ロリばば★マイしすたー
サンカラメリべ
ロリばば★マイしすたー
妹が事故に遭った。その知らせを聞いたのは、まだ学校で六限の授業を受けている最中であった。突然の知らせに動転した俺は荷物も纏めず激情に駆られるまま教室を飛び出した。わき目も振らず走りまくった。妹が搬送された病院には両親が既に着いており、妹はベッドの上で横になっていた。
「信号でね、車に跳ねられてしまったそうなの。その衝撃で意識を失っているって。幸い怪我は軽い打撲程度だったから、意識が回復するのは時間の問題だそうよ。ただ……」
「ただ? 何を言い淀んでんだよ母さん!」
「あっ、うう、うううう」
「
「どういうことだよ。歯切れが悪い言い方は止めてくれ父さん」
「美沙羅が目覚めるのに時間がかかるかもしれないということだ」
「そんな。沙羅は目覚めるよな? 怪我は軽いんだろ?」
「ああ。だからそう心配するな。きっとすぐに良くなる」
父さんは希望を述べているだけに過ぎないことはわかっていた。事故に遭うということがどれ程恐ろしい出来事なのか、俺にはわからない。突如背後から怪物に襲われたようなものだろう。今の俺には祈るしかできない。途轍もない無力感が、俺の喉を締め上げた。
それから一週間以上が経過した。美沙羅はまだ目覚めていなかった。俺はその間、毎日見舞いに訪れていた。事の経緯を知った友人も心配してくれていた。妹だけじゃなく俺のことも。玉手箱を開けたように、ほんの短い期間で老人になってしまったようだと言われた。確かにくまが酷いな。鏡に映った俺は妖怪みたいに生気が無い。今日こそは目覚めてくれるだろうか。暗鬱な気持ちになりながらも、美沙羅の待つ二〇七号室に向かった。
入室すると、向かいの窓から日差しが差し込んでいるのが目に入る。そして、窓の外を眺める人影が一つ。
「美沙羅!」
俺が大声を出して駆け寄ると、目覚めたばかりの妹は驚いた表情で俺の顔を凝視した。まさか記憶障害? 兄の顔立ちを忘れてしまったのか⁉ 俺が何も言い出せず焦っていると、美沙羅はすっと手を伸ばして俺の顔をぺたぺた触り始めた。
「ふむ……むむむ」
そして何か悩み始めた。美沙羅は自分の身体を一通り見回してから、何か得心いったように笑い出した。俺はもう、妹がおかしくなったんじゃないかとその様子を黙って眺めているしかできずにいた。
「やぁ。随分久しぶりじゃねぇ、仁志兄さん」
「え⁉」
喋った! 美沙羅は意識がはっきりしているようだ。でも、話し方がおかしかった。事故に遭う前は「お兄ちゃーん」と可愛くすり寄ってくれていたのに、先ほどの声は声質だけが美沙羅の別人みたいだ。
「み、美沙羅?」
「ふふふ。なぁに、心配しなくていいんですよ。ちぃっとばかし眠っている間に別の世界で暮らしていただけですから」
「え? 異世界アニメみたいに?」
「おお。ありましたねぇ、そういったお話が。向こうの世界で目が覚めた時もそんなことを思ったのを思い出しました。さて、兄さん。今日は何日ですか?」
「今日は十月八日だよ。美沙羅が事故に遭って今日でちょうど十日目だ」
「そりゃまぁ。兄さん、確かに私は異世界に行っていたみたいです。そこでざっと八十年は生きたかねぇ」
「はちじゅっ⁉」
八十年ってじゅうぶん大往生じゃないか? だからこんなにも婆さん染みた喋り方になってしまったのか。いや事故に遭って記憶が変になっているのかもしれないけれども、目の前でこうして喋っている妹の正気を疑いたくなんてない。
