き同士のペアだが、カットマンと攻撃型の組み合わせなら動きの悪さはある程度解消できる。
カットマンのところでラリーのテンポが遅れることを利用して移動の遅さをカバーするというわけだ。しかしそれは、カットマンが安定してカットに専念できるラリーを想定した理屈にすぎない。
菫が粒高でのストップを多用することで中津にカットをさせず、台上の展開が続いて陣形が崩れたところで平原がコースを狙う。1ゲームを先取した二人はラケットを置いてベンチに戻った。思いのほかさらりとリードを奪えたのが意外だったのか、菫はやや拍子抜けた顔でペットボトルを手に取る。
「なんか、二人ともあんまりダブルスに慣れてないっていうか……そこまで怖くなかったですね。次のゲームで菫が中津さんと当たってどうなるかですけど」
「別に平気でしょ、進藤さんだったらあのカットは普通に打てるし――」
「あのワンファイブからのレシーブはなんだったんだ! 同じサーブで点を取られるからあれだけリードされるんだよ!」
さらに言葉を続けようとした平原を迫力ある大声が遮った。フロアに響き渡ったコーチの怒声に、試合中の選手や審判までもがびくりと肩を強張らせる。平原にサーブ権が回ってきた5-1の場面でレシーブが浮いたことを叱責する飯野は、椅子から立ち上がって怒りを爆発させている。
飯野純は父親に似ず華奢な体格の選手だった。見たところボールにさほど重さはなく、スピードなら菫のほうが上回っているように思われる。
「あれって違反行為とかにならないんですか? 絶対試合の邪魔ですよ」
迷惑そうに後ろを振り仰いだ菫が耳に手を当てる。対戦相手にまで聞こえている時点で飯野のアドバイスはアドバイスの体を成しておらず、単に怒鳴り散らしていると言ったほうが適切だった。
とはいえダブルスとなるとパートナーとの話し合いは必須で、その点勝手にこちらの意図を汲んでくれる菫はやりやすい相手であった。
「なんなんですかねあの人。じろじろ見てくるし休憩中は死ぬほどうるさいし」
うちわで顔を扇ぎながら、菫は興味津々で相手のベンチに注目している。水分を取っていた平原は、何気ない後輩の言葉にしばし考え込んだ。自分は飯野からの執拗な威圧に慣れきっているが、事情を知らない菫が疑問に思うのももっともだ。
がるるる、と小声で飯野を威嚇している後輩に、平原は伏せていた事実を端的に告げた。
「一応言っておくと、あのコーチは昔からわたしのことを嫌ってる。試合中はずっとあの調子だろうけど、それならわざわざベンチを見なければいい。コートチェンジすれば目に入らなくなるんだから、次からは気にしないようにして」
「……要するに、平原さんが相手だからいつもより多めに怒鳴ってると」
「かもね。まあ、進藤さんにも慣れてもらうしかないけど」
とばっちりじゃないですか、と菫が笑う。ネットを挟んで反対側、小さくなった中津と飯野はなおも続く飯野の怒声をうつむいて聞いていた。
平原は、彼女たちが運悪く自分と対戦しているがために厳しく罵倒されていることを知っている。知ってはいても同情はしない。飯野高彦が自分に向ける嫌悪の後始末をわざわざ買って出る義理はないからだ。
猛烈な勢いで怒りながらもゲーム間の休憩時間をきちんと守るあたりは律儀なものだ。審判役の生徒がゲームカウントを確かめるのを見て卓球台に向かった平原は、一通り生徒を叱り終えた飯野がまた自分を見ているのに気付く。
混じり気のない敵意。人の悪意を受け止めることに習熟した平原にはどうということもない視線。飯野はきっと自分に怯んでほしいのだろう、と平原は思う。
背中に注がれる視線を自覚しながらゆっくりと台についた平原は、熱というものを感じさせない目でラケットを手に取った。
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