第22話

「邪魔しないで下さい、アイク兄さんッ!! この阿呆には真剣に勝負へ臨む騎士を侮辱した償いをさせねばなりませんッ!!」


 父親似の剣幕でハンスに槍を向け続けるファルカを無視し、アイクは自分で投げ付けた槍の元まで歩み寄って行った。


 その光景に煽られたのか未だ激高し続けるファルカは気付かなかったが、ハンスは割り込んできた騎士を見てすぐに違和感を抱いた。


「アイク……アンタも模擬戦志望だったクセに、何で服なんか着てんだ? 古着を処分してぇってんなら、こんな場所で磨り減らすより競りにでも出した方が得じゃねぇか?」


 ハンスの言う通り、昨夜の宴の席で模擬戦の話を最初に持ち出してきたアイクは何故か青緋の王国騎士制服に身を包んでおり、誰がどう見ても訓練所などという汗臭い場所へ上がり込む格好ではなかった。


 そんな式典に参加するような、或いは王家や騎士団からの招集を受けたような服装の青年騎士は、頭に血が上った妹へ冷水を浴びせ掛けるように、ハンスへ真っ直ぐ視線を合わせて淡々と要件を切り出した。


「模擬戦は中止だよ、ハンス。その代わりに、君へ招集が掛かっている。どうやら急ぎの要件らしくてね、すぐに王宮へ呼び寄せるよう託っているよ」


 唐突な要請はアイクの狙い通りに作用し、怒り狂っていたファルカの衝動を抑えさせていたが、向けられたハンスとしては新たな疑問を抱かせられるものだった。


「何だそりゃ? 一体、何させるつもりだよ?」


「僕も詳しい話は聞かせて貰えなくてね、一応『要人救助』とだけ聞いているが……ハンス、この話は断った方が良いかもしれない」


 お堅い妹ほどではないにせよ、貴公子然としたその姿を裏切らない真面目さや真摯さを持ち合わせている筈のアイクから飛び出した忠節に悖る発言に、ハンスは大きく目を見開いてその驚愕を露わにした。


「……断るって、そんなの無理だろ? 俺達騎士が国の命令に背けるワケ……まさか――


「そうなんだ。この任務はどうやら教団側からのものらしくてね……」


 言い辛そうに言葉尻を窄めた青年騎士は、それでもポツリポツリと伝えられている限りの事を口にした。


 曰く、この要請は今朝早く王宮に現れた七徳聖騎士団の聖騎士長から齎されたのだと。


 曰く、今回の祭事に参加予定だった行方不明の教団幹部から火急の報せが届いたのだと。


 曰く、その者の救援の為に王国内だけでなく、他国の地理にも詳しい人物の手を借りたいのだと。


 ついでに、別件で王宮に用があったアイクは偶然その場に居合わせたらしく、集まったメンツの中で最も若く、ハンスとも親しい彼が伝言役に選ばれたのだとも。


「――と、言うわけで、なかなか緊急性の高い依頼なんだけど、昨日があったばかりだから、用心すべきなんじゃないかと思ってね」


 そう締め括って『どう思う?』とばかりに視線で返事を促すアイクに、灰髪の少年騎士は一度だけ鼻を鳴らして石突で地を突き、彼の対面、青年騎士の背後に立つ男装騎士も槍を下ろして二人の会話を見守っていた。


「確かに『大陸一の規模を持つ』なんて言われてる宗教組織が、今更一国家の人員に頼ろぉとする意味がねぇ。しかも、その話から察するに今回は『身内の救援』っつぅ大義名分まで持ってんだから、一々御伺いなんか立てなくても好き勝手に人を動かせるワケだしよぉ」


 アッサリ頷いて見せたハンスは、先程やっていたように穂先を回して円の軌跡を描くのではなく、槍を地面へ垂直に立てたまま手の中で転がすようにコロコロと遊ばせていた。


「となると、別に狙いがあると考えてもいいだろぉなぁ。例えば――王国側から引き出させた先導役を後ろから刺すか、ありもしない罪をでっち上げて罪人に仕立て上げるか、或いは捕虜にでもして何かしらの交渉材料にするとか……いや、まともな貴族でもねぇ若造なんぞが交渉材料カードになるワケねぇから、あるとしたら前二つかねぇ?」


 平時の柔和な表情を陰らせていたアイクの話を聞いて、彼が意識的に明言しなかった『用心が必要な根拠』をハッキリ口に出したハンスは、手の中の槍を弄びながら普段と変わらない揶揄うような片頬上げの笑みを浮かべていた。


 そんな気楽な調子のハンスから飛び出た物騒な冗談にアイクは苦笑を浮かべて肩を竦めたが、ふと、少年騎士の発言は自分が濁した方について触れていない事に気付き、それに引き摺られて昨日の妹との別れ際の言葉を思い出した。


「ハハ、怖い想像だし、君の自己評価は訂正の余地がありそうだけど、あながち間違いではないかもしれないね。もしかしたら、もっと別に狙いがあるのかもしれないけど……そう言えば、昨日はあの後セフィーから何か聞けたのかい?」


 地面に突き立った槍を引き抜いたアイクは、それをクルリと振って土を払い落とすと、石突を地に着けて妹の方へと顔を向けた。


 水を向けられたファルカはアイクが予想した通りの苦い顔をしていたが、彼の位置からでは彼女の反対側に立つ騎士がどんな表情をしているかは知る由も無い。


 だが、彼も幾度の戦場を乗り越えた騎士として、背後から伝わる空気が微かに張り詰めた事は容易に察知できていた。


「いえ、私が会いに行った時は『今夜はもう休みます。明日にでも詳しく説明しますから』と、そう言い残して休まれてしまいましたので、まだ何も……」


「そっか……確かアーデルとエルマーがあと一週間くらいで帰って来る筈だったから、それまで『正式な発表』は控えるつもりなのかもしれないね」


 顔を背けて語尾を窄めたファルカに、一人納得したように頷くアイクは微妙に槍へ身体を預けながら滑らかな輪郭の口元に指先を添えた。


 サラリと口にした言葉の中に、ヴァスコールで各連合国首脳陣と狐狸の如き化かし合いに興じているであろう第一王子と第二王子の愛称が混じる辺り、王家とブルンベルク家の関係性が窺い知れるだろう。流石は侯爵家御令息である。


「ですが、二人もセフィーもそれに国王陛下も、基本的に教団への迎合には反対していましたから、恐らく何らかの対策を講じているのではないかと思われます。となれば――


「うん、間違い無く教団が何か仕掛けてくるだろうね。下手したら一触即発の事態にまで発展するかもしれない。だからこそ、この話からはどうにも嫌な予感がするんだけど……ハンス?」


 促されるまま言葉を引き継いで近い未来に起こるであろう教団と王国の決定的な不和を口にしたアイクは、昨日の夜会の終わり際と同じく黙り込んでいたハンスへと視線を向けた。


 訝しむというより気配りを乗せたその視線を受けても、ハンスは怪訝そうな表情で青年騎士を見返すだけだったが。


「……何だよ? 順番回して喋ってんのか? なら、俺はこの辺りで抜けっから後は御勝手にどぉぞ」


 そう言い捨てて手の中で遊ばせていた槍を持ち直したハンスは、今度は保持する手を中心に木槍で円を描きながら建物内へ通じる出入口へと足を向けた。

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