ナレギツネそして山野のキツネ

「そうだ米田さん。僕、本当は米田さんから色々と教えてもらうつもりだったんです。玉藻御前の末裔を自称する狐たちの事とか、彼らが集まる裏初午の事ですとか」


 当初の目的を思い出した源吾郎は、やや取り繕うような口調で米田さんに問いかけた。元より源吾郎は、玉藻御前の末裔を名乗る妖狐たちが各地に点在している事は知っている。二尾の穂谷など、実際に玉藻御前の末裔を名乗っている妖狐と仕事の上で接触した事もある。

 しかしそれでも、彼らの実態について詳しく知っているわけでは無かった。それは源吾郎が妖怪として暮らし始めて間がなく、源吾郎自身が若いからに他ならない。

 確実に言えるのは、玉藻御前の末裔を名乗る妖狐たちや組織(?)の方が、源吾郎よりも長い歴史を重ねている事だった。


「玉藻御前の末裔を名乗る妖狐が大勢いる事は僕も今では知ってます。定期的に会合をなさっているという事は、やはり自称している狐たちも組織だった集団と言う事になるのでしょうか」


 自称・玉藻御前の末裔たちは彼らの手によって独自の組織や派閥を構築している。源吾郎は特に疑問を持たずにそのように考えていた。妖狐がコミュニティを構築しやすく、組織での結束が固いという種族的な特性は、もちろん源吾郎も知っている。

 そうした妖狐らの気質の最たるは稲荷の眷属であろう。だがもちろん、民間勤めである野狐たちも、稲荷の眷属と負けず劣らず結束の固さを見せる事が往々にしてある。もっとも、そうした気質が軽度の選民主義や排他的な思想に直結するという負の面も持ち合わせているのだが。

 ともあれ、玉藻御前の末裔を名乗る面々も、そうした考えを抱えているのは当然のことに違いないと思っていたのだ。

 米田さんは思案するように首を傾げ、少ししてから口を開いた。


「そうねぇ……島崎君の言ったとおり、外から見れば玉藻御前の末裔を名乗る妖狐たちって、一つの大きなグループであるように見えるのかもしれないわ。

 でも本当は一枚岩じゃあないのよ。公式の団体の中にも流派とか派閥とかが幾つもあるし、非公式の団体もあるみたいなのよね。もちろん、公式・非公式に関わらず団体に属しないモグリの輩もいるんですけれど」

「思ってたより複雑なんですね……」


 思案しつつ語られた米田さんの言葉に。源吾郎は思わず言葉を漏らしていた。

 公式も非公式も、玉藻御前の末裔を僭称しているだけなのだから全員非公式で良いだろうに。内心そんな事を思っていた源吾郎であるが、空気を読んで口にはしなかった。

 玉藻御前の末裔を名乗る者たちが横行する事実に思う所のある源吾郎であるが、真なる玉藻御前の末裔たちが彼らの存在を黙認している事は流石に知っているからだ。一族の中で最強の存在たる白銀御前が彼らの存在を許さないのであれば、そもそも玉藻御前の末裔を名乗る妖狐などは一匹たりとも存在できないはずなのだから。

 一族の長ともいえる祖母がそうしたスタンスを貫いているのだ。だから末孫である源吾郎もそれに倣うべきなのだ。現に叔父や叔母は、自称玉藻御前の末裔と交流しているみたいだし。源吾郎は妖狐的な考えでもってそう思う他なかった。


「でもね島崎君。そんなに複雑に考えなくて大丈夫よ。島崎君が会った事のある自称・玉藻御前の末裔たちは、全員公式団体に所属している狐たちだから、ね。萩尾丸様の許で働いていたりする狐たちでしょうから」

「言われてみれば、穂谷さんたちも萩尾丸先輩の部下ですね」

「萩尾丸様は、組織内での立ち位置やパワーバランスにかなり敏感なお方だからだと思うの。自称・玉藻御前の末裔を部下に引き入れるにしても公式団体に所属している狐を選ぶとか、そうじゃなかったら公式団体に入るように進めるとかなさっているんじゃあないかしら」