「老衰で亡くなる時に神様が迎えに来てくださってね、元の世界にもどしてあげるって言われて、そうして戻ってきたんです」
「そんな漫画みたいに……。そうだ! どこか痛いところとかはないか? 十日も寝たきりだったんだぞ?」
「さてねぇ。若返ったようでむしろ元気いっぱいですよ。老体は無理がきかなくて」
「本当に八十年も過ごしたみたいだな」
「ほんとですよ。向こうではとある騎士の家に拾われましてね、そのまま養子として過ごすうちに縁あって結婚もしましたし、子どもも孫もできましたよ」
「うわぁぁぁ!!!!」
「亡くなる数日前には孫夫婦がひ孫を見せてくれましたねぇ」
「いやだ! やめてくれ! 妹が、妹がそんな、異世界のどこの誰ともつかない男のものになっていただなんて」
「む。そんな言い方はいくら兄さんでも許しませんよ。私を娶ってくれた方は素敵な殿方でした。十も年が離れていたのに初めから私のことを一人前の女性として扱ってくれて」
「ごばぁぁぁぁっっっっ」
ロリコンじゃん。俺より年上ってことでしょ。もう無理。死ぬう。いや、待て。何かの小説の内容を自分の記憶として処理してしまっているのかもしれない。
「その人の名前は憶えているかい?」
「ええ。性はゴショウ、名はゼド、字(あざな)をムクロウと言います」
「なんだって?」
諸葛亮孔明かよ! 名前の構成の仕方は中華系っぽいけど、いったいどんな文化の国に行っていたんだ?
「それじゃあ、向こうではどんな生活をしていたんだ?」
「私を引き取ってくださったのはノゴソの一族の方でした。先ほど言いましたように代々国から騎士を任されている一族で、私も養子として騎士の訓練を受けましたよ。あとはまぁ、騎士としていろいろ働かされましたねぇ。私を拾ったのも、単に親切心だけじゃなくて色々と目的があったみたいでした。私は別世界から来たせいか、向こうの国では誰しもが当たり前に持っているはずのモウと呼ばれる魔力のような力を全く持っていなくて、それで何度も命拾いしました。敵のモウを操る術を悉く無効化できましたからそれで重宝されて、何度目かの戦の後、正式にノゴソの一族に迎えられ、縁談も纏めてもらえました」
「そ、そうか。不便だったりしなかったのか? 病気とか」
「不便と言えば不便でしたけども、幸い大病を患うことはありませんでしたね。モウが乱れると病に罹ると散々聞かされましたが、モウを持ちませんでしたので」
「なるほどぉ」
なかなか設定が作りこまれているな。異世界に行っていたなんて眉唾物過ぎていかに妹であれど信じるに値しないと思っていたが、雲行きが怪しい。ここで試してみるか。
「美沙羅、身体は動くか?」
「ええ、問題なさそうです」
「よ、よし。それならそのノゴソの一族とやらに鍛えられた騎士の腕を見せてくれないか?」
「はい、いいでしょう。まだ違和感は残っていますが簡単な型くらいならできそうです。何か棒とかはありますか」
「棒?」
「鉛筆くらいで構いません」
「あ、なら」
ポケットを弄ると、教室を飛び出したときに握っていたシャーペンが出てきた。それを妹に渡す。受け取った美沙羅はベッドから降りると、少し離れるように言った。俺は五歩程度下がった。
「ふっ。はっ」
目を閉じ息を整えてから、勢いよく美沙羅はペンを空に突き刺す。それに留まらず伸ばした腕を引く動作から滑らかに背後にいる仮想敵の腹を貫き、さっとその後ろを取って止めを刺した。その時、確かに俺はそこに返り血を浴びた妹が立っているように見えたのだ。
「そうですねぇ。まま、よしとしましょう」
