悲恋の種

悲恋の種第1話

 車窓を通り過ぎていく赤い花の名前を、あたしは知らない。


 知らなくてもいい。


 あたしが知りたいと強く願うのは歴史のことだから。

 時折、鳥のかわいさについ目がいってしまったりもする自分がいやになる。


 あたしは車窓から注ぐ夏の日差しに目を細めた。硝子がらす越しでも、日の光は強くあたしの目に刺さる。


「エリニア」

 とあたしの名前を呼ぶのは、向いに座っていたジョラン。

 ジョランは人形のあたしを助手にしている考古学者。

 

 あたしはわざとけだるくジョランを見た。


 ジョランが読んでいた新聞から黒い目を外して、新聞を丁寧にたたむと、近くにあった背嚢はいのうに入れてあたしを優しく見つめる。


 ジョランはあちこちにはねた黒髪に褐色の肌をして、白い上着に黒い脚衣ずぼんを身に着けた二十八歳の男性で、全体の印象をいえば、だらしないとしかいえない。


 ジョランがよく絶世の美女の君と並ぶと複雑な気持ちになる、なんていう。

 顔のいい悪いなんてあたしはどうでもいいのに。あたしには長い黒髪に白い肌、茶色の瞳があるだけよ。他人には年がジョランと同じぐらいには見えるみたいだけど。


 ねぇ、複雑な気持ちになんてならないで、ジョラン。あたしは知っている、ジョランの瞳には夢に燃える美しさがあることを。


 ずっと見ていられるのは幸せだわ。

 ジョランに抱いているあたしの思いが恋でなくてよかった。敬意だもの。


 絶対にないことだと思うけど、ジョランがあたしに恋する姿なんて見たくない。恋する人間の姿は醜いよ。

 恋する瞳を見るぐらいなら、空に向かって飛び上がろうとするときの、ワシみたいに力強いジョランの瞳を見ていたい。


 揺らぐことのない敬意を持ちながら、あたしはわざと冷たく、

「何、ジョラン」

 とだけ返す。座っている席で、わざと足を組み替えて興味がない素振りをみせた。あたしの着ている上下がくっついた緑色の衣の裾が揺れた。


 ジョランがあたしの冷たさなんて何でもないみたいに、

「考古学で新しい発見があったって、新聞に載ってるよ。タラハ州でのことだ」

 と子供みたいにうれしそうにいう。


 あたしはまた冷たく、

「そう」

 とだけ返した。

「こちらとは北と南で差があるけど、考古学仲間ががんばってるんだ、俺はうれしくてしかたないよ」

 とジョランが目を輝かせている。


 タラハはエスペルト連邦共和国のなかでも北にある州で、いまも昔も北のラワウ海を挟んで北にあるサジス王国との交流が盛んなところ。寒さが厳しいから、発掘作業は大変そう。


 それにくらべたらあたしたちは恵まれている。あたしたちがいる南のカムド州は北が過ごしやすくて、南は暑いけど、寒いよりはきっとましよ。


 あたしはもうすぐ着く、バルっていう大きな港町に心を飛ばした。カムドのなかでも南にあって、三千年前には古代文明の都として栄えた場所でもあり、魚料理がおいしくて、行くのが楽しみな場所なのよね。


 一ヵ月前に食べた料理の味を思い出して、あたしは小さく笑った。

 人形は記憶を忘れるということがないから味も思い出も覚えていられるわ。覚えていられるからこそジョランの助手ができる。

 助手をして二年になるけど、ジョランのいったことのすべてをあたしは忘れない。


「エリニア」

 とジョランが笑うのをこらえるみたいにいう。

「魚料理のことを考えていたね」

 ジョランが楽しそうに微笑む。

「おいしいものはおいしいもの」

 とあたしがわざと冷たくいうと、

「今度もあの宿に泊まろう」

 とあたしのことなど気にしない様子でジョランが上機嫌にいった。料理の味を思い出しているのかしら。

「漁火亭ね」

 とあたしは応じる。


 ふと車窓に目を戻すと、硝子の向こうの景色は市街地に入ったことを知らせるみたいに四角い家々が見えてきた。


 話しているうち、目的の駅へと近づいているのだとわかった。

「お客様、お客様。まもなく南バル駅に停車いたします。お荷物等お忘れのないようにお願いいたします」

 と車掌が歩いて目的地を知らせる。


 声をかけながら車掌がこちらに近寄ってきた。

 あたしは思わず、

「教えてくれてありがとう」

 と返した。


 いけない、優しくしてしまった。


 そう思った瞬間、車掌の顔がオウムみたいに真っ赤になった。

 あたしはとっさに身を引こうとしたけれど、車掌に両手を包み込むように握られた。

「お願いです。私と永遠を誓っていただけませんか?」

 と車掌が真顔でいう。見たくもない、恋する瞳と一緒に。

 

 あたしの背中に寒気が走った。

 ああ、なんてこと。またひどい目に遭うなんて。

 これだからきらいよ、人の恋する姿なんて。

「失礼、俺の助手は結婚など望んでいませんよ」

 とジョランが低くいった。車掌の腕に軽くふれる。


 車掌が急に表情を取り戻したみたいに慌てて、

「私は何て無礼なことをお客様に……」

 といった後はことばにならなかった。少し経ってから、

「申し訳ありませんでした」

 と頭を下げた。


「謝ってもらったし、騒ぎにもしたくないので、これで失礼します。あなたも忘れてください。行こう、エリニア」

 とジョランが背嚢を背負って、立ち上がると列車内を歩き出す。

「ええ」

 とあたしも立ち上がって歩き出す。振り返ると、車掌が頭を抱えているのが見えた。


 あたしの胸が少しだけ痛んだ。同情があたしの禁止事項だから。

 恐怖や怒りより同情が勝ってしまった。

 いいえ、とあたしはあたしを勇気づける。あたしはジョランのいるほうに体を向けた。


 怒っていいのよ、エリニア。理不尽なんだから。


 車掌もおかしいわ。後悔するぐらいなら、最初から愛の告白なんてしなければいいじゃない。


 この二年、あたしが造られてからというもの、人の恋をする姿に頻繁に遭う。それも、あたしが男性に優しくしたときに。

 皆恐ろしい瞳をしてあたしにさわろうとし、愛を説く。ジョランが止めに入ってくれるから大事にはならないですんでいる。


 恋心大告白だなんてことが起きるたび、ジョランがいてくれて本当によかったと、あたしは思う。

 あたしがジョランに冷たくするのは、あたしに恋心なんて抱いてほしくないから。

「ごめんなさい、ジョラン」

 とあたしは沈んだ声でいった。

「君は悪くないよ」

 とジョランが優しくいってくれた。


「君が絶世の美女だからなのかな。優しくされると、皆がほうっておけないのかもしれない」

 ジョランが急に冷静な声を出して、あたしの災難を分析した。分析しないでよ。

「どうかしら」

 とあたしはわざと冷たくいった。


 もし優しい声でもかけたら、ジョランまでおかしくなってしまうかもしれないという恐怖があたしのなかにある。


「ジョランのいうことが本当なら、いやな話だわ。人に優しくできないなんて」

「それは俺もつらそうだなと思う」

 とあたしの嘆きに同情するようにジョランがいった。

 同情でもうれしい、ということばをあたしはジョランにかけられなかった。


 いけない、落ち込んでなんかいられない。これからあたしたちのすることは、ある王の墓を明らかにすることなのだから。

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