「萩尾丸先輩ならばやりかねない話ですね」


 納得の色をふんだんに込めて、源吾郎は言葉を紡いだ。妖材教育じんざいきょういくの鬼(天狗だけど)たる萩尾丸は、手掛けている妖材じんざいを付ける事に心を砕いている事は源吾郎も知っている。非力な妖怪にはビジネスマンとして生計を立てる術を教え込み、才能のある妖怪にはその才能を更に伸ばすように仕向ける。それが萩尾丸の妖材教育じんざいきょういくのスタンスだったのだ。

 そうなれば、玉藻御前の末裔を名乗っている妖狐たちを、より付加価値のある存在へと導こうとするのは何らおかしな話ではない。むしろ自然な流れともいえる。


「あのお方が組織の事とか名家のネームバリューとかそれに伴う責務の事とかに恐ろしく敏感な事は僕たちもよくよく存じております。妖怪の世界は確かに実力が物を言う世界ですが、だからと言って力を持つ者が好き放題に振舞う事は赦されないと、萩尾丸先輩は折に触れて僕たちに話すのです。

 才能や身分、或いは権力には責務が憑き纏うのだとね」

「そうなのね。島崎君と雷園寺君は、職場でそんな話を聞かされて過ごしているのね」

「雷園寺ですって! 僕は別に、あいつの名前は口にしていなかったんですが……どうして解ったんですか?」


 源吾郎は目を丸くしつつ米田さんに問いかけた。思いがけず雪羽の名前が出てきた事に、素直に驚いていたのだ。

 一方の米田さんは、相変わらずその面に笑みを浮かべている。


「島崎君はさっき、って言ってたでしょ。萩尾丸様が島崎君と一緒くたにそう言う話をする相手と言えば、雷園寺君だろうなってすぐにピンと来たわ。ほら、あの時雷園寺君って、色々あって萩尾丸様の許で修行する事がトントン拍子で決まってもいた訳だし」


 そう言う事だったのか。源吾郎はいたく納得し、その面にふんわりとした笑みを添えた。

 雷園寺君は元気かしら? 何故ここで雪羽の事を尋ねたのかは解らない。しかし米田さんの声には気遣うような色が濃く滲んでいる。


「ええ。雷園寺君は元気にやってますよ。昨日だって久しぶりに戦闘訓練があったのですが、いかんせん強くて苦労しましたよ。上司たちの意向でお互い妖術は使わずに体術のみでぶつかり合ったんですが……それでも歯が立ちませんでした。

 もっとも、雷園寺君は戦闘能力の高い雷獣なので、ある意味致し方ないのかもしれませんがね」


 よく知る雪羽の話が題材だったためか、源吾郎はにわかに饒舌になっていた。戦闘訓練で負け戦だったという話はそれほどカッコいい物では無かったが、事実なのだから致し方ない。雷獣の雪羽は雷撃という強力な攻撃術の持ち主である。しかし、その攻撃術に頼らずとも十二分に強かったのだ。

 だがもしかしたら、嘘でもいいから自分の方が圧勝したなんて事を言った方が良かったかしら。全てを話し終えてから、源吾郎はそんな事を思いもした。とはいえ、今更そんな事を考えても遅いのだが。

 米田さんは源吾郎の話に耳を傾けていたが、ややあってから静かに微笑んだ。そうだったのね島崎君。まず米田さんはそう言ってから言葉を続ける。


「雷園寺君ともあれから打ち解けて、それで職場でも仲良くしているんでしょう。出会いが出会いだったから少し心配だったけれど、良かったわ」

「雷園寺君と僕が仲良くなったってどうして解ったんでしょうか?」


 思いがけぬ米田さんの言葉に、源吾郎はまたも目を丸くした。先程自分は、雪羽が元気な事と彼との戦闘訓練では苦戦するという話しかしていない。年明けに一緒に遊んだとか、互いに毛皮や尻尾をモフったりするくらいには気を許しているだとか、仲の良さを示唆するような事はまだ話してはいない。


「戦闘訓練で負けたって割には、そんなに悔しがったり腹を立てたりしているって感じじゃあなかったもの。

 それに――雷園寺君の妖気が、島崎君の身体に少し残っているみたいだから」

「そっか、それでですか……!」


 米田さんの推論に、源吾郎は今度は納得の声を漏らした。

 普通の動物同様、妖怪にもマーキングという概念はある。但し匂いだけではなく放出されている妖気も用いられる事がままあるのだ。一方的に相手の所有権や隷属を示す事もまれにあるのだが、基本的には親愛の情や仲間意識をアピールするための行為なのだ。そもそも、親しくない妖怪に妖気を付着させられても、自身の妖力で弾いて定着する事はまずない。もっとも、マーキングする相手が対象よりも格段に強ければ、無理に妖気を付着させる事もできるらしいが。

