【モネ】第12話 rainy
雨。淀んだ空。憂鬱な気分。好きじゃない。
でも最近ちょっと好きになった。雨の楽しみ方が分かってきたような気がする。
家から歩いて十分くらいにある新海御苑。中央に存在している大きな池を取り囲むように、歩道が整備されているという形の公園だ。その歩道がとても素敵。木々が生い茂り、花壇もしっかり管理されていて、四季折々の花々を楽しむことができる。
そして私が一番好きなのは、池の中の孤島だ。孤島って名前は私が勝手に命名しただけだけど、大きな池の中にぽつんと作られた小さな島のような場所だ。入り口ゲートの左手にある、石橋を渡ると行くことができる。
一人、孤島のベンチに腰を下ろす。頭上にはテントの骨組みみたいな――出来損ないの屋根らしきものがある。これは藤棚と呼ばれるものらしくて、藤が開花する時期になると天井から垂れ下がる花を楽しめるらしい。でも藤がないと、眼下の人間たちをびしょびしょにだけの出来損ないの屋根だ。
そんな屋根の真下で、雨は楽しいものになる。雨が池の水面にぶつかる音、雨が傘に擦れる音、雨が地面に落ちていく音。人の波に揉まれながら聞いている時よりも、一滴一滴生きてるような感じがした。そんなじめっとしてるけど、ちょっと温もりのある雨の音が好きになった。
そんなことを考えていた頃、青井君からデートのお誘いが来た。
「あ、も、もしもし! あ、青井です!」
「もしもーし? どうしたの?」
「あの、実はちょっと相談があって……」
「相談……? 珍しいね、何かあった――」
「よ、良かったら、来週のゴールデンウィークに、雨の降る新海御苑! 一緒に行きませんか!」
「し、新海御苑!? 雨が降ってる時にあそこ行くと楽しいよね! 私で良ければぜひ行こう!」
「え! ほんとですか!」
「久々におめかししなきゃ……よし! 当日はお弁当作って持っていくね! サンドウィッチ好きでしょ!」
「やった! 楽しみにしてます!」
「うん! 私も楽しみ! じゃあ仕事だから切るねー!」
「はい! 失礼します!」
そして来たるデート当日。天候は雨。コンディション、ロケーション共に最高です! 雨が降ると憂鬱な気分になるってのも、今までの人生における偏見の賜物――思い込みだったのかもしれない。だって、ただ待ち合わせをしているだけなのに、雨粒の一つ一つが太陽の欠片のように、輝いて見える。
心なしか普段よりも明るい曇り空の向こうから、青井君がやって来た。
「お、遅くなっちゃってごめんなさい! 雨の中待たせちゃって……」
「ううん、大丈夫! 今日はお姉さんがエスコートしてあげましょう!」
「は、はい! よろしくお願いします!」
私の指紋がどこもかしこも付いてるであろう券売機でチケットを買う。普段の癖で、大人のチケットを二つ買ってしまったのは内緒だ。まあ地域貢献しなきゃだしね! 二百円くらい余分に払ってあげようじゃないの!