「嘘だ嘘だ嘘だ噓だ」
「これで信じる気になりましたかね、兄さん」
「あ、ああ、ああああ、信じるしか、ない、よ」
俺はその場に泣き崩れた。
妹が退院した! それは嬉しいニュースのはずであった。なのに、我が家はお通夜のような雰囲気であった。それもこれも、美沙羅が別人のようになってしまったからである。毎日朝早く起きては家の近くの公園で“リハビリ”と称した武道の稽古を行い、両親の代わりに食事を用意して、何かよくわからない言葉で祈りを捧げてから、小学校に向かう。日記をつけているらしいが、見たことが無い文字で綴られていて家族が盗み見ることができなくなっており、俺たち家族は美沙羅の復活を素直に喜べずにいた。
そんな状態からいち早く回復したのは、母さんだった。新しい美沙羅を受け入れ、異国の料理を習うようになっていた。まだ九歳の女の子に四十を超えた女性が料理を習っているのである! 対して、俺と父さんはもう二度とあの可愛い妹の姿を拝めることができないということを毎日嘆いていた。
母さんから妹の学校の様子を聞いたが、意外にも順応しているらしい。ただ、妹に悪戯しようとした男子が軽く捻られてしまったせいで、ちょっと怖がられているんだとか。ちょっとで済むかなぁ? 両親には言っていないが、美沙羅はたぶん向こうの世界で人を殺している。一度、「兄さんに稽古をつけましょうか?」と誘われたが、断った。「自分の身を守るための保険ですよ」と言っていたけれども、たぶん妹は勘違いしている。妹の言う身を守るは生死を問われるレベルのもので、今この国でそこまで切羽詰まった状況になることはほぼないのだ。九年と八十年ではどっちの常識に引っ張られるかなんて一目瞭然だ。むしろ、大きな問題を出さずに(以前とはだいぶ違うが)それなりに社会に順応して暮らしているのが奇跡である。まぁ、あの婆さん染みた話し方は直せないようで、たまたま通りかかった公園にいた妹のクラスメイトに「みさらばばあの兄貴だ!」と言われたので俺はぶちギれた。大丈夫、ちょっとお話しただけだから……。
正直、話していいかどうか迷ったが、俺は友人の一人である
「何も殴ることはないだろー」
「うるせぇ! 二度とその口が満足に開けないように歯ぁ全部へし折ってやろうか!」
「うわぁ! すまん! つい口が滑ったんだ。もう二度と言わないよぉ。あ、だけどさ、一回会わせてくんない? 本当かどうか見て確かめたいんだよ」
「あー、仕方ないな。今度俺の家に遊びに来いよ」
「よっしゃ」
こいつ大丈夫かな。妹に邪な目を向けたら石を括り付けて川に投げ込もうか。いや、そんなことする前に妹にけちょんけちょんにされる。逆にこいつの安否を案じていた方がいいかもな。
翌日、俺が辰斗を連れて帰宅すると見慣れない服装の妹が出迎えてくれた。チャイナドレスでも浴衣でもないけど、洋服よりかはそれらに近い格好だ。
「美沙羅、その服はどうしたんだ?」
「これですか? 学校の先生に頼み込んで家庭科室のミシンを貸してもらって作ったんですよ。洋服は息苦しくて。それで、お客さんですか。兄さんがお世話になっております」
すっと綺麗なお辞儀をする美沙羅。それに対して、辰斗は感動したのか涙を流していた。なんだこいつ気持ち悪いな。
「おい、どうしたんだよ」
「ひ、仁志。おれは今、お前の友人であることを神に感謝している」
「は?」
「……美沙羅ちゃん。いや、美沙羅様。どうかおれの頼みを聞いてくれ。それを聞いてくれたらおれは何でもする」