 雪羽の源吾郎に対するマーキングが、仲間意識に起因する事は言うまでも無い。高い戦闘能力を保持する雪羽であるが、実はその妖力の保有量は源吾郎よりも少ない。妖力面では弱い雪羽が、源吾郎に対して無理くり妖気を付着させる事は理屈上不可能なのだ。

 それにしても、雷園寺の妖気がまだ残っていたとは。妖狐ながらも源吾郎は狐につままれたような気分だった。そもそも彼は、雪羽が妖気を放出しているという事に無頓着な所があるのだ。

 とはいえ、マーキングに関しては源吾郎も雪羽に対して行っている節はあるだろうな。そんな事を思いながら源吾郎は口を開いた。


「ええ。米田さんの仰る通りです。最初こそ出会いが出会いだったんで色々と思う所はありましたが、まぁ何やかんやあって僕も雷園寺君と仲良くなれました。彼もあの一件で反省して、真面目に仕事をこなしていますからね」


 あの一件とは、もちろんグラスタワー事件の事である。元々雪羽は悪ガキとして悪さをしていた訳なのだが、あの事件が決定打となって罰を受ける羽目になったのだ。

 雪羽のあれこれを思い出しながら、源吾郎はしんみりした気分になっていた。

 出会って間がない頃は鼻持ちならぬ悪ガキだと思っていたが、とんでもない才能の持ち主ではないか。源吾郎は素直に雪羽の事をそんな風に評していた。雪羽は元々悪ガキとしてその才能を持て余していたらしい。だがその身に流れる貴族妖怪の血と、大妖怪たる叔父から受けた戦闘の手ほどきは本物である。力に溺れ享楽を求める態度を改めれば、前途ある立派な若者に化けるのは自明の理だった。

 実際の所、力や権威がもたらす影響のリスクについて、今では雪羽の方が源吾郎よりも深く真面目に考えている節すらあるくらいなのだから。むしろ過去の悪評を払拭せねばならぬと意気込んでいるくらいである。源吾郎は考えもしない事だった。源吾郎にはそもそも悪評と呼べるもの自体が無いのだから。

 そこまで考えていた源吾郎はハッとして米田さんの方を見やった。彼女がミルクを飲むのを見届けてから、慌てて口を開く。


「そんな訳で僕は雷園寺君と仲良くやってますけれど、やっぱり米田さんは彼に思う所とかおありですよね?」


 思わず雪羽の事で盛り上がってしまった源吾郎であるが、米田さんにしては面白くない瞬間だったのではないか。グラスタワー事件の情景を思い出しながら源吾郎は思っていた。

 当時の雪羽はまさに悪ガキそのもので、しかも女の子に手を出そうとするドスケベ小僧だったのだ。男である源吾郎でさえ、宮坂京子に扮していた時は雪羽の挙動に憤慨したものだ。女性である米田さんにしてみれば、憤懣やるかたない物ではないか。そんな懸念が源吾郎の中にあった。

 現時点でも、雪羽が更生しつつある事を認めている妖怪たちは少ない。雷園寺家の事件解決後からちょっとずつ雪羽のイメージは変わっているのかもしれないが……それでも若妖怪たちと雪羽の間の距離は大きなものだった。雪羽が若妖怪の中でも強すぎる事も大きな要因であろうが。

 別に私は大丈夫よ。米田さんはこだわりのない様子で首を振った。


「あの子がヤンチャ放題だって事は、私も昔から知ってるもの。確かに、向こうが殺す気でこちらに襲い掛かってきたらどうにもならないわ。でもね、あの子がそんな事をするとは思わない。

――本当にも辞さない相手は、目や立ち振る舞いを見ただけでも判るものなのよ」


 源吾郎はヒュッと喉を鳴らしただけで、すぐに言葉を吐き出す事が出来なかった。ともあれ米田さんは雪羽を、単にヤンチャな仔猫だと思っているだけに過ぎないようだ。せめてそうだったんですね、とでも言えば良かったのだ。

