信秀道中記
一五二八年(大永八年) 五月末 尾張国 織田信秀
夜が明けたばかりの薄暗き道を供廻りの者たちと孫三郎、|源左衛門≪大橋重一≫と共に歩む。目指すは畔の山の中腹にある神の社、孫三郎がいたく気に入っている神の使者がおわす土地だ。
「天神様の御使い様とはいったいどのような方なのでしょうなぁ」
腹に一物を抱えた笑みを振りまきながら源左衛門が俺に語りかけてくる。ハッキリ言って俺を毎度試すような物言いをするコイツは苦手だ。
とはいえ、コイツは津島の運営を握る織田家の重臣である、多少の無礼は吞み込んで相手をせねばいかぬのが腹立たしい。
「孫三郎曰く、背丈はかなりのものと聞いておるな。目算で身の丈六尺はあるだろうと林権左も言っておる。
俺としては他国からのやってきた学がある者の騙りではないかと当初は思っておったが……」
「あれほどの品々を用意するのです、それはあり得ませんな」
「そうだ。山のように積まれた塩、見聞きしたこともない玻璃の器に封じられた酒、無臭の透き通った油に箱詰めにされた希少な砂糖の山、しまいには食うたこともない滑らかな羊羹だ。これだけでもう敵対する理由はない、むしろ絶対に取り込まねばならぬ」
「ですなぁ。逃がした魚は大きいなんてのは恥ですし、なにより織田家の懐を支える津島のためになりませぬ」
然り、そう口にして馬の歩行音のみが場を支配する。
俺と源左衛門の関係がよくないことを雰囲気で感じているのであろう供廻りの兵も、空気に当てられたのかひどく緊張した様子で長槍を握る者が多い。
「其の方、畔村まではどれくらいか」
「はっ、あと半刻≪十五分≫程かと」
護衛の兵が迷うことなく答えた。俺たちの拠点の勝幡城から出立して二半刻≪一時間一五分≫、馬を使えば一刻≪三十分≫もかからんな。なるほど、孫三郎が気ままに行き来するわけだ。
「そういえば孫三郎様は畔村で一泊されているとのことで」
源左衛門が思い出したように言う。いつも喧しい孫三郎がおらんことを不審に思い、出掛けに家中の誰かから聞いたのであろう。
「最近は政務もせずに山の主に執心らしい。関係が有用でなければ親父に説教を頼まねばなるまい」
「ご自身でやられぬので?」
「たわけ、俺が叱れば家中の火種とするものがどれだけおると思っている」
左様ですな、そういって笑い飛ばす源左衛門に嘆息しつつ、空を見上げる。
澄み切った空だ。今日は雲一つなく晴れるであろう。
◇
畔の村にて孫三郎と合流し、山の上を目指す。護衛の兵は村で待機、俺と源左衛門に孫三郎の三名で登る。
「御使いが保護している幼子たちが大人を見ると泣いてしもうてな。本当ならば源左にも遠慮してもらいたいぐらいなんだわ」
「流石にそれは承服しかねますな。津島の命運が儂の肩に乗っかっておりますので」
「そこは織田家にしとけ」
ガハハハッ、と孫三郎と源左衛門が肩を組んで大笑いする。まったく、問題児二人が組むと手に負えん。
「馬鹿笑いもそこまでにしておけ。孫三郎、案内を遂行せねば謹慎を言い渡すぞ」
「それは困る。といっても兄上、分かりやすい目印があるので迷うことはありますまい」
「この黄と黒の綱のことか、確かに目を引くな」
「御使いが言うにはトラ縄と名付けているらしいぞ」
ほう、噂に聞く大陸の猛獣の名か。
「虎は黄金の毛皮に黒の縞模様があるらしくてな、そこから名前を取ったと言っていた」
「珍しい綱ですな、津島に卸してもらえませんかね」
「津島じゃなくお前の家だろ」
「そうともいいますな」
たわけ二人の大声が再び山の中に響いた。
二刻ほど孫三郎と源左衛門の与太話に付き合わされつつ、ようやく開けた土地に出た。
だが、そこには何も存在せず、ただ雑草原になっているだけであった。
「孫三郎、件の社はどこだ」
「兄上、もうちいと上じゃ。ここから階段の道になっとるから楽じゃぞ」
そういうて孫三郎は木で見にくいが確かに存在する階段に俺たちを案内した。
「この階段の上が御使いのおわす社じゃ、兄上も源左も失礼のないように頼む」
「たわけ、お前より失礼な奴などおらぬ」
「それもそうじゃ! ガッハッハ!」
冗談≪てんごう≫を交え、空気を軽くした孫三郎が先導して段を上っていく。知らぬうちに緊張していたようだ。ほんに細かいところに気づく弟よ。
「源左衛門」
「なんでございましょう」
「御使いとやらが織田の害になると見れば、俺は刀を抜く。同調せずともよい、ただ、邪魔はしてくれるな」
急な階段で少しばかり息を荒げながら源左衛門は答えた。
「無論ですな。津島は尾張の一部ですからの」
織田の一部と言わぬ源左衛門に、相も変わらず食えぬ男だと思った。
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