「ほほぉ」
「おい! 俺の妹に何するつもりだこの変態!」
「いいじゃないですか、兄さん。私に何をしてもらいたいんですか?」
「語尾を、『なのじゃ』にしてほしい」
「おい!」
「えっと、それならお安い御用、なのじゃ?」
「あああああああああ!!!!!!!!!」
「うるせぇ!!!!!」
俺は手加減せず思いっきり辰斗をぶん殴った。しかし、辰斗は逃げも防御もせず、甘んじてそれを正面から受け止めた。火事場の馬鹿力なのか何なのか、そのまま辰斗は玄関から数メートル吹っ飛んで、家の塀にぶつかった。うっわ、満面の笑みを浮かべてやがる。キモ。
「だ、大丈夫か⁉」
「あ、ああ。問題ない。仁志よぉ、おれはもう死んでもいいぜ……」
「それは大丈夫じゃないだろ!」
「兄さん、あまり動かさない方がいいです、なのじゃ。今、氷を持ってきますからそれで患部を冷やしましょう、なのじゃ」
「やっぱり死ね辰斗。妹に変な語尾を覚えさせた罪は重い」
「ふふっ。のじゃロリは正義さ」
わけのわからないことを言って辰斗は気絶した。俺が気絶させたと妹に勘違いされると嫌だったので、俺は辰斗を担ぐと急いで自分の部屋に駆け込んだ。
「ん? どこだここ?」
「やっと起きたか変態め」
「お、仁志じゃん。おれ気絶してた?」
「その通りだよ変態」
「なぁ、おれが悪かったからその変態って言うの止めてくれないか? おれが悪いのはわかってるけどさ」
「そうそう。そうですよ、兄さん」
「美沙羅さん!」
美沙羅がお茶とお菓子を持って部屋に入ってきた。ドア越しに話が聞こえていたらしい。仕方ない、ここは妹に免じて許してやろう。お茶はわざわざ美沙羅が母さんとデパートに行って買った茶葉をブレンドして淹れているものである。我が家以外では飲めない代物をこんな変態に渡していいものか悩んだが、美沙羅の前で妙な真似はできない。俺が客に粗相をしないか妹の目が光っているのがわかったからだ。
「う、美味い!」
「これもどうぞ。お口に合うと嬉しいのですが」
「美沙羅さんが作るものは何でも美味しいですよ!」
こいつ、味わって食べるということを知らないのか。心の底から美味そうに美沙羅お手製のお茶菓子を食べてやがる。妹が嬉しそうなのは兄として複雑な気分だ。
「そうそう、なんでもしてくれるそうでしたね」
「は、はいぃ!」
「なら、私の弟子になる、というのはどうでしょう?」
「へぇ?」
間抜けな声を出したのは辰斗……ではなく俺である。辰斗はきょとんとした顔で頬袋を膨らませていた。これはこれであほ面だな。
「私は同級生には怖がられていて、誰も弟子にできそうにないんですよ。兄さんのご友人なら、年齢的に身体も出来上がっているし、ちょうど鍛えがいがありそうだ、と思いました」
「是非是非! おれ、弟子になります!」
「ま、待て辰斗。お前、俺の家からまぁまぁ離れたとこに住んでないか?」
「自転車で一時間もあれば着く。そんぐらい楽勝だぜ!」
楽勝だぜ! じゃないんだよ。なんの弟子になるかこいつに教えてやらんといけないな。
「なぁ、美沙羅。せっかくだし近くの公園で普段やっている稽古をこいつに見せてあげてくれないか? 弟子にするのはその反応を見てからでもいいだろ?」
「そうですねぇ。そうしましょうか」
「え、なになに? 稽古?」
「いいから黙って付いてこい」
辰斗を連れて、妹とともに近所の公園に訪れる。いやぁ、いつ来ても人がいない寂れた公園だな。だからこそ都合がいいんだろうけども。
