第40話

 金具が壊れた扉を無理矢理閉めてウェイトレスが残っている空間を切り離したハンスは、広間に拡がる暗闇を見据えて大きく息を吐いた。


 彼の額には未だに拭い切れぬほどの汗が流れており、先程負った傷が相当な深手だった事を物語っている。


(ッ……、一応、内臓は無事みてぇだが、深い分だけ出血が酷いな。しかも、痛みが引かねぇ。毒でも塗ってたのか? とにかく、早く連中を片付けて処置しねぇと不味いかもな……)


 しかめっ面で血の染み出る傷口を抑えつつ受付から出ると、ハンスは瞼を閉じて今一度聴覚に意識を集中させた。


 すると、ほんの微かだが両脇の通路や上階の方からも、誰かがもがいているような物音が流れて来ている事に気付く。


 恐らくは、ハンスが見付けたウェイトレスのように、他の者達も生かされたまま拘束されているのだろう。

 油断した彼を背後から刺す罠として利用する為に。


(んだよ……やっぱ、他の部屋にも準備してるワケね。そりゃ、頭数揃えたのに数を生かせねぇ狭い館の中でなんてろぉと思わねぇよな……ったく、本当に……全く……ついこの間の戦場でも似たようなモン見せられたばっかだってのになぁ)


「……フ、クッフフフ……ハッハッハッハッハ…………」


 瞼を下ろしたまま漏れ出る笑い声を堪えずに洩らし続けるハンスは、いっそ楽し気とさえ思えるような調子で、いつの間にか抜き放っていた双剣『狼王ランワン』をクルクルと気儘に弄び――



「……ふざけやがって――」



 ベキッ!! ドガッ!! と、呟くような声量の声を掻き消すように派手な破砕音が続いた。


 ハンスは見開いた双眸に冷たく燃え滾る蒼炎を湛えながら、床板を踏み砕くほどの加速度で館の出入口までの距離を一瞬で潰し、その勢いのままに頑丈な筈の両扉を蹴り破ったのだ。


 二度目の蹴りによって致命的な損傷を受けた扉は、クルクルと風車のように勢いよく回転しながら館の外へと吹き飛んだ。


 そして、消えた扉の枠を走り抜けて石段を跳び下りたハンスの眼前では、彼が察知していた通りの人間が、飛んできた二枚の木板を慌てふためきながら回避している。


 どうやら、地面に刻まれた跡を追って扉の正面、石段の下にまで来ていた黒衣達は、迂闊にもその場でどう動くか相談していたようだが、扉の飛来と狂相を晒す王国騎士の登場によって激しく狼狽させられていた。


