第6話-上手い餌のやり方-

 ともあれ、そもそもの目的は鯉に餌をやることなので、餌の方に意識をやる。ボウルを持っているのは先輩だから、主導権は静和先輩に握られているけれども。先輩は小慣れたように、少し袖に隠れていた手を伸ばし、パンパンと叩き出した。すかさず俺も見よう見まねで手を叩く。

「この子達って耳がいいのか、音を立てるとこっちの方に寄ってくるんだよね」

と先輩は笑う。先程までの少しぎこちない笑顔とは裏腹に、屈託のない笑顔で笑う人だな、と思った。この人は本当に鯉のことが好きなのかもしれない。相変わらず犬とか猫とかうさぎではなくて鯉なのは少し謎だけど。


 先輩の言葉通り、先程まで周囲のことを気に留めることもなく気ままに泳いでいた鯉達は音がするや否や、一斉に集まってきた。まるで先輩と心が通じ合っているかのようだった。先輩は餌を掴むと手を真上に振り上げて、餌を広く散らばるように撒く。餌は広がってパシャン、と音を立てて水面に落ちる。鯉達はそこに一斉に群がる。呑気な顔をしながら、餌を食べる時は随分と生き物としての本能を感じさせる。


「西方くんもやってみる?」

と先輩に促される。

俺も餌を掴み、手を振り上げてなるべく高くまで飛ばして落とそうとする。しかし力加減が下手なのか、投げ方が悪いのか餌はあまり高く飛ばず、広がりを欠いたままポチャン、と落ちる。

「全然できません…」

「まあいろいろとコツが要るからね、慣れれば大丈夫だよ」

「流石は上手いですね」

「いえいえ」

口では謙遜しているが、後輩に上手いところを見せられたと思っているのか、その表情からは誇らしげな様子が伝わってくる。


 そんな様子が可笑しくて、思わず笑みが溢れる。

「あれ?なんか変なとこあったかな?」

と気付いていなさそうな様子だったが、そんな先輩の様子を見ると余計に笑いがこみ上げてきた。

「いいえ(笑)」


そうして、気付けば2人で笑っていた。先程までの気まずさを忘れるかのように。

「良かった」

「え?」

「西方くんも楽しんでくれたようで良かったなって」

「あっ」

思わず頬を赤らめる。静和先輩は良い人だ。だが、いや、だからこそ俺と絡んでも別に良いことがある訳ではないのだと思う。いや、違うか。自分の先程までのネガティブさが少しでも紛れたということが、都賀先生の提案に真実味が少しでもあったということが、少し恥ずかしかったのかもしれない。だが俺はそれを認める気はない。鯉の餌やりも所詮は気休めに過ぎないし、それで俺の苦しみがなくなる訳でもない。

「まあ、そうですね」

とだけ答えた。鯉はまだ餌が貰えると踏んでいるのか、2人の周りを泳ぎ続けていた。


 気付けば予鈴のチャイムが鳴っていた。先輩は

「じゃあまた県庁堀でね」

と告げると校舎に入り、階段を登っていった。去り際に

「そうだ!手は念入りに洗っておいた方がいいよ!」

と言われた。手?そこで手を鼻の方に持っていき、匂いを嗅いでみると先程掴んだ餌の匂いがすっかり染み込んでいた。これは随分と石鹸で念入りに洗わないと落ちそうにない。やはり面倒なことをやることになった、と思い直すのだった。

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