最終章


「ここ、どこ……?」


 少女は道に迷っていた。

 母と一緒に出掛けた矢先、蝶々に釣られていつの間にか山の中に迷い込んでしまったのだ。

 徐々に道も無くなり、先に見えるのは獣道。薄暗くなってきた辺りを見回しながら怯えていると、背後から声が聞こえてきた。


「……だれ?」


 ビクッと肩を震わせてから勢いよく振り返ると、そこには一人の少年が立っていた。髪は伸ばしっぱなしで腰まであり、目には感情が宿っていない様に思える。少女は警戒しながら一歩後ずさり、震える声で話しかけた。


「だれ……?」

「ぼくがきいたんだけど」


 二人の間に変な沈黙が生まれる。


「あ、えっと……か、かおるこ……」


 少女が慌てて答えると、少年は――。


「馨子――!! どこにいるの――!?」


 大人の女性の声が聞こえてきた。


「あ! かあさんだ!」


 少女は母親の声のした方を向き、走って獣道を戻って行く。母親を求めて必死で走ると、その姿が前方に見えた。


「かあさん!」

「馨子!」


 二人は抱き合った。


「はぁ……良かった……」


 母親は少女――馨子を抱き締めてから安堵した後、険しい顔を作る。


「馨子、勝手に母さんから離れたら駄目って言ったでしょう?」

「ごめんなさい……」


 ふと思い出す。


「あれ? おとこのこは?」

「男の子?」

「そう! いっしょにつれてくればよかった……だいじょうぶかな……」

「こんな山奥に男の子なんているわけないでしょ。何言ってるの」

「ほんとうにいたの!」


 母親は馨子が嘘を吐いているのだと思い、取り合わなかった。


「いいから。もう帰るわよ」

「はぁい……」


 母親は馨子の手を取って家路を急ぐ。

 だが馨子はあの少年が気になって仕方が無かった。

 本当に大丈夫なのだろうか? 心配でずっと山の方へ視線を向けていた――。



 ***



「ただいま」

「おう! お帰り! ……どうした?」


 家に帰って来ると男性が原稿用紙とにらめっこしていた。母親の声に気付くと、二人へ視線を向けたが、どこか様子がおかしい。


「馨子が山へ行ってしまったのよ」

「何!? 大丈夫か!? 馨子!!」


 バタバタと畳の上を忙しなく這いながら近付いて来る。


「だいじょうぶだよ、とうさん。しんぱいしょうだなぁ」

「心配するに決まってんだろ! あの山は昔から鬼が住んでるってんで有名なんだぞ! まぁ、軍が探しても中々見付からねぇから嘘かもしんねぇけど……」

「じゃあ、しんぱいいらないでしょ」

「お前は……何でそんなに大人びてんだ……」


 母親は自分に似たのだと思い、何も言えなかった。


「とうさんもかあさんもしっかりしてよ。もうわたしだってななさいになるんだよ? かほごすぎ」

「そんな言葉どこで覚えてきたんだ……」

「仕方無いでしょ。父さんも母さんも昔、色々あったのよ」


 母親はそう言いながら下駄を脱いで、畳へ上がった。


「なに? またおねえちゃんのはなし? かみかくしにあったり、ゆくえふめいになったりいそがしいったら――」

「そんな言い方をするもんじゃありません!」

「いたっ」


 さすがに母親も度が過ぎると思ったのか馨子の頭を叩いた。


「そうだぞ、馨子。言い過ぎだ」

「だって! わたしがこんなにかほごにそだてられたのだっておねえちゃんのせいなんだもん! おねえちゃんがかみかくしにあったり、ゆくえふめいになったりしなかったら、わたしはこんなふうにかほごにされることもなかったわけでしょ? おなじなまえまでつけられて……もんくのひとつでもいいたくなるじゃない!」


 馨子は乱暴に下駄を脱いで畳へ上がり、二人に向かって怒鳴った。

 両親は顔を見合わせる。

「悪かったな、馨子」と父が言い、「でも、馨子を守る為なのよ」と母が言う。又いつものが始まったので、馨子は押し入れから布団を取り出し、横になった。


「ねる」


 ふて寝を決め込んだ。

 両親は又顔を見合わせた。

 暫くすると馨子の寝息が聞こえてくる。


「馨子は本当に山へ行ったのか?」

「ええ……蝶々を追いかけたみたいなの……」

「あの山には近付くなって言ってんだろ」

「そんな事言われたって、気付いたらいなくなってたんだもの……」


 子どもの言動は時に大人には予測出来無い。


「私だって又馨子の様になったらと思うと気が気じゃなかったわよ」

「櫻子……」


 母親――櫻子が台所で背を向けながら洟を啜っている。それ以上は何も言えなかった。


「もう外に出すべきじゃないかもしれない……」

「莫迦。そこまで過保護に出来るか。又馨子に怒られるぞ」

「でも……もうあんな思いはしたくないのよ……」


――馨子と高明が旅行に出かけてから十年が経とうとしていた。


 二人は行方不明になったきり、結局帰って来る事は無かった。

 それにより櫻子は精神を病み、一時は医者に通っていた。そんな折、また女児を授かったのだった。名前を付ける時、櫻子は馨子と名付けると譲らなかった。もう同じ二の舞は演じまいと覚悟をした上での名付けだった――もう一度、高千穂家を最初からやり直そうとしたのだ。神隠しも無く、行方不明にもならない。唯平凡な日常を過ごそうと。

 その為にもう一度この場所に帰って来たのに――帰って来るべきでは無かったのかもしれない。


「引っ越すか」


 父親――雷蔵が提案する。


「そうね……それがいいのかもしれない」


 手の甲で涙を拭いながら、前向きに考える。


「又本條さんのご厄介になるか?」

「それはどうかしら……きっと本條さんも気に病んでいるだろうし……」

「でも本條さんのお陰で、俺ぁ作家になれたんだぞ。その恩は返してぇ」

「それは確かにそうだけど……もうフミさんも亡くなっているし、あの家には帰れないわよ?」

「だったら又探せばいいじゃねぇか。前よりもっといい家に住めるぞ。なんたって今回は金があるからな」


 雷蔵が作家になった事で十年前よりは良質な生活が出来ている。家だって直ぐに見付かるだろう。


「そうね……馨子を護る為だものね」


 櫻子はもう一度自分の娘を護る為に、村から引っ越す事を決めたのだった。



 *****



「ただいまー」

「お帰り。どこに行ってたの? 遅かったじゃない」

「さんぽ」

「又……いつも散歩って言うんだから」


 そう呆れる母親の隣を通り、少年は家の中へ入った。

 今度は低い男性の声が聞こえてくる。


「今戻った」


 その男性を認めた瞬間、母親は破顔した。

 もう十年を共にしている愛おしい人だ。


「お帰りなさい――高明さん」








 了





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君、想ふ 遥姫 @harukasaki

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