宴の終わりに夜の鳥啼く

 二時間ほどあった打ち上げも、気が付けばお開きとなっていた。

 結局のところ、源吾郎はずぅっと苅藻やいちかの傍にいて、彼らと問答や世間話を重ねるだけに終始してしまった。最初のうちは穂谷先輩や珠彦たちと同じテーブルについていたのだが、先輩妖狐である白川が修羅場を顕現させてしまったがために、叔父たちのいるテーブルに源吾郎は逃げ込んだのだ。

 もっとも、叔父たちや北斗や江田島とは話す事が色々とあったから、それはそれで別に構わないのだけれど。

 萩尾丸の部下たちに「島崎はずぅっと叔父さんたちの所にいたんだな」と非難されたりからかわれたりしないか。源吾郎が気にしているのは、つまるところその一点だけだったのだ。

 さりとて、店から出て各々解散せねばならない訳だから、誰にも見つからずに進む事など不可能である。案の定、歩いている源吾郎は、穂谷先輩や珠彦、そして白川たちの姿を発見してしまった。

 見つかった。その思いが源吾郎の脚をすくませてその場に押しとどめてしまう。そんな源吾郎の姿に気付いているのかいないのか、案の定妖狐たちは近付いてきた。


「島崎君。途中から俺らのテーブルから離脱しちゃったけれど、ちゃんと打ち上げは楽しめたっすか?」

「そう言えば、桐谷さんご兄妹もお見えになってたんですよね。この前お会いしたばかりですけれど、ちゃんとご挨拶をしておかないと……島崎君。お二人ってまだ近くにいますよね?」

「あー、まぁ、島崎君。さっきはマジで悪かったな。別にまぁ、お前が米田さんと付き合う事に反対したりだとか、嫌がらせするつもりはねぇから安心しろ。というかむしろ二人で幸せになりやがれこん畜生が! もう末永く爆発しとけや!」

「全く、タッちゃんたらまだお酒が残ってるのね……そう言う訳だから、私としても島崎君には米田のお姉様とは仲良く交際を続けて欲しいと思ってるのよ。タッちゃんだって、彼氏持ちの女狐には手を出さないはずだから……というか、そうなったらそうなったで逆に私が島崎君と付き合っちゃおうかな?」

「待て待て、何でそうなるんだよぉ」


 取り敢えず、思い思いの事ばかり話す妖狐たちに対し、源吾郎はへどもどしながら応対するのがやっとだった。特に白川とその彼女は仲良く(?)へべれけになっていたのだから大変だった。

 それでもまぁ、穂谷先輩などの他の妖狐のフォローなどもあり、どうにか場を切り抜ける事は出来たのだが。


「おっ。島崎先輩やん。しばらくぶり」


 雷獣少年の雪羽と再び顔を合わせたのは、店を出た駐車場での事だった。源吾郎は萩尾丸の車へと向かおうとしていた所だったのだが、雪羽はそんな気配はなかった。もしかしたら、玉出とかいうハクビシン妖怪の姉弟と一緒にいたからなのかもしれないが。

 少し緊張した様子のハクビシン妖怪たちを一瞥しつつ、源吾郎は雪羽に話しかける。ハクビシン妖怪たちは、源吾郎の存在と妖気に怖気付いたのか、無言で居住まいを正すだけだった。


「雷園寺君も少しぶり、だね。結局、打ち上げの席では一緒にならなかったけれど、楽しめたのかな?」

「おう! 玉出君たちとも仲良くなれたしな」


 雪羽は満面の笑みを浮かべながら、ハクビシン妖怪の弟の肩を叩いていた。玉出君とやらは電流でも流されたようにビクリと身を震わせ、それからぎこちない笑みを源吾郎に向けた。


「いやはや、萩尾丸さん所の部下たちの中に、こんな愉快な奴がいるとは思わなかったぜ。なんてったって上司がだから、部下たちなんて揃いも揃って糞つまんねぇ堅物ばっかりだと思ってたからさぁ」