「先生、やっぱりボブ似合ってますよね。短くしたのって何か理由とかあるんですか?」
「うーん……心機一転みたいな? 切り替えないとなーって!」
「そうなんですね! ロングもすごく綺麗でしたけど、今もすごい似合ってます……あれ? 前にも言いましたっけ?」
「聞いたよ! でも嬉しいから何回でも言ってね!」
「は、はい!」
傘の露先から雫が流れ落ち、右肩が少し濡れる。でも、傘をこれ以上動かしたくない。少しでも、ほんの少しだけでも、青井君に近づきたい。冷たいカーテンの向こう側の、青井君の体温を少しでも感じたい。やや左に傾いた私の傘は、隣の人間に主人の顔をよく見せてれた。
「
「あ、はい! 先生が聞きたいことなら何でも答えます!」
「何でも? じゃあ、マルカちゃん……久世マルカさんについて、どう思う?」
「久世さん? 特撮チームの貴重な体育会系って言うか、運動も出来て明るくて、尊敬できる子だなとは思います!」
「マルカちゃんが私の教え子だって話は聞いた?」
「初めて聞いたときはビックリしました……でも、先生がこの新海御苑が好きなこととかも久世さんに教えてもらったので、めっちゃ助かりました!」
「そうだよね。マルカちゃんはとっても明るくて、物知りで、運動も出来て……私にないところばっかり持ってて――」
「せ、先生? 大丈夫ですか? どっか痛いところとか……」
急に足がすくんだ。不安が私のアキレス腱を思いっきり切って来たように。裏返った傘に溜まっていく水と同じように、これ以上話してしまうと私の心に汚水が――抱いちゃいけない感情がどんどん溜まってしまうような気がした。
「だ、大丈夫だから。ちょっと足がつっちゃって……」
「肩貸しましょうか――」
「大丈夫だから!!」
情けない。本当に情けない。勝手に限界になって、勝手に不安になって、勝手に不機嫌になって。泣きだしそうな私の空を、強くにぎしめてくれる人はいない。青井君の心の片隅に傷つくような私は、もう要らない。
曇天を引き連れたまま、私は少し擦れた脚を使って立ち上がる。
「先生。今、せめてこの時間だけは、秘密はなしにして欲しいです」
「ひ、秘密なんて何も……」
「――ルミリの時も、久世さんの時も、いつもそういう顔してる。僕にして欲しいこととか、して欲しくないこととかあるなら言って欲しい」
「そ! そんなの、ないよ……」
「僕から好きって言ったくせに、女の子とつるんでるのが嫌なんですよね? 先生が言ってくれれば関わらないように――」
「違う! それは、何か、違うの……」
本当に、私は何を言ってるんだろ。友達はたくさん作って欲しい。楽しく、笑顔で大学に行って欲しい。充実した学生生活を送って欲しい。でも……でも……青井君が女の子の話をしていると……ダメだ。言葉が全然見つからない。脳内が氾濫して、海馬の中がぐちゃぐちゃになってる。
「先生。お願いがあるんですけど、聞いてもらえませんか……?」
「――何かな?」
「僕の誕生日――七月九日って教員採用試験の結果発表と同じですよね」
「うーん……たしかそうだったと思うよ」
「僕が
「――私なんかでいいの? 青井君には他にも女の子がたくさん――」
「モネさん! 僕が好きなのはモネさんです! 不安にさせてしまってるかもしれないけど……でも! 異性として好きなのは――」
「だって!! だって……青井君もどこかに行っちゃったら、私……私は――」
しぶきを上げながら青井君が迫ってくる。傘を奪われる。雨が一気に、私に押しかけてくる。冷たい。だけど、私の両手は体温で包まれた。優しく、透き通った視線を、私の目線の少し上から感じる。見上げる。私の全てを抱擁してくれるような、そんな瞳があった。雨がどれだけ通り過ぎても、私のことだけを見てくれていた。
「好きだよ、モネさん。自分の激しさを隠せないモネさんも、全部好き」
「――行かないでね」
「うん?」
「行かないで、行かないで……どこにも行かないでね……」
「行かないよ。あ! だったらずっと手を握ってくれれば――」
「私も好きだよ、ヨウ君。試験、絶対に受かるから待っててね」
「え!? あ、え!? す、好きって――」
「よし! 元気になったし私のおすすめスポットを紹介してあげよう!」
少しだけシャツの肩が乾き始めた頃、私たちはあのベンチに――出来損ないの屋根の下に腰を下ろした。早速、私お手製のカツサンドに、からまったラップを解いていく。花占いをしている時みたいに――ゆっくりと、秒針の一つ一つの動きを噛み締めるように。
「おいしい! 先生って料理もお上手なんですね!」
「ふふふ! こう見えても家庭科の成績は五だったからね!」
「あ! 僕も家庭科は五でした! 勉強はちゃんとしてたので」
「そ、そうなんだ……てかさ、もうモネさんって呼んでくれないんだね」
「え……あ! いや! あ、あれはその時のテンションって言うか……さ、流石にいきなり下の名前は――」
「いいの、呼んで」
「へ?」
「モネさんって呼んでよ、ヨウ君」
「も、モネさん……」
「はい! 何でしょう!?」
「え!? いや、モネさんが呼べって言ったんじゃ――」
そこから程なくして解散した。まだまだ一緒にいたかったけど、青井家の門限は六時らしい。別にいやらしいことなんてしな……まだしないのに。そぼ降る雨の中、しょんぼりした太陽が姿を見せた。水たまりに反射する光が、私に脚光を浴びせるスポットライトのようだ。今日くらいお姫様に――ヒロインになりたいもんね。
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