短編 / 掌編

雨間 京_あまい けい

寒心

 幼いころ、三島由紀夫や大江健三郎のように、豊かで堪らない小説を書くことができていた。中学生になり古文を学ぶと、森鴎外のようにも書けるようになっている。

 絵描きや漫画家が無意識のうちに筆を持っていることがあるというが、あのころの自分は、まさしく本能で文章を書いていた。いや、言葉で表すのは難しいが、そういった認識さえなかったはずなのだ。鮭に川を登る欲求が伴っているように、小説は当たり前のものとして私の十本あった指先に宿っていた。

 

 人に自我が芽生えるのは1〜2歳だとされているが、私のそれは明確に遅かった、のだと思う。

 一度目の高校一年生のころであった。授業を受けている間、両手がムズムズしてキーボードや原稿用紙が恋しくて仕方なくなる、そんなことが頻繁に起こるようになった。1時間弱座っているというだけの、それまで苦でもなかったことが、途端に難しくなったのである。

 私はまず、先生に見えないように、こっそり手を噛んで耐えることを試した。だが、成績が適当につけられていること、或いは高校での成績が大した役に立たないこと等を何となく悟ると、あっさりと誘惑に負けることを選ぶようになった。

 トイレだ何だと告げて教室を去り、開け晒しの屋上でパソコンを開く。授業をまともに受けないのは私だけではなかったから、先生もまともには注意しない。

 それでも雨の日だけは、他の生徒のいる屋内で小説に没頭するわけにもいかず、授業中に教室でパソコンを開けば良くて没収だという話も聞いていたから、色々な方法で自分を席に縫い留めておくしかなかった。

 それまで自分の書く小説の世界しか知らなかった私は、生まれて初めて、欲求と現実の間の摩擦に出会った。両手に宿る欲望と、脳に宿る理性の分断。これが私の認識する、自分の自我の芽生えである。逆に言えばそれ以前の記憶は全く無く、全ては周囲から得た伝聞情報だ。

 推測するに、私はかなりの期間、意思と呼べるものを持たず、したがって自我も得ていなかった。自身の両手に操られ、かつ自身が両手を動かしているものだと思い込んでいる、盲目の奴隷に違いなかった。

 

 やがて私は十九度目の誕生日を迎え成人したが、まだ高校一年生でもあった。早く適当な仕事につき、小説のことやこの指のことなど忘れて慎ましく暮らしたいと、そう願っていた。誰かに優しく小説家という職業を勧められたこともあったが、その時は適当な相槌を打ったと思う。もし少しも欲求を律することなく、職業という理由を伴い四六時中この指に従ってしまえば、また盲目の奴隷になってしまう気がしていた。奇妙な言い回しではあるが、あの何の記憶もない暗黒の時代を思い出しては、私は独り寒心していた。


 自分は耳が良いのかもしれない、という考えも、自他の差異を多少認められるようになるまで、抱くこともなかった。指先で無量に連なる語彙の源泉、それはどうやら文字ではなく、私の耳に入る言葉に由来していた。走行中の電車の中でも、私は三号車以内の距離であれば、その中の会話を聞き取ることができた。もちろんその全てを一斉に理解できるわけではなく、食べ物を消化するように、その意味が頭の中でまとまっていく感覚。

 横浜やみなとみらいを歩けば言葉の濁流に翻弄され、その困難をどうにかしようと藻掻きながら、私は指を動かしていた。いや、指が私を頼っていた。毎日外の世界と触れ合う限り、耳に入る情報は処理しきれないばかりかうずたかく積み上がり、終わらない演算を強いられたCPUのように、指が苦しみを抱えていることを、私は何となく感じていた。指は溢れる情報を文字にして整理しようとしているのかもしれない。私は自分の欲求を理解したいと思った。自分の体の仕組みを解き明かしたいと思った。


 二十歳になったばかりのとき、私は一向に改善されない状況にイライラして、自分に何らの害を与えたわけでもない見ず知らずの男性の喉に、シャープペン型のカッターで穴を開けてしまった。幸い大事には至らなかったものの、同じことの起きぬようにと両親に促され、通い始めた心療内科で抗うつ剤を処方された。

 初期の副作用はなかなか苦しかったが、その後、私の精神状態は快方に向かった。すると今度は通院のたび、他の患者と自分を比較し、もう殆ど治っているのに病院などにいるのが無性に恥ずかしくなった。


 私は羞恥を十本の指に起因し、包丁で左手の人差し指、中指、薬指の先端を切り落とし、小指の骨にも多少の傷をつけた。未来と過去が混濁するような痛みに私は絶叫し、驚いてやって来た父親が包丁を取り上げた。右の掌で首筋を拭うと、競馬場の馬のように爽やかな汗が付着した。

 

 それから私はほとんど耳が聞こえなくなった。とはいっても日常生活に支障はなく聴覚障害とも診断されない。どうしても疑問に思い、医者にそれまでの聞こえ方との差異を伝えてみたところ、鼻で笑われ、今のものが常人の聴覚なのだという答えが返ってきた。


 三本の指を失って五十年が経つが、その間、私はとうとう一編の小説すら書き上げることができなかった。今の私にとって言葉を紡ぐのは、崖に架かったロープの上を手摺てすりなしで渡るようなもので、キーボードを叩いているうちいつの間にか言葉は散逸し、霧消し、眼の前が真っ暗になるのだ。

 

 今から十五年ほど前だったか、非常に生活が苦しくなったことがあって、まさに藁にすがる心持ちで、クラウドから小学生の頃に書いた二十万字程度の小説をダウンロードし、小説の賞に出してみようとしたことがあった。しかし中身を確認すると、無菌室の如く整頓された文章が現れ、それを自分が書いたとは到底思えず、結局出すのをやめたのだった。

 その時は親しい友人の一人に金を借り、偶然にも三ヶ月後に彼が死に、かつ彼が家族にも債権があることを共有していなかったことで丸く収まった。

 葬式のある時間に合わせて彼の家のある方を遥拝し、それからクラウド上にあるすべての小説を削除した。それが自然だと考えたのだ。

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短編 / 掌編 雨間 京_あまい けい @omiotuke1

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