 だが源吾郎は、殺しという言葉についつい反応してしまったのである。ついでに言えば、その時米田さんの瞳が猛獣のように光った所も視てしまった訳であるし。

 米田さんって本当に強いんだろうなぁ。源吾郎は彼女を見やりながらそう思うのがやっとだった。彼女は二尾であり、妖力の保有量という面で見れば源吾郎や雪羽よりも

 だが、妖怪の強さは妖力の保有量でのみ決まるわけでは無い事を、源吾郎は既にきちんと把握していた。むしろ勝負は妖力の量よりも経験が左右する部分もかなり大きいのだから。

 米田さんは傭兵として働く事もあり、戦士としても兵士としても優秀なんだぜ。かつて雪羽が教えてくれた言葉を、源吾郎はここに来て思い出したのだった。


 しばし話の流れが雪羽の事に傾いていたのだが、米田さんはきちんと裏初午の事について軌道修正してくれた。玉藻御前の末裔を自称する妖狐たちは、他の妖狐に推薦されて公式団体に仲間入りする事になるのだそうだ。

 そして二月の裏初午は、言うまでもなく公式団体が運営する会合であるという。社会妖デビューを果たした源吾郎も裏初午に参加するというのは、要は公式団体への挨拶になるという事だろう。


「普通の妖狐だったら、テストとか面談とかでその団体の自称・玉藻御前の末裔である事が認可されるのよね。私や穂谷君たちもそんな感じだったのよ。

 だけど島崎君は本当に玉藻御前の末裔だから、団体の中では特別枠になるでしょうね。桐谷さんたち兄妹の前例もある事ですし」

「そう言えば叔父と叔母はその会合で来賓として呼ばれているって話でしたが、確かに特別枠にするしかないですよね。何せ本物なので」


 裏初午に集まる妖狐たちは玉藻御前の末裔を名乗る妖狐たちである。ある意味偽者揃いなのだ。そんな中に本物を会員として取り込むのは妙な話である。

 源吾郎に関しては苅藻達の甥である事は明らかなので、そんなに形式ばらなくても大丈夫だと米田さんは言ってくれた。というよりも、玉藻御前の曾孫の一人が、妖怪社会の中に飛び込んだという事は既に妖怪社会の中で広く知れ渡っている事なのだ。


「まぁ、会合と言っても各会員の定例報告と……あとは仲間同士での親睦を深めるって言う意味合いが強いかしらね。妖狐って結構仲間でつるんで行動する事が多いけれど、玉藻御前の末裔を名乗る狐って単独行動が好きな妖狐も多かったりするの。

 もしかしたら、そうした事を見越して組織が作られた側面があるのかもしれないわ」

「確かに妖狐って、集団行動が好きですもんね」


 言ってから、源吾郎は脳裏にかすかな違和感を覚えた。昔読んだ動物図鑑の、キツネの項目について何故か思い出していたのだ。キツネはイヌ科に属している。肉食であるが果物なども食べる。適応力が高く賢い。イヌ科にしては珍しく、群れを作る習性は――そのような博物学的知識である。

 違和感の正体について源吾郎はさほど注意を払わなかった。米田さんが口を動かすのを察したからだ。


「あとね、時々本当に外部からお客さんを呼んで講演する事もあるの。そのお客さんは妖狐とは限らないんだけどね。でも妖怪の生態とか妖術の研究とかの講演がメインだから、結構興味深くて面白いのよ」

「講演まであるんですか。でも面白いって仰るなんて、米田さんは勉強熱心なのですね」


 源吾郎はそう言ってから、印象に残った講演は何かと米田さんに尋ねた。その問いには深い意味は無かったのだが。


「そうね……『ナレギツネから紐解く妖狐の自己家畜化説』って言う講演が私は印象的だったわ。妖狐の生活史や歴史を研究している博士の講演だったの。話を聞いていた妖狐たちが腹を立てて、とんでもない騒ぎになった事でも有名なんだけどね。ブーイングだけじゃあなくて、丸めたレジュメとかを博士に投げつけたりする狐たちもいたくらいだったし」

「そんな大騒ぎでしたら、嫌でも印象に残りますよね」


 過激すぎる講演に、源吾郎は目を白黒させていた。そんな会合に出席しても大丈夫なのだろうか。そもそも自分は本物だけど、人間の血が濃い半妖でもあるし……米田さんは先の源吾郎の言葉には何も言わず、しかし静かに語り始めていた。何処か物憂げな表情を浮かべながら。


