会合は終わり、天狗は見かねて迎えに上がる
※
「源吾郎君、源吾郎君。君の心の中には野望と思っている物があるみたいね。だけどそれは、君自身の物ではなくて、君の裡に宿る這い寄る混沌が齎したものかもしれないね。這い寄る混沌は、大いなる名状しがたき神に仕える踊り子でもあるよ。源吾郎君、君ももしかしたら、見えざる者の手によって、私どもも知らぬ演目を踊っているだけなのかもしれないよ? だから、自分がやろうとしている事ややりたい事が、本当に自分の考えによるものなのか、吟味しないといけないね。
ああでも心配しないで。天命に従い踊らされるのは君だけじゃあない。私たちも同じね。もしかしたら、
……長話は疲れたよね。でも最後まで付き合ってくれて、私本当に嬉しいね。
玉面公主はにこやかに、しかしよくよく耳を傾ければ恐ろしい事を口にしていたのだ。言葉そのものには悪意はない。むしろ大伯母として親愛の情を抱いており、だからこそ権能の裏に隠された事実について、真摯に語ってくれたのだ。
それ故に、その事が解っていたからこそ、源吾郎にとってはそれらの言葉は恐ろしかったのだが。
きっと今宵も名状しがたい夢を見るのだろう。そんな確信が、源吾郎の中にはあった。そして夢の中にはあの九尾様――玉面公主は正体を知っているらしいが、しかし正体を教えてくれはしなかった――が姿を現すのかもしれない。会合で疲弊しきった脳内で、源吾郎はそんな事を思っていた。
※
伯服たちが帰ったのは、午後六時前後の事だった。彼らが来訪したのが一時半の事であるから、そこからずっとあれこれと話通しだったのだ。
そこまで長引いたのは、玉面公主の話し方と内容が原因である事は明らかだった。永く生きた妖怪である為に、玉面公主の話は脱線し、しかも脱線した方角に枝葉が伸びる事も珍しくなかった。それに話の内容自体が、八頭怪に通じる者たちに関する断片的な情報と、這い寄る混沌や無貌の神に関する事だったのだ。
そんな会合に出席した妖怪たちは、種族も信条も無関係に皆疲労困憊と成り果てていた。幹部の側近などと言った比較的若い妖怪だけではなく、紅藤や灰高と言った幹部勢までが、一旦本来の姿に戻って小休止していたほどなのだから尚更だ。
狐やら雉やら鴉やらが尻尾や翼を垂らす中で、人型を保っていたのは緑樹と源吾郎くらいだった。何という事は無い。源吾郎も緑樹も、本来の姿が人に近い姿であるというだけの話だ。
「……玉面公主様たちに、お力添えを依頼できなかったのが、実に残念な事だと思っております」
緑樹が強面を歪ませ、さも申し訳なさそうに告げる。容姿については母親の一族の血が勝っているらしく、その本来の姿は人間らしかった。さほど猿らしくないと言っても良いかもしれない。
だが、玉面公主の縁者に助力を乞うという考えは、むしろ父親のそれに近かった。緑樹の父親は白猿という猿の妖怪仙人であり、しかも大陸の出身なのだという。玉面公主の夫は牛魔王であり、その牛魔王はかの有名な孫悟空と義兄弟の契りを結んだ間柄だ。
牛魔王はさておき、運が良ければ孫悟空の力添えも出来るかもしれない。猿妖怪の血も受け継いだ緑樹はそんな風に考え、しかし結局その申し出が出来なかった事について思う所があったらしい。
「気にしなくて良いのよ、緑樹。玉面公主様に、そうした申し出が出来なかったのも、致し方ない事ですわ」
緑樹の悔悟の呟きにまず応じたのは、第二幹部の紅藤だった。彼女も他の妖怪たちと同じく本来の姿に戻り、その姿で器用に椅子の上に乗っかっていた。雉仙女とも呼ばれる彼女の真の姿は、まさしくメス雉の姿そのものだった。但し、茶褐色の羽毛には所々紅色の羽毛が混じる事と、あからさまに巨大な事に目をつぶれば、の話であるが。