「あはははは。雷園寺の若旦那にそこまで気に入ってもらえるとは嬉しいなぁ。そんなに気に入ってくださったなら、いつか俺たち姉弟をヘッドハンティングして下さいよぅ」

「流石にヘッドハンティングは難しいでしょうけれど、折角だからこれから二軒目とか行かない? 私たち、まだまだ飲み足りないのよね」

「……」


 満更でもない様子の雪羽を囲みつつ、玉出のハクビシン姉弟たちは何やらクネクネしながら話しかけている。萩尾丸の部下たちでありつつも、その言動はむしろ雪羽のオトモダチに相通ずるものを感じていた。


「玉出君に雷園寺君。生憎と、今宵の雷園寺君にはんだけどね」


 一体どうした物かと思っていたまさにその時、聞き覚えのある声が斜め前から投げかけられた。声の主はもちろん萩尾丸だ。のみならず、その傍らには第八幹部の三國すらいるではないか。


「ひゃっ」

「萩尾丸……様……」


 思いがけぬ上司の出現に、ハクビシンの姉弟は哀れなほどに驚き、怯えてすらいた。源吾郎も可哀想だと思いはしたが、どうにかできる訳でもない。


「今日は金曜日だから、三國君の許に戻る予定なんだ。玉出君たちも、雷園寺君と仲良くしてくれた事は感謝するよ。だがまぁ、彼の再教育については僕の方で色々と計画を組んでいるから、または声をかけるつもりさ」

「あ、は……そんな、滅相もないです……」


 萩尾丸はハクビシン姉弟たちを見つめ、何やら意味深な笑みを浮かべていた。大妖怪にして職場の最高責任者に睨まれた姉弟は、もはや完全に獣の姿に戻ってしまっていた。

 ちなみに雪羽はというと、そんな二人に憐みの眼差しを向けてはいたが、すぐに叔父の苅藻の許に駆け寄っていた。何のかんの言いつつも、保護者である叔父に甘えたい年頃なのだろう。


 三國に関しては、打ち上げの最中に呼び寄せたのだ。萩尾丸がその事を言ったのは、源吾郎が後部座席に乗り込んだのを確認した後の事だった。もちろん雪羽はこの場にいない。萩尾丸が連れてきた三國と合流し、そのまま家に帰ったのだ。


「ほら、雷園寺君は日頃僕の許で教育を受けている所だけど、週末や長期休暇は三國君の許に帰るようになってるでしょ。ここは三國君の家から車ですぐの所だから、わざわざ雷園寺君を研究センターに戻してから三國君の所に送り届けるよりも、三國君に来てもらった方がお互い手間も負担も省けると思ってね」

「……雷園寺のやつは、運転免許なんて持ってないですもんねぇ」


 さも合理的・効率的に物事を進めたのだと言わんばかりの萩尾丸に対し、源吾郎は割と素直に思った事を口にしていた。運転免許云々がまず口から飛び出してきたのは、何となく自分が免許を持っている事を、自動車を運転する権利と能力がある事をアピールしたかったからなのかもしれない。もしかしたら、この間のデートで、米田さんが車を乗り付けて吉崎町までやって来たのを見た事も、何か関係があるのかもしれなかった。

 ある意味トンチンカンな応対となってしまったが、萩尾丸はそれでも源吾郎の話に乗っかってくれた。雪羽はまだ子供だから、免許を取るにしてもまだまだ先の事だとか、そもそも雪羽は自転車に乗った事が無いなどと言う話を、萩尾丸は逆に源吾郎に教えてくれたのだ。

 そうこうしているうちに、車が動き出した。外は既に暗く、窓の方を向いても街灯の明かりが尾を引いている所くらいしか見えなかった。


「島崎君は、今日の打ち上げは楽しめたのかな?」

「言うて途中から叔父たちの傍で駄弁っていただけですけれど」


 萩尾丸の簡潔な問いかけに、源吾郎は素直に答えていた。大天狗たる上司の前で、嘘やごまかしが通用しない事は十二分に知っている。とはいえ、叔父や叔母とばかり駄弁っていたという事実の報告には、いくばくかの憂鬱さは伴っていたが。


「萩尾丸先輩としては、俺たちが他の妖狐たちと馴染めるようにという事で打ち上げに連れてきてくださったんですよね。なのに叔父たちとばかり話し込んでいたんだと、意味なんて無いですよね」


