第5話-シズワ先輩-
「こ、こんにちは」
「こんにちはー、今日も来てくれたのね、静和さんならもう県庁堀のところにいるよー」
「あ、そっちすか」
引き返し、堀のある北口の方に向かう。しかし待ってくれ。人と話すことはおろか、声を発する機会すらない俺が知らない人と2人きりで、おまけに女子と話すのだ。俺はなんだかとんでもないところに行こうとしているのではないだろうか。
だが都賀先生に乗せられてしまった手前、引き返す訳にもいかない。北口の扉を開けると、そこには少女がいた。俺より小柄でその目は少し虚ろだが、端正な顔立ちをしているのがわかる。黒髪のボブカットは肩の近くで跳ねていて、制服は乱れている訳ではないが、どこか無頓着さを覚える着こなしで、身体と制服の大きさがあまり合っていないのか、袖から手が見えきっていない。少し色褪せた緑色のボウルを大切そうに抱えていた。どこか遠くを見るような視線でありながも、こちらに気づくと微笑みながら俺を見つめてきた。
初夏の風が吹く堀の奥に見える木々は青々としていて、穏やかな雰囲気でこちらを出迎えているかのようだった。思わず見惚れる。いや、違う。俺は鯉の世話をしに来たのであって、青春の真似事をしにきたのではない。
「君が西方くんかな?」
「は、はい」
「都賀先生から話は聞いてるよ、ここの鯉の世話を手伝ってくれるんだよね」
「はい」
「ありがとうね」
心の底から了承している訳ではない。というかむしろ嫌だとすら思っているが、反射的に了承してしまう。まあ俺の性格は元々このような感じだし。人に言われたことに大体乗せられているような自覚はあります。
「3-6の静和由梨です。静和は静かの静に和風の和と書きます。これからよろしくね」
「2-5の西方洋人です。よろしくお願いします」
緊張した手前、名前を名乗るのをすっかり忘れていた。静和先輩の方から頭を下げられたので、こちらも慌てて頭を下げる。
「5組ってことは文系だね。実は私も文系なんだ」
「そうなんですね」
これまでの会話からも察せられるところはあるが、俺は基本的に自分から話題を振るということができない上、せっかく相手から話しかけられても一言二言返すのが限界で、話もろくに広げられない。せっかく話を頑張って振ってくれているが、今の俺にはこれが限界である。
次の話題を準備していなかったのか静和先輩も黙り込んでしまい、気まずい沈黙が流れる。10秒ぐらい経った後、静和先輩は慌てて思い出したように、
「あ、餌あるしあげちゃおっか」
と餌の入ったボウルをこちらの方に見せてくる。その中には濃い緑のような茶色のような、いかにも餌ですというような餌が入っていた。なんだかすごい気を遣われている気がする。都賀先生も何故俺なんかをよこしたのだろうか。先輩は先輩で少し気の毒だが、俺は俺でだいぶ帰りたい気分になっていた。
そんなことを知ってか知らずか、肝心の鯉たちは2人の足元を悠々と泳いでゆくのだった。
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