紅藤の体躯はコカトリスの双睛鳥――彼もオスの七面鳥ほどの大きさはあったのだ――よりもなお大きく、それどころか狼ほどの大きさもあるミツコと並んでも見劣りしない程だった。
「玉面公主様の縁故がとんでもない事は事実よね。なんせ亭主が孫悟空の義兄である牛魔王なんですから。まぁ、牛魔王も牛魔王で、孫悟空と義兄弟である事を抜きにして強大な力の持ち主なのでしょうけれど。
いずれにしても、あまりにも強大な力を持ち、そう言った相手ともすぐにお声がけできるからこそ、ああいう妖たちもそんなに身軽に動けないんでしょうね。動けないと言うか、動く余地が無いと言うか、そういう物を周囲から奪われているというのかしらね」
次に口を開いたのは、第一幹部の峰白である。彼女もまた本来の姿に、つまりはメス雉の姿に戻っていた。但しその姿は、妹分であり同じ雉妖怪である紅藤とは大分異なっていた。紅い羽毛が目立つ紅藤とは対照的に、峰白は白い羽毛が多く、更にその身体は紅藤に較べてうんと小柄だった。せいぜい飼育小屋などにいる白色レグホンの倍ほどの大きさしかなく、重さも目測で五、六キロ程度であろう。羽毛の色調の違いは個性の範疇であろうが、峰白と紅藤の大きさは、両者が保有する妖力量の差を如実に表していた。紅藤は文句なしの大妖怪であるが、峰白は大妖怪と呼ぶには妖力が少ないらしい。もっとも、峰白は妖力を消耗して弱小妖怪になってしまった事があるらしいので、そこは致し方ない話なのだろうが。
全く大きさの異なる雉妖怪姉妹を眺めながら、源吾郎はふとホップの事を思っていた。ホップは十姉妹であるが、源吾郎の妖気を受けて妖怪化している。今は雀よりもなお小さい小鳥であるが、妖力を蓄えればゆくゆくは巨大化するのかもしれない。そんな事を思っていたのだ。
「ねぇ緑樹」
峰白は小首を傾げつつ言葉を続ける。鳥妖怪が首を傾げる行為には深い意味はない。鳥類の多くは目が頭の横に付いており、実は正面の物を見るのは苦手なのだ。正面に位置する物を見るために、鳥たちの多くはこうして首を傾げるのである。
「多分、あんたの事だから、玉面公主様を経由して孫悟空とかの力添えが出来れば僥倖、とでも思っていたんでしょう。だけどね、あんたの血縁者を考えてみれば、わざわざ孫悟空の力を借りなくても、有力者の力添えは出来ると思うんだけどねぇ。外戚として酒呑童子の子孫がいる訳だし、そもそもあんたの父親は白猿でしょう?」
峰白はまたここで軽く首を傾げる。今度は何かを思い出しているかのようだった。
「あ、でも、白猿と言えば、胡喜媚様の義姉である金毛九尾様が、蘇妲己と名乗っていた頃に紂王の許に腕の立つ将軍として派遣していた事があったわね。エンコーだったかしら。緑樹も白猿の縁者ですし、猿は猿でもそちらに声をかけてみては如何?」
「まぁ、峰白のお姉様ったら……」
あっけらかんとした峰白の提案に、紅藤が嘴を挟む。さして暑くもないのに嘴をしばらく開けたままにしている所からも、紅藤の呆れの気配が漂っていた。
「お姉様の仰る袁洪様は、梅山七怪のお一人ですよね。あのお方は、当の昔に他の六妖怪と共に二郎真君に討伐されておかくれになってしまったではありませんか。峰白のお姉様も、そういう所は少し疎いんですから……」
紅藤の物言いは、何処か非難がましい色調に彩られていた。
「まぁまぁ。峰白様も紅藤様も、八頭怪の討伐についての作戦会議はこれくらいにした方が宜しいのではありませんか?」