「はい。じゃあ、辰斗さん、でしたね。私に襲い掛かってみてください。殴ってもよし、蹴ってもよし。なんでもいいですよ」
「え? え? さすがに事案過ぎません?」
「いいからいいから」
なぜ美沙羅が一人で稽古しているのに家族の誰も文句を言わないのか。それは……。
「お、おりゃ~」
「ふっ」
「うわ! なに? いってぇぇぇ!!!」
弱弱しく殴り掛かった辰斗は、瞬き一つの間に地面に叩きつけられていた。体術、剣術、その他いろいろ。美沙羅は何十年も身体に叩きこんできた。それはこの世界に戻ってきても魂にしみついているのか技術をまるまる持ち込めており、なんなら日々のリハビリによって更に磨きがかかっている。「この身体は未成熟だから、成熟するまでに改造できそうです」とは本人談。つまり、まだまだこれから進化するらしい。
「はぁ、はぁ。えっと、なにこれ?」
「どうだ? 美沙羅は武道の達人なんだよ。お前が弟子になっても付いてこれない」
「やべぇ、やべぇよ」
「おとなしく断っておけ。畳もなにもない場所で稽古するなんてお前の身が持たないぞ」
「むむ。兄さんの言う通り、稽古する場所としてはこの公園は適しませんねぇ」
「うるせぇ! おれはやる。おれはやるぞ仁志ぃ!!!!!」
「なんだと⁉」
「馬鹿野郎! おれの身体は羽毛よりも軽く、おれの命は石ころよりも安いんだ。これはきっと女神様の思し召しだ! おれはやるぞ!」
「そ、そうか」
駄目だこいつ。テンションがおかしくなってやがる。言っている意味がよくわからない。女神の思し召しだとか何だとかほざいているが、脳みそが誤作動を起こしているんじゃないだろうな?
「その意気やよし! 兄さん、口を挟みませんようお願いします。この人が私の弟子になると宣言した以上、ここからは私とこの人の問題です」
ショックだ。お腹が痛くなってきた。俺は、俺はこんなにも脆いのか。辰斗のやつ、覚えていろよ。せいぜい稽古に励んで美沙羅を満足させろ! 稽古に身が入らなくて美沙羅を困らせることがあれば、今度こそお前が日の目を見ることはない。
「今日は稽古はしません。都合のいい日はありますか。日程を合わせましょう。それから……」
本格的に稽古を始めるための話し合いが始まった。こうなれば俺は完全に部外者である。帰宅して食器洗いでもしていよう……。
それから、辰斗がよく家に顔を出すようになった。父さんも母さんも、もはや美沙羅が弟子を取るということに反対する気はないようだった。友人が妹のことを「師匠」と呼ぶのは奇妙な感じで、かといって俺と辰斗の関係が変わったかと言えばそれほど変わっていない。むしろ、辰斗は俺のことを前よりずっと信頼するようになっていた。ときどき「のじゃロリこそ至高。ロリばばあは神。萌えの極致」みたいな危ないことを口走っているのは目にする。
「お前、美沙羅のことをよくない目で見てるんじゃないか?」
「師匠のことを? 馬鹿言うな。強いて言えばこれは純粋な信仰心だ」
「ええぇ」
どう考えても犯罪を犯してないだけの異常者であるが、時間が経過するにつれて普段の動きに切れが出てきているようだった。運がいいのか、妹曰くそこそこ筋が良いようで、飲み込みが早いらしい。
そんなある日、我が家に見知らぬ男性が訪ねてきた。身なりが非常に整っており、物腰柔らかな人物であったが、妹と同じような武人めいた鋭い雰囲気を纏っていた。
「ミサラさまはいらっしゃいますか?」
それは確かに妹の名前であったが、発音の仕方に違和感があった。この国の生まれじゃないな?