 源吾郎の言葉を、萩尾丸は鼻で笑った。


「なぁに。それを言うなら雷園寺君はどうなるんだい? 彼は昨年の夏まで長らく叔父夫婦の職場に入り浸っていた訳だし、さっきだって三國君がやって来るや否や、僕たちなんぞそっちのけでべったりになってただろう。だから僕は気にしてないし、島崎君も気にしなくて良いんだよ。無問題モーマンタイってやつさ」


 萩尾丸の言葉に、源吾郎も思わず忍び笑いを漏らしてしまった。よもや彼が、ここでカジュアルな言葉を使うとは予想もしなかったからだ。


「今回は桐谷君たちも招待していたから。ね。あの二人も島崎君の事を何かと心配しているみたいだから、二人に元気な姿を見せるという意味では良かったんじゃあないかな。

 それに島崎君。打ち上げの類は、親族じゃあない他の妖怪たちと交流する機会は、何も今回という訳じゃあないんだ。今後も色々な所で交流する機会が出来るだろうから、その時にまた、頑張って他の狐たちと交流すれば良いじゃないか」


 今回が駄目だったとしても、また巡って来る次の機会に頑張れば良い。普段の萩尾丸らしからぬ呑気な言葉ではある。しかしじっくりとその言葉を噛み締めてみると、そこはかとない彼らしさが滲んでもいた。短期的・近視眼的に物事を捉えない鷹揚さが、長い年月を生きてきた雰囲気をもたらしていたのだ。


「いや、島崎君だって、別に苅藻君やいちか君とばかり話していた訳じゃあないんだろう。確かあの二人がいたテーブルには、苅藻君たちだけじゃあなくて、裏初午で君と一緒に行動を共にしたって言うひとたちもいたはずだからさ」


 ええ。力なく返事しながら、源吾郎は萩尾丸の言葉に頷いた。


「北斗さんと江田島さん、ですね。はい……僕はあの二人ともお話する事が出来ました」


 返事に続く源吾郎の言葉は弱々しく、心臓がいやにはっきりと拍動を行っていた。北斗たちとの、いや厳密に言えば江田島との会話は愉快なものでは無かった。

 半妖の父と妖狐の母を持つ江田島は、半妖である源吾郎が獣由来の妖狐である米田さんと交際するという話にいい顔はしなかった。別に彼は、源吾郎を嫌悪していた訳では無い。ただ、自分の両親の事を重ね合わせて、それで行く当てのない憎悪と嫌悪を滲ませていただけだったのだ。

 聞けば江田島の母は、子供を産む際に大層難儀し、それで身体を壊してしまったのだという。それもこれも半妖の……人間の血が混じる仔が胎の中で大きく育ち過ぎたがための事だったそうだ。妖狐と言っても大本は動物のキツネである。誕生時の赤ん坊の大きさも、キツネと同じく百グラム程度だという。

  人間の血が半分しか流れていない場合でもそのような事が起きたのだ。であれば、人間の血が四分の三も流れている島崎君が父親になるとしたらどうなるんでしょうね。やるせなさと仄暗い憎悪を伴って嗤う江田島の前に、源吾郎はただただ震える他なかった。源吾郎はゆくゆくは仔を持ちたいと思っていたのだから、尚更だ。しかもその案件については、苅藻やいちかも「江田島の言葉には一理ある」と、妙に相手の言葉に納得してしまっていたのだから。

 源吾郎の出生時の体重は一キロ程度、要は一〇〇〇グラム程だった。人間基準では低体重児に振り分けられるだろうが、妖狐の赤ん坊としては巨大と言っても過言ではない。源吾郎の子供もまた、そうした大きさになる可能性はある。そしてそれだけ大きい仔を胎で育てるだけの体力や物理的構造を、一尾や二尾が具えている可能性は低いのだ。

 そうした事があったために、江田島たちとの会話は素直に良い事として認識が出来なかったのである。


「そうか。それなら良かったんじゃあないかな」


 ところが、萩尾丸はそんな源吾郎の心中には気付いておらず、ただただ呑気に良かったと言うだけだった。それはそれで、源吾郎としては有難い事だったのだけど。


 それからは特にお互い話す事もなく、自動車の中は沈黙に包まれた。しかし源吾郎は、静かだとか寂しいだとか思う事は特に無い。夜という事でいい加減眠くなってきたところであるし、車の外では何やら鳥の啼き声らしきものが聞こえてくるのだから。

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