人をミミズクにするというのは簡単なことではない
ミナガワハルカ
人をミミズクにするというのは簡単なことではない
針の先をそっと押し当てると、柔らかな肌はわずかに抵抗しながら、へこむ。
女がさらに力を加えると、針は肌に潜り込んだ。そして、少し離れたところからまた顔を出す。針はそのまま肌の中をくぐり抜け、その後を細い糸が追った。
人をミミズクにするというのは、簡単なことではない。
革張りの台に横たえられた男性は、麻酔で深く眠っている。
次に目覚めるとき、彼はミミズクになっている。ミミズクになった彼はその後、横浜のとある書店のマスコットキャラクターになる予定だ。
女はまだ、ミミズクを手がけたことはなかった。
犬や猫は数多く手がけた。生き物だけではなく、リンゴやタマゴ、梨を手掛けたこともある。梨は全国的に有名になり、女の代表作となった。鳥では、キジ、鳩はやったことがある。ミミズクはない。
ミミズクは、フクロウの一種だという。古名をツクとかズクとかいい、耳があるのが特徴だそうだ。といっても、本当の耳ではない。羽毛の尖り具合がそう見えるというだけで、本当の耳は別のところにある。フクロウのうち、この耳のようなものがあるものをミミズクというらしい。
しかし、耳があってもミミズクと言われない種類もいれば、耳がないのにミミズクと呼ばれる種類もいるのだという。実にいい加減なものだ。
人間が勝手にそう呼んでいるだけなので、当の本人たちは知ったことではないのだろうが、ただ、これからミミズクになるものにとっては重要なことではある。フクロウではなく、わざわざミミズクという注文であったのだから、当然、耳があることを期待しているのだろう。だからそのようにしなければならない。
女は丁寧に針を動かす。女の額にはうっすらと汗が
室内の照明は、作業台の上に置かれた傘付きのランプが一つきり。しかし、作業台の前にある大きな横長の窓からは、開かれたブラインドの隙間から陽光が差し込んでいる。陽光は、板張りの床だけでなく、室内全体を静かに照らしていた。
室内には、ストーブの燃える音と、その上に置かれたやかんが蒸気を吐き出す音、そして女の作業する音だけがあった。
ブラインドを通しては、外の景色が見える。
森の手前にわずかに広がる野原は、花々がふっくらとつぼみをふくらませ始めている。だがその向こうに見える山々はいまだ白く冠雪し、雪どけはもう少し先のようだ。
女は針を通し終えると、糸をきつく引き絞り、手早く結んだ。
人をはじめとする哺乳類と鳥。その骨格は基本的に同じ構造をしている。腕には肘があり、手首があり、指がある。ただ、それぞれの骨の長さや形が違うために、あるいは前足となり、腕となり、翼となるのだ。
人間の腕同様、鳥の翼もまずは肩から下に向けて上腕が伸びたあと、肘で逆方向に折れ曲がる。そして手首でもう一度下に向けて折れ曲がり、そこが翼の先端部分となる。
そのため、人の腕を鳥の翼にするには、まずは指をうんと長く伸ばしてやらなければならない。そして、必要であれば上腕と前腕をつめて短くする。この男の場合、つめなければならないようだ。
女は
ミミズクをはじめとするフクロウは、飛ぶときに風を切る音がしないという特徴を有している。
暗い、夜の森の闇の中、フクロウは音もなく飛翔し、獲物を捕らえる。
これは、翼の先端の羽根が特殊な構造をしているためである。現代ではその構造が航空産業にも応用されているらしい。しかし、人をミミズクにしようという今にあっては、大変面倒な工程になる。普通の鳥よりも手間がかかるのだ。よってその分は、別料金として上乗せをさせてもらった。
首がぐるっと一周まわるというのもフクロウの特徴のひとつだが、この加工はそれほど手間がかかるものではない。また、フクロウは目が顔の正面についている。他の多くの鳥の場合は横についており、そうであれば眼の位置を変えてやるという手間が生ずるのだが、フクロウはその必要がないので、そのぶん手間が省ける。よって、このふたつは相殺ということで、料金には反映させなかった。
フクロウは、西洋においては古くからおおむね厚遇をえてきた。
古代ギリシアにあっては女神アテナの化身。
中世にあっては知恵の象徴とされた。
時代や地域によっては、やれ声が不吉だの、やれ姿を見ると悪いことが起きるだのと因縁をつけられもしたが、童話や民話の中では物知り役を与えられ、魔法使いのお供に選ばれと、とにかく知的で神秘的なイメージを維持してきた。
その結果が、
ところが、これが東洋となると、まったく話が違ってくる。
夜に行動するという点を問題視された結果なのか、不気味な鳥として広く認定された。姿を見かけることは不吉なこととされ、死の象徴とさえされた。
確かに、夜の深い山のなか、ほう、ほう、という鳴き声は怪しく響く。
顔の正面に目がついているという特徴も、こうなってくると不気味さを増す方向に作用する。
身体に対して不自然に回転する頭。
その頭に二つ並んで目がついている様子は、鳥というよりもむしろ人間を想起させる。しかしその目はほぼ真円。そして、その中に浮かぶ黒い瞳もやはり真円で、およそ人間の目とはかけ離れている。ちらと見た限り、意思の疎通など到底考えられない。
夜の山で、丸い目でじっとこちらを見つめる姿を見かけた時の恐怖は、想像に
しかし、だからといって、フクロウの雛は親を食ってしまうという、ありもしない噂を流すのはやりすぎであった。
誰が言い出したのかは知らないが、これを信じた古代中国では親不孝な鳥と非難された。