「はいはい、いますよ」
俺が何かを答える前に、美沙羅が玄関に顔を出す。すると、男性ははっと驚いた顔で妹のことを見つめていた。敵というわけじゃなさそうだが、怪しいことこの上ない。そして、妹もその人に何か通じるものを感じ取ったらしかった。
「兄さん、暫くのいていてくださいませ」
「わ、わかった」
邪魔である、と告げていた。俺は渋々その場から離れたが、気になるものは気になる。美沙羅とその男性が一緒にどこかに向かいだしたので、こっそり後から付いていった。
うーん。何か話しているけど聞こえない。目的地は例の公園のようだ。あそこは人がいないくせに広いから、近くに寄ることは不可能だ。風下に行ってみればちょっとは聞き取れるかな。……駄目だ、わからん。
「あれ、仁志? ここで何やっているんだ?」
「辰斗。どうしてこの時間に? 今日は稽古はないんじゃ」
「それなんだけどさ、用事が早く終わったから稽古をつけてもらおうと思って来たんだよ。でもなんだ、先客がいるのか」
「しぃー、しぃー。俺を見てわかんねぇのかよ。隠れてんの!」
「ん? もう気づかれてるぞ。ほら」
振り返ると、妹が立っていた。その横にはあの男性。
「こそこそしてもわかっていますよ、兄さん」
「あは、あははは」
「やっぱりこの人が。じゃあ、その隣にいる方が母のお弟子さんですか」
「ええ。そうですよ」
「母?????」
「はい。わたくし、ムクロウとミサラの子、エンデイと申します」
「ああ、この方が以前お話されていた師匠の娘さんですか」
「娘?????」
「奇妙な話ですが、わたくしには二つの記憶があるのです。一つはこの国で十八歳まで生きた記憶。もう一つが、こことは別世界で五十六歳まで生きた記憶です。わたくしは病で母よりも先に死んでしまいましたが、まさか再び会えるとは驚きです」
「わけわからん」
「確かに複雑怪奇極まる現状ではあります。ですが、この国では母とわたくしは全くの他人。昔の知り合いとでも思っていてください」
異世界転生ものの読み過ぎか? 九歳で向こうの世界に行って結婚して子供ができて、そうしてその子供が今ここにいて、でも美沙羅が眠っていたのはせいぜい十日間だから、これって時間軸が矛盾しているよな⁉
「待て待て待て。美沙羅が向こうの世界にいたのは、この世界で十日間程度だぞ? それじゃああんたは美沙羅が向こうの世界に行く前から美沙羅が母親だっている記憶を持ってたってことか⁉」
「違います。この記憶は十月の七日に高熱を出した際に会得したものです。これは、もともとこの国で生きていた美琴に偶然にも繋がってしまったエンデイの記憶が流れ込んだという、ひとつの霊的な現象と言えるでしょう」
「それは、大変でしたね……」
「初めは困惑しましたが、美琴の自我とエンデイの自我は溶け合うようにして互いを受け入れました。なので、今はもう大丈夫です」
「せっかくですので、エンデイも稽古をつけてあげましょう」
「う。母の稽古は怖い思いでしかありませんが、その用意はしてきました。やりましょう!」
「辰斗さんもやりますか? 今日は休みですが」
「やります!」
「じゃあ、俺は見学してます」
情けない。でも、俺が参加しても邪魔なだけだ。せめて邪魔にならないところで見守っていよう。エンデイさんが人目を憚らず服を脱ぐと、胸が僅かに膨らんでいた。声が低いから男性的な体つきをしているのかと思ったが、違ったのか。辰斗は知らない間に逞しい身体になっていて、俺はただ眺めているだけなのに負けたような気分だった。
武道の稽古というものは、こんなにも美しいものなんだなぁ。日が傾きやや赤みを帯びてきた陽光に照らされる三人の姿は、まるで映画のワンシーンのようだった。辰斗のやつ、ずいぶん様になっている。
「よしよし。辰斗よ、しっかりと基礎を固めておるようじゃのう」
「母さん? どうしたのその口調?」
「なに。弟子がこの口調で話しかけるとやる気を出すから稽古中はこうやってしゃべるようになったのじゃ」
「ふーん」
