第8話 合奏練習
「明日からもこの時間くらいで集合でいい?」
朝練終わりの楽器準備室でそう言われて1週間ほどが経った。
寝る前は延々に胸が高鳴る生活にはいまだに適応できていないけど、今までより早く寝て早く起きれるようにはなって。
登校中は学校の小テストが難しいとか部活でいい音出せたとか...学校の出来事を他愛無く喋って。
...正直かなり幸せ。
いやだいぶ幸せ!
マジで勇気出して朝練誘ってよかったーー!
「じゃあ次小物系用意しよー」
そうや、そんなこと考えてる暇ないんや。
今日から合奏練習が始まる。
いつもは雑多に置いていた楽器たちを綺麗に整列させる。
みんなはもう慣れた手つきで言われた位置に楽器を置いていく。
こういう時、新人の男子は何をするかというと、ドラムとかグロッケン(ちっちゃい鉄琴みたいなヤツで結構音が好き)とかの重たい荷物運びだ。
いや、まあそれは全然いい。
お役に立てることはそれくらいしかないし。
ただ問題は場所なのだ。
蒸し焼きになりそうなだだっ広い空間で、気休めにもならない扇風機の生ぬるーい風が頬を撫でる。
これで6月ってマジかよ。
昼休みに友達とご飯を食べに行くときは多くの人で賑わっている場所。
物理的にも雰囲気的にも熱気がすごいなぁと思っていた場所がまさか活動区域になるなんて思っていなかったよ...
公立高校の食堂にすらクーラーを設置できないこの県に恨み辛みを言いたいところだがどうしようもないので、勝手に減っていく体力を温存するためにテキパキと用意を進めていく。
この時期音楽室はコンクールに出る先輩たちが合奏をするからコンサートメンバーは地獄みたいな食堂に追いやられてしまうだけで、いつもの合奏練習はこんなことないらしいので少しの辛抱だけど、
「暑い...」
「ほんまにな...」
くらいしか会話が湧いてこないくらい暑い。
だだっ広い部屋の片隅の準備がやっとのことで終わって、申し訳程度に置かれた扇風機の前に張り付いていると他のパートのみんながやってきた。
合奏前で練習をする人や、暑さで狂ったピッチを直す人やらで段々といろんな楽器の音が増えていく。
数人が音を出し始めたときは『これから合奏が始まるんやな...!』と背筋が伸びる緊張感があったが、それが40人程となれば...うるさい!!!
自分の声が聞こえなくなるほど室内に無秩序な音が溢れかえり、五感の一つがぶっ壊されたようで変な汗すら出てくる。
でも、その普段味わうことのない感覚が、新たな世界に踏み込んでしまったことを否応なく伝えてくる。
あまりの情報量に呆けているとどこからか手を打つ音が聞こえ、スッと音が消えた。
「じゃあ合奏練習を始めます。
まずは一曲目から、一回通してみましょうか。」
全員で「はい!」と一声上げた後楽器を構える音がカチャカチャと聞こえ、もう一度静寂が訪れる。
先輩に教わった通りに自分もグロッケンを構えるが部屋全体に漂う緊張感と暑さに当てられて心臓がバックンバックン聞こえて手が震える。
指揮者の先生の手が2回左右に振れ、曲が始まる。
数分前のカオスな空間とは真逆の、秩序立った楽器の音が全方向から自分を包み込む。
イヤホンやスピーカーで聴く音とは違う楽器が発する振動が体を震わせる。
観客は絶対に知らない感覚を手にしたこの瞬間、緊張なんて忘れて、改めて自分が吹奏楽部に入部して、高校生活を楽しんでいることを自覚した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
駅のホームの階段の陰。
まだ夕日ともいえない強い日差しを避けるのにちょうどいい。
心身共に疲れ果たした体をこれ以上酷使しないよう全力で休んで、電車を待っていた。
緊張でミスまみれだったな...
みんなうますぎるし...