「妖狐たち、特に両親や先祖代々妖狐として存在していた妖狐たちの特徴は、近年人の手で家畜化された狐たちと――簡単に言えばそんな話だったわ」

「それで自己家畜化ってお話が出ていたんですね。高校生の時に聞いた事があるんです。それこそ人間も、自分で自分を家畜化した動物だって。ええと、確か保健体育とかの授業でそんな話になった気がするんですが……」

 

ここで一呼吸おいてから、源吾郎は言葉を重ねた。


「確かに妖狐の皆さんにしてみれば不愉快なお話かもしれませんね。そりゃあまぁキツネを飼いならそうと研究した人間がいる事を僕だって知ってはいます。ですがそれと自分たちが同じだというのを、気高いお狐様たちが納得できるかどうかは別問題ですし」

「あら、島崎君は割と冷静に受け止めるのね?」

「人の手で飼いならされた狐どころか、そもそも僕には人間の血が流れていますからね」


 いたずらっぽい米田さんの言葉に対し、源吾郎は力なく微笑みながらそう言った。人間の手で育てられた狐という意味では、源吾郎も大いに当てはまるのだ。何せ父親が人間なのだから。更に言えば妖狐の血を受け継いだ母も半妖であるし、兄姉たちに至ってはほぼ完全に人間になっているではないか。

 とはいえ、純血の妖狐と半妖ではまた事情が違う。そう思い直した源吾郎は米田さんに静かに問いかけた。


「米田さんは、その講演を聞いてどう思われたんでしょうか?」

「――とっても興味深い話だって思ったわ」


 即答と呼んでも遜色ないスピードでもって米田さんは応じた。笑みを作ってはいるものの、物憂げな雰囲気がまたぞろ戻ってきているではないか。


「他の皆は認めたくなくて大騒ぎしてしまったけれど、冷静に考えれば当てはまる所があって、私は腑に落ちた気分なの。

 島崎君。妖狐って集団での結束が強いし人間にも友好的でしょ? そうした特徴って、ナレギツネって呼ばれている家畜化されたキツネにも十分当てはまるのよ。

 博士が言ったのはそれだけじゃないわ。頭骨や毛皮の色みたいな身体的特徴にも注目していたの。妖狐にはキツネ色だけじゃなくて色んな毛の色があって、後は頭骨が、頭の骨が普通のキツネより小さく太短い特徴があるんですって。それもやっぱり、家畜化されたキツネや、都市部に棲むキツネの持つ特徴なのよ」

「…………」


 源吾郎は瞠目し、相槌を打つのも忘れて米田さんの話を聞いていた。米田さんの説明は解りやすく、だからこそ件の講演の内容が源吾郎の頭の中にもするすると入って来てくれたのだ。

 米田さんは息を吐き、まつ毛を揺らしながら呟いた。


「本当のことを言うと、博士の講演は私にとってありがたい物だったわ。

 どうして自分が他の妖狐とのか。その事をはっきりと知る事が出来たからね」


 自分は妖狐の一族の出身ではなくて、普通のキツネから妖怪化した存在なのだ。声のトーンを変えぬままに米田さんは言い足した。後天的に動物や人間が妖怪化する事例はあるにはある。妖狐たちの中にもそうした個体がいる事は源吾郎も知っていた。


「キツネだった時の事はあんまり覚えてないわ。まだ仔狐と若狐のあいだだった頃に妖狐になって、それからは親代わりの妖狐たちに妖狐として育てられたから……」


 後天的に妖怪になった存在を別の妖怪が保護する。それは自然な事だと源吾郎も思っていた。そもそも源吾郎だって、後天的に妖怪化した十姉妹のホップを、使い魔として養っている身分である。


「自分は妖狐になったけれど、他の妖狐たちとは何かが違う。それが何でなのか長らく解らなかったの。だけど、あの博士の講演でその理由が解ったのよ。やっぱり普通のキツネと妖狐として代を重ねた妖狐は違うんだってね」

「米田さん……」


 遠くを探る様な眼差しを向けていた米田さんに対し、源吾郎はただ静かに呼びかける事しかできなかった。

 彼女の事をもっと知りたい……デート中の男が思うにはごく平凡な考えが、源吾郎の脳裏にもやはり浮き上がっていたのだった。

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