前言撤回。辰斗は今すぐこの世から消し去らなければならない存在だ。あれ、なんかすごい寒気がする……。これは、エンデイさんの殺気⁉ 離れているはずなのにエンデイさんの殺気がビシビシ感じ取れる。それなのに辰斗はエンデイさんに睨まれてもなおそよ風に吹かれたように平然としていやがる。あそこまで欲望に忠実だともはや尊敬の域に達しているな。この殺気の中で普段通りの稽古を続けられるお前は英雄だよ。
「エンデイよ。やる気を出してくれて私は嬉しいのじゃ!」
美沙羅が殺気をやる気と解釈してくれたので、稽古は続行だ。夕陽に照らされる三人の影の動きがメトロノームのように重なっている。まだ稽古は続きそうであったので、俺はいったん家に帰ってスポドリを持ってきた。それにしても凄い集中力だ。途中で俺がいなくなったことにまるで気づいていない。
「やめ!」
美沙羅の鶴の一声で、他二人の動きが静止する。それすらも最初から演目に決められていたかのごとく滑らかな所作である。つい見惚れていしまいスポドリを渡すのを忘れかけていた。
「水分補給は大事だぞ」
三人分の紙コップにスポドリを注いで、渡す。
「ありがとう兄さん」
「ありがとうございます」
「ありがとな、仁志!」
「辰斗、お前には言いたいことがあったが、まぁ、今回は許しておくわ」
「わたくしも、今日はやめておきます」
「え? なんだよ? 教えてくれないと不安で眠れなくなっちゃうだろ!」
「なっとけなっとけ」
辰斗のやつ、本気でわからないって顔をしている。それにエンデイさんと俺は呆れてしまうのだ。美沙羅は美沙羅で、なにか嬉しいのか満足そうに笑みを浮かべている。
「エンデイ。私がいない間もきちんと鍛錬にはげんでいたのですね」
「はい、母さん。美琴の両親には驚かれましたが、病に苦しんで身体を鍛える必要性を感じたと説明したら納得してもらえて、わざわざ稽古場所まで用意してもらいました」
「それはいいことです」
絵面はへんてこりんな親子の会話。妹の暮らしていた異世界がたびたび戦争が起こる世界であったので、日頃から身体を鍛えることが習慣になっている。それはこの世界に戻ってきても変わらず、健康的な生活に一役買っているのだ。
「あの、そういえば、どうしてエンデイさんがこっちの世界に来たのかってわかりますか? 妹は神様の厚意であったそうなんですけど」
「それでしたら、その神様とやらのせいですね。わたくしと母の魂は親子ということもあってか似ているらしく、母よりも先にわたくしが死ぬと、わたくしのことを母と間違えてこちらの世界に送ってしまったそうです。しかしながら、わたくしの魂はこの世界での母の肉体に弾かれてしまい、結果として別の方の魂と融合してしまった。こんなところでしょうか」
「実は私も神様からそのようなことがあったと聞いていました。だから、エンデイが我が家を訪ねてきてくれたとき、すぐわかりましたよ」
それって本当に神様なのか? そんなおっちょこちょいな奴に俺たちの死後を管理されていると考えると嫌になる。絶対に今回が初犯じゃないだろ。でも、そんな適当な感じでもこの世界はわりかし何とかなるのかもしれないな。
「それでは母さん。わたくしはもう帰ります」
「ええ。また来なさい。いつでも待っていますよ」
「……はい!」
「それでは師匠。おれもこれで」
「はい。さようなら」
エンデイさんと辰斗がオレンジ色のアスファルトに黒い影を伸ばしながら歩いて行ってしまう。きっと、エンデイさんから今の美沙羅のことを聞かれていることだろう。単語は聞き取れずとも話し声は聞こえてくる。
「それじゃあ兄さん。私たちも帰りましょうか」
「そうだな。帰ろう」
俺たちも家に帰る。妹が急に俺を置いて大人になってしまったけれど、こんな日常も悪くないなと思った。
ロリばば★マイしすたー サンカラメリべ @nyankotamukiti
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