鬱々と反省会をしながら向かいのホームを眺めていると、いきなり目の前に最近よく見る三つ編みツインテールの少女が。
いや同い年やから少女ではないんやけど。
「お疲れ〜、ってほんまに疲れてそうやな!」
「いや逆になんで
「いや、そりゃ暑かったし疲れたよ!
でもフルート片付け楽やし軽いしね〜」
自分がなんでこんなに疲れてるのか合点がいったわ。
そりゃこき使われてたもんな。
「合奏めっちゃ緊張したね〜
いきなり合わせるなんて思ってもなかったし!
もうちょっと初心者に優しくして欲しいよ!」
不満そうに少し頬を膨らませて喋る。
暑いのかその頬がほんのり色づいていて可愛い。
「せやなぁ。
緊張しすぎで全然ミスったし。」
「ふーかも。
もうずっと置いてけぼりやったよ...」
沈んだ空気が暑さと一緒に体にまとわりついてくる。
いやでも...
「でもみんなで演奏、楽しかったな!
なんかこう、全身で音楽を感じたと言うかさ!」
苦し紛れの一言。
これで溝尾がそう思ってなかったらどうしよう。
「ほんとに、全方向からすんごい音が聞こえてきて凄かった...!」
一瞬の緊張の後、一気に重い空気が吹き飛んだ。
自分の気持ちに共感してもらえたこの瞬間はやっぱり安心するし幸せだ。
なんだかちょっとずつ心が一体になっていくような気がして。
これで、「いや部活やめとこうかな」とか言われたらどうしようかってなってたよ...!
いつの間にか電車が来ていて、一緒に乗り込んだ。
登校の時みたいに平穏に話をして気が付くといつもの駅についていて。
本当に飛んでいくように時間が過ぎていく。
もう、終わりかぁ。
...いやいや、一緒に帰っていただいてるだけでも光栄すぎるのに何欲張ってんだよ。
一緒にいることに少しずつ慣れてきて欲が出てきてるぞ。よくないぞ。
もっと喋りたいという一言をクっとこらえてバス停へ向かう。
「じゃあまた明日ね。」
「いや、バスくるまでそっち行くよ!」
駅前特有の大きな遊歩道の中心が駐輪場とバス停への分かれ道だ。
その中心で意を決して別れを告げたのに速攻で断られた。
ここまで嬉しい断られるシチュエーションあるか!?
決心したのになんやねんとか一切思わんわ。
上目遣いでニコニコとこちらを見る彼女の視線に射抜かれて一瞬フリーズしてしまったが、悟られぬようにバス停の方を向く。
心置きなく歩を進めようとしたその時、ピカッと一筋の閃光が走る。
夕暮れには似つかわしくない、視界が真っ白になるほどの光にあっけにとられていると、轟音がバリバリと鳴り響く。
気が付くとあたりは薄暗くなりシャワーのような雨が降り注ぐ。
本能的に危険を察知し、屋根がついていると確信があるバス停へ全力疾走。
「ちょっ、ちょっと待って...!」
屋根に入ると同時にかすれた声で溝尾がポツリと一言。
左手のほんのり温かい柔らかな感触に気づき目をやると、彼女の手に続いている。
溝尾の手を引いてここまで連れてきてしまったらしい。
「いや...マジでごめん!」
弁明のしようがない。
許しもなく触れてしまったという事実に照れと焦りがごちゃごちゃになっていく。
体がぐっしょりしているのが雨なのか汗なのかわからなくなっていく。
が、彼女は嫌がる様子もなく
「全然大丈夫よ~。
それより、もうバスで帰らないといけなさそうやね。」
と。
三つ編みをハンカチで丁寧に拭きながら、やっぱり猫のような丸い目で上目遣いを向ける彼女が、いつもとは違いしっとりとしていて...
いや、よくない。
荒れ狂う天気とは真逆の笑顔に対して、よからぬことを考える思考を止めるためにいったん目をそらす。
雨で濡れた半袖カッターシャツが少し透けているなぁと気づいてしまったこともなかったことにしたい。
かわいい以外の感想を必死に抑えなければ。
タンクトップでもそうじゃなくても制服の下は考えてはいけないんだ......!
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