翼を打ち風を切る音を立ててから、鴉天狗の灰高が声高に告げる。八頭衆最年長である彼もまた、鴉天狗の本性を露わにしたまま、他の面々と向き合っていた。鴉天狗の真の姿。それは何という事は無い。鴉そのものの姿である。但し、普通の鴉では考えられぬほどの巨躯であるが。それでも、紅藤よりは少し小ぶりであろうか。
「島崎君の能力に関する打ち合わせに引き続き、抜き打ちでお見えになった玉面公主様たちとの会合もあったのですよ。立て続けに行われた打ち合わせで、私どもも心身ともに疲れ切っているのです。疲労と緊張で緩んだ脳味噌を突き合わせて話し合ったとしても、そこで出てくるのは碌な意見ではありませんとも」
「……」
自分は疲れ切っているのだ。灰高の堂々とした宣言に、源吾郎は少し呆気に取られてしまった。そしてほんの少しだけ、灰高の言葉と態度がカッコいいと思ってしまったのだ。いけ好かない、老鴉天狗の事をカッコいいと思ってしまった事に、いくばくかの気まずさと罪悪感を即座に抱く事になってしまったのだが。
「それよりも、私どもにはもっと差し迫った案件もありますからね」
「……八頭怪に与しているのが果たして誰なのか。その事について白黒つけるという事ですよね」
紅藤の声は鋭かった。その声には緊張が多分に含まれている事は言うまでもない。だが、それ以外にも色々な物が内包しているかのようだった。
灰高はしばらく何も言わなかった。ただただ黒光りする嘴をわずかに開き、鴉としての笑みを紅藤に見せていた。
そしてそれから――ゆっくりと変化した。巨大な鴉の姿から、源吾郎が普段見慣れた人型に戻ったのである。灰高が再び口を開いたのは、人型に戻った後の事だった。
「そちらにつきましても、また後日皆でお話ししましょう。私とてこの手の話は早めに片づけておきたいと思っております。ですが、先も申しました通り、十全ではない時に話し合ったとしても、それはそれで収拾がつかぬ事もありますからね。
それに、玉面公主様に感づかれたとしても、だからと言ってすぐに彼女らも動くとは限りませんからね」
「ええ。そうね、その通りよね灰高のお兄様」
ゆったりとした口調で応じると、紅藤もまた人型に変化し直す。灰高と紅藤が人型に変化したのが皮きりだったのか、他の妖怪たちも徐々に人型に変化し始めたのだった。
さて、思わぬ来客によって幹部も側近も疲労困憊となった今回の打ち合わせであるが、研究センターの面々については、萩尾丸が車の運転をするために出迎えてくれるという嬉しい誤算があった。
ちなみに萩尾丸自身は転移術でこちらの本社に訪れ、雪羽の事はサカイ先輩に任せているのだという。ヤンチャな雪羽であるが、サカイ先輩の前では大人しく振舞い、いっそしおらしく見える事さえあった。サカイ先輩はすきま女であり、鋭角の猟犬という異なる次元の住民が先祖であるらしい。そのためか、雪羽の電流探知能力は彼女に対しては上手く作用しないのだ。おのれの電流探知能力を半ば過信しがちなきらいのある雪羽は、それ故に能力が通じない相手に対して恐怖心を抱くらしい。
それにサカイ先輩も、若手社員と言えどもそろそろ後輩や研修生の面倒を見るようなリーダーシップを発揮してほしいと思っている。そのような考えを、萩尾丸は簡潔な口調ながらも源吾郎たちに明らかにしたのだった。
いずれにせよ、萩尾丸の顔を見てホッとした、源吾郎にとって数少ない瞬間が今宵は訪れたのである。
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