それが
そもそも「
晒し首のことを
残念ながら、無責任な虚偽の情報が
日もすっかり高くなり、差し込む光の角度も深くなった。
壁の時計が鐘を打った。正午の鐘のようだ。
女は手を止め、作業の進みぐあいに満足して、ほっと息をついた。
大きくひとつ伸びをしてから、女は後ろに並んだ戸棚に歩み寄った。そこには様々な大きさや形の
女はその中から赤いブリキの缶を取り、部屋の隅にある小さなテーブルへ移動して、開けた。
中に入っていたのは、珈琲豆だった。たちまち部屋中に香りが広がる。
女は丁寧に豆を挽いてから、ストーブで沸かした湯を使い、やはりブリキのマグカップに珈琲を落とした。
最後の一滴が静かに落ちたのを見届けると、女は木製の小さな丸い椅子に座り、持参した包みを広げた。彼女の昼食のサンドイッチが姿を現す。
山形の食パンを焼かずに、レタス、キュウリ、トマト、ハムをはさみ、マヨネーズとマスタードで味をつけただけのシンプルなサンドイッチだったが、女はこれが一番好きだった。
女がかじりつくと、柔らかなパンの中で耳だけがわずかな抵抗を残して、切れていった。
サンドイッチをかじり、珈琲をすすり、女は考えていた。
マスコットキャラクターになるためにミミズクになろうとは、物好きな人間である。しかも、世の中にあふれかえるキャラクターを見ると、そんな人間がたくさんいるのだということになる。
実際、女のところに来る人々は後を絶たない。
女はそれで暮らしていけているのだから、文句を言えた筋合いのものではないのだが。
古代の中国には、
後宮というのは皇帝の妻や
とはいっても、広い宮殿であるため、力仕事などでは男がいなければ困ることも多かった。そこにうってつけだったのが、去勢された男である。
もともとは、去勢は刑罰だった。
古来、中国は血筋、家系を残すということを重んじ、血を絶やすというのは最大の親不孝とされた。よって、非常に重い刑罰として、去勢という手段が存在したのである。
こうして、需要と供給が一致し、去勢された男性が宦官として用いられるようになった。
だがそのうち、宦官は力を持ち始めた。
宦官は、皇帝や皇妃の近くに
それだけではない。
次期皇帝となる皇子の養育を担うこともあった。うまくやれば、次期皇帝を思うままに操ることもできた。
宦官はいつしか、出世の道となっていったのである。
こうなると、宦官になるために、自ら望んで去勢を受けるものが現れる。当時の未発達な医療技術では、命を落とすことも少なくなかったというのに。
マスコットキャラクターになるためにミミズクになるというのは、これに似ているな、と女は思った。
食事を済ませた女は、手早く後片付けを終え、仕事に戻った。ついに、仕上げである。
きれいに染め上げた羽根を、一枚ずつ、丁寧に植え付けていく。
それまで肌がむき出しで、寒々しく哀れであった男の姿が、少しずつ、しかし着実に愛らしくなってゆく。
すべての羽根を植え終えたとき、男は完全にミミズクであった。特別製の風切羽根も、問題なくおさまった。
外はすっかり暗くなっていた。
冷たく輝く星々の下に、山々が白く光っていた。
そろそろ、男の麻酔が切れるころである。
女が見ていると、男の瞼がわずかに動いた。そして、ゆっくりとその目が開いた。
梟の
梟は何度か瞬きをして、ぱちぱちと瞼を合わせた。
――気が付きましたか。
女が言った。
――ここがどこか、わかりますか。
続けて尋ねると、梟はわずかに首をひねった。
――自分が誰か、わかりますか。
すると、梟のくちばしが開いた。
「わたしは」
次の瞬間、梟は翼を大きく広げ、ばさばさと動かす。
そして、そのくちばしからは、音量の調節が壊れたような大きな声が漏れ出した。
「わたしわ、わた、わたし、わ、シシシ」
女はあわてて梟を押さえつけようとする。
しかし梟は抵抗し、あばれながら、ぎぎぎ、という声を漏らし続ける。
そして、女が翼を抑えると、今度は激しく首を回しだした。
右へ、左へ。
梟の首は、一周回る。
しかし激しく回しているうち、首が一周以上回ってしまった。
その瞬間、梟は動きを止めて固まり、そして、だらりと身体の力が抜けていった。
また、だめだった。
女は舌打ちすると、抱えていた梟を床へ放り投げた。
人をミミズクにするというのは、簡単なことではない。
最も難しいのは、頭の大きさを小さくする工程である。
小さくするには、脳みそを少し減らさなければならない。
減らすのは、重要ではない部分を見極めて、匙で掬い取らなければならない。重要な部分を取り除いてしまうと、今の男のようになってしまう。これだけは、個体差もあり、何度やっても見極めが難しいものだった。
女は男の身体を抱え、作業場から出た。
夜の冷え込みは厳しく、女は思わず身を縮める。
女はそのまま裏にまわる。
そして、うずたかく積み上げたごみの山に、放り投げた。
山は、また高さを増した。
作業場に戻った女は、後片付けを始める。
革張りの作業台、棚、丁寧にみがいていく。
使用した道具も拭き上げ、棚に並べる。
今日の作業は終了である。
明日もまた、頑張ろう。
明日の男は、そろそろ成功させたい。
そう思いながら女は電気を消し、作業場を後にした。
月のない夜、梟の声が静かに響いていた。
人をミミズクにするというのは簡単なことではない ミナガワハルカ @yamayama3939
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