無限④

「やあ、来たのか。帰ろうか迷ってたところだ」


おっさんはレインコートを着ていた。僕の傘を大きな雨粒がとんとん叩いている。僕はうんだかううんだか区別のつかない生返事をして、あとは黙って海に目を向けた。空も海も、誰かが適当に絵の具を塗りたくったような灰色をしている。けれど、同じ灰色でも空より海のほうが黒っぽい。最近理科の授業で習った、穏やかな山が噴火してできた岩石の黒を僕は想像した。


「なあ、聞いたぜ。引っ越すって聞いて泣いたんだって?」


「……泣いてない」


「本当かー?」


「泣いてない!」


思っていたより大きな声が出た。さすがのおっさんも驚いたように目を見開き、「わりい」と素直に謝罪した。


どいつもこいつも、謝れば済むと思ってる。


「違うんだよ」


僕は必死になって急に大声を出してしまった気まずさから、努めて暗い海をにらみながら言った。


「……違うんだ」


そのまま、何分間そうしていただろう。雨の日は時間の感覚がマヒしてしまって、スマホの時計に頼らざるを得ない。帰ろうかな、と思った。まだ門限まで二時間以上あるが、今日を最後にいなくなるわけでもないし、特に彼に何かを言いたいわけでもない。


「……あのさ」


「はあ、釣れねー」


もう帰る、という声にかぶせるように、おっさんはそうぼやいた。


「もう諦めたほうがいいな、今日は。やめだやめだ」


「あ、そう。じゃあ僕ももう―」


「まて、クソガキ」


おっさんに呼び止められた僕は反射条件のように振り返った。「だからクソガキって言うなよ」おっさんはそんな僕の反応を見越していたようににやにやと口元をあげた。


「本当のことだろ」


「チゲえって」


「まあまあ、いいから」自分から吹っ掛けてきたのにその言い草は何事か、と僕がいうより先に彼の口が動いた。


「オニカサゴ、食ってみねえか?」

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