「――――ッ!! ヒギッ――!!!!!!」


「――――ッカ!!!!!! グッ――――!!!!!!」


 悲鳴はハンスから見て扉を左に除けた黒衣二人の口から洩れていた。


 より正確には、胸部の中心、心臓が在る場所を黒い刃で一突きにされた黒衣二人の口から、だった。


「――――チッ!!!!!! ――――シッ!!!!!!」


 舌打ちに続いた鋭い吐息と共に、ハンスの背後、二人の反対側に跳んでいた一人が、懐から取り出した黒塗りのナイフを投げ放った。


 しかし、その者はハンスに手傷を負わされていた者だったらしく、腕の傷を庇ってかその刃の勢いは鈍い。


 対するハンスは背を向けていながらその呼気を敏感に察知しており、その黒い刃が放たれた直後には既に軌道上から姿を消していた。


 目標を見失いながらも直進せざるを得なかったナイフは、支えとなっていた黒い刃が引き抜かれて崩れ落ちる寸前だった黒衣の一人に命中した。


「――――ッッッ!!!!!! ギブッ――――!!!!!!」


 残った黒衣が迫るハンスに向けるべく、スティレットに手を掛けた時には既に決着していた。


 他の二人と同じく黒い刃に貫かれ、最後の一人もまた息絶えた。


 そして、怒りと痛みとで息を荒げる少年騎士は、フードの中心に突き立てた刃を引き抜いて血振りすると、改めて周囲を見回した。


「さてと……これは……やっぱ、そぉいう事か……」


 ハンスの視線の先には月夜に染まった黒白の町並が広がるだけだったが、彼の聴覚は周囲に集いつつある重い足音を捉えていた。


 そう、聖騎士達は既に館の周辺を囲いつつあったのだ。


(まぁ、これだけ四方八方から気配がするって事は、俺が逃げられないように自由行動とやらの間に村の外周に散って、そっから烏共の襲撃に併せて包囲を狭めて来た、って感じなんだろうけど……)


 何にせよどぉせ全員らねぇといけねぇんだからどんな策で来ようと関係ねぇけどな、と声も無く呟き、ハンスは取り敢えずの指針として一番近くに感じる気配へと足を向けようと――



「久方ぶり――いや、数時間ぶりだな、ハンス・ヴィントシュトース卿」


 ハンスの目指そうとした場所とはまるで違う方向、しかして、より近い建物の陰から街道に現れたのは、貴族然とした飾り髭を蓄える八フィート近い巨漢の壮年聖騎士だった。


「……これはこれは、フィデリオ・ジルベルト聖騎士長殿。こんな夜更けにそんな寝苦しそうな格好しちゃってまぁ、夜遊びか何かで?」


 一瞬の淀みはハンスの動揺の表れだったのだろうが、それを聞いても聖騎士長の感情が消された石膏像を思わせる表情に変化は見られない。


 いや、一応微かに片方の眉が動いていたが、完全に剣の間合いから外れた距離に立つハンスには気付けないほど僅かなものだった。


「夜遊び……そうだな。確かに今回我々へ課せられた任務は遊びのような物だ。卿は狩猟ハンティングを嗜んでいるかね?」


「ハッ、其方が御存知の通り、俺は元々流浪の身でね。戯れに小動物を弄ぶような悪趣味は持ち合わせてねぇよ。まぁ、ワザワザ噛みついてくるようなら首を落とすのも厭わねぇがなぁ」


 道中や館で使っていた口調を剥がし棄てたハンスは受付での会話の時以上に敵意剥き出しだが、のっぺりとした表情を保つ聖騎士長の方は変わらず平坦な口調だった。


「そうか……我が方の猟犬は討たれたか……だが、此方も逃げ込める巣穴は二つとも潰したのだからき《ー》と言った所か……いや、足を奪ってある以上は此方が優勢かな?」


「足……なるほどなぁ、道理で待たされたワケだ。アンタら、俺の馬も自分達の馬もどっかに隠したな? 『他人の財物を奪ってはならない』……れっきとした王国法違反だ。この国の平和を守る王国騎士団の一人としちゃぁ、見過ごせねぇ事態だなぁ」


 言いながら静かに刃を持ち上げて犯罪者へと向けるハンスに、此処で漸く聖騎士長の表情が明確に変化した。


「フ、フフフフフ……フフフフフフフフフフフフフフフ…………罪人! 罪人か!! 罪人と言うのなら卿の方こそ、神の教えを冒涜せし罪人であろう?」


 即ち、『楽』へと。


 とは言え、その『楽』は日向で燥ぐ幼子を眺めるような陽性のものではなく、毛を逆立てて唸る仔犬のように矮小な敵対者を見下す悪辣な嗜虐心が滲むものだったが。


「ハァ? 俺は別に、御宅のカミサマが齎したっつぅ、ありがたぁい教えなんて信仰した覚えはねぇぞ。テメェらの教えで言う『罪人』ってのは、『信仰を持ちながら教えに反した者』の事じゃねぇ――



「『救国の賢者サルヴァツィオーネ・サッジョ』」



 ハンスの減らず口を斬り捨てたのは、半世紀前に現れた王国が誇る偉人にして、幼いハンスを鍛え導いた今は亡き育て親の通称だった。

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