第8話
舞台は移り変わって絢爛な部屋。
真っ白な翼に白髪赤眼の美女がソファに腰掛け、壁に嵌め込まれた画面を見つめていた。
「あの技は確か……興味深いわね、あの男」
「…………」
後ろで物々しく待機する赤髪の男は珍しいと思いながら彼女の周囲を常時警戒している。
「貴方はどう思う?」
「はっ、実に珍しい制服を身につけておりますね。まるで60年前の青陵帝国の軍服のようです……」
女の言葉に即座に返し最後は独り言のように尻すぼみになる。
「青陵帝国ねぇ」
繰り返すように何度か口を動かすが口に出すのは憚れる模様。
青陵帝国――――。
それはかつて繁栄した人間の大国。
しかしそれも新人類の影響で滅んでしまった。
つまり正常な人類のままだったならばこの部屋にいる二人もその大国の人間となり得たかもしれない。
だがいくらそんなことを考えたところで歴史は覆らない。
女は思考を切り替えて次の予定に頭を動かす。
あの時も今も人がやっていることに変わりはないのだからと。
♢♢♢
「今回は俺の負けだ。次またやろうぜ!」
「ああ、もちろんだ」
最初の雰囲気とは打って変わって友好的な様子のバフラ。
他の住民も特にピリピリした様子はなく、警戒を解いている。
「よっしゃ! じゃあ飲むぞ、お前ら! 今日はコイツの奢りだ!」
元はと言えばバフラの金だが今の所有権はグノスィにあるその金を悪びれもなく使い果たそうとする彼の言葉にグノスィは苦笑するしかなかった。
「おめえもぼさっとしてねえでこっち来いよ」
と、アゲリアの肩に触れて引き寄せるバフラ。
「あ、ああ……」
「どうした? 私が負けると本気で思っていたのか?」
「だってよ……劣等種が新人類に勝てるなんて」
「ならその常識は塗り替えられた。それにな……こいつらも元は人間なんだ。確実に負けるなんて有り得ないんだよ」
その言葉にアゲリアははっとさせられた気分だった。
今までいかに劣等種の中で上に行くかだけを考えてきたアゲリアにとって。
この出来事は空はないが、まさに青天の霹靂だった。
レストランの店主は店の中を最大限に広げ、ベランダの窓を全開にする。
「新たな強者に敬意を表して──乾杯!」
バフラの音頭に合わせてそれぞれが自身の杯を掲げる。
「「「「「乾杯っっっっ!」」」」」
バフラは結構優秀な働き手なようで、酒瓶百本空いても支払える量のお金を所持していた。
床に散乱する酒瓶と酔いどれ親父たち。
机にはつまみと塩と水が残るが、酒は全くと言っていいほどない。
「バフラ、この街で一番頭の良い奴ってどこに居る?」
「んあ? 頭の良い奴? そりゃあ、あの人しか居ねえだろうよ、ひっく」
呂律が回らない様子でバフラは喋り出す。
「でっけえ木ぃあるだろ? あそこに住んでる奴だろ……」
上から見下ろしたとき、霧で霞んで見えづらかったが影はあったような気がする。
ではどうやってそこから下りるのだろうか。
──まさか飛び降りるとか?
いやそんな……、と心の中で空笑いながらグノスィはジュースを一気に飲み干す。
「で、それは誰だ?」
「あいつぁ有名だから……この国だと知らないやつは居ねえと思うんだが……」
「あいにくと私はこの国の人間じゃない」
「くくくっ、だろうよ。そんな言葉使うやつはこの国に居ねえもんな……」
一頻り器の中の酒を見つめたあとバフラは切り出す。
「あいつは代表さ、
「ッッッ!」
木の上に住まう種族、それなら頷ける。
しかし代表か。思っていたのより上の存在だったな。
「
「沈黙?」
「奴は参謀でな、
「へえ面白いじゃんそいつ」
ぞくっとさせる声音で彼は呟く。
いつもの理性的なスタイルとは異なり、今は牙を剥き出しにする虎のようで。
挑戦的な眼差しがバフラを通り越して宙を貫いた。
「お前みたいのが九人揃っていればここまで追い込まれることはなかっただろうによ」
「今代は私が主導するから大丈夫さ」
自信満々に言うが代表の誰にも会っていない現状では言うは易し、行うは難しといったところだろう。
「そこの寝てる坊主も出すんだろ? それじゃ無理だろ」
「いや……そうでもないさ。彼もまた、意外な才能を秘めている可能性がある」
「可能性、ねえ。お前があれを使いこなせれば勝ちもあると思うんだがなあ……」
そう言ってバフラは机に突っ伏して眠りに落ちる。
「あれって何のことだよ……」
と複雑な顔で椅子に身を沈ませるグノスィ。
自分が天才ではないことを自覚しているグノスィにとって、不安要素はなるべく減らしたいものであった。
(天才が欲しいな……それも飛び抜けた天才が……)
外が暗くなって街の灯りで全体が明るく発光し始めると、店主が食器を片しに寄ってくる。
「…………」
黙って食器を片す店主にグノスィは声をかけた。
「オーナー」
「ん? どうした?」
「大きい紙と書くものを貸してくれないか?」
「おお、まあいいぞ。繁盛させてくれた礼としてサービスしてやる」
「ありがとう」
一旦食器を下げて再び戻ってくる。
机からはみ出るほどの大きさの紙と、羽根ペンにインク壺。
「ほらよ」
「ここの店の名前を書いてくれないか? また来るかもしれないから」
「?まあ良いけどよ……」
少し不思議そうにするもすぐに受け入れて店名を書き始める。
『ジンミル亭』
──知ってる文字だ。これが何語かはわからないけれど。
店主は食器を全て台所に持っていくと扉を閉めて完全に部屋は閉ざされた。
次に青年は幾何学的な紋様を描き始めた。
それはある方向、ある角度から見なければ読み取れないもので。
情報の隠蔽のために使う彼独自の技法だった。
ペンにインクをつける音と紙へ走らせるペンの音だけが部屋には響いていた。
──これじゃ駄目だ。こんな作戦じゃ出し抜けない。
天才を超えなければ。もっともっと考えないと。
既存の知識から生み出す発見しか得られないようでは頂点に輝くなんてできない。
「はあはあはあ」
顔を伝って汗が流れ落ちると、インクを広げて水彩画のような広がりを見せる。
一朝一夕で何とかなるとは思っていない。
だってそれなら既に誰かが達成しているはずだから。
それでも次の一勝を勝ち取るために──。
カリカリカリ
カリカリカリカリ
カリカリカリカリカリ
カリカリカリカリカリカリ
悠久の時間と思われた時間は朝と同時に止まる。
「勝負だよ、沈黙のガルーダ」
何とも良い笑顔で彼はふらふらと立ち上がり、巨木の方を向いた。
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