spin

 No.22は私を『ツァイヴァル・コールデン』と呼ぶが、〈G:φ〉のトップ、ファッセンベルク・H・クリークトン長官殿は『クリーチャ』と呼ぶ。アレの呼び方である『セロ』とその二つ、どっちが本名に近いのかと問われれば、強いていうなら『セロ』だと答える。けれどそれでさえ、すれ違っている。


「百八十日ぶり、かな?クリーチャ」


 決してこちらを見ようとはせず、窓の向こうにある庭を眺めるそいつはいった。庭は日本式ではなく、規模を大きくしたらヴェルサイユ宮殿の庭園になってしまいそうな庭だった。無論、噴水もいくつかある。どこからそれを作る金が出ているのか、逼迫している日本のどこにそんな余裕があるのか是非とも聞きたいところだ。だけどそれをいう前に長官の言葉に返しをあげなければいけない。このファッセンベルクという男は、まるで無味無臭のガスが突然爆発するような気質でここまでのし上がってきた。

「秋冷・是人が死んだぶりですよ。ですからまぁ、そうですね」

 元首相官邸のこの建物は今や別の意味で国家の中枢となっている。そこの長官室の光は月明かりだけだった。だからか若干、ファッセンベルクの白い髪と少しだけ見ることのできる髭は目立った。前に見たときよりも随分と白くなっていて、この男もやはり人なのだと感じさせる。今まで隣にいた男が男だったからその感想は尚更だ。だがファッセンベルクはやはり鬼といったほうがいいだろう。イメージ付け的にも、本人的にも。その鬼がまた口を開く。

「ここに来るのは」

「ほとんど五年ぶりですよ、ファッセンベルク殿。私はごく一般的な研究員でしたからね、こんな政府の裏組織のアジトくんだりまで来る必要はなかったんですよ」

 それでも来たことがある理由はもう言わずともがなだ。

 この〈G:φ〉の施設は私の一軒家とはかなり遠いところにある。研究所からも遠く、一生来る機会のないような場所だった。もちろんそれには立地と施設、両方の意味が含んである。そして〈G:φ〉という国家認定スパイ機関などという非現実的な機関が使用している建物だから、中身も普通ではない。例えば今ここで私がファッセンベルクの首に手をかけようと、それどころか銃口を向けたとしよう。そうしたら一斉に個性豊かな名無したち(ジャックス)が私を取り押さえに来る。上から下から右から左から斜めから。ありとあらゆる方向から。そして一斉に私に致命傷を与えることのできる箇所にナイフやら銃口やらその他諸々ヴァリエーション豊かに—それこそデパートみたいな品揃えで—武器を向ける。ファッセンベルクが右腕を上げたら、ここに来るまでに払った労力等は意味消失し、そのまま何事もなかったように私の命はここで途切れる。管理者が死にネットに残されたブログのように、あの一軒家が残るだけで。だからここを一言で表すならバケモノ屋敷だ。一番あっている表現。言えば冷徹の目を向けられる。しかし私はまだ何もいっていない。

「No.22、君はどこまで話した?」

「ウイルス侵入と、それにシレーナ・イレヒエーナが関与している可能性があること、見られたデータについてです。サー」

「ならば、もう下がれ。後で任務を与える」

 言われた22は一礼して部屋の扉を鳴らす。

 部屋には二人きりになる。

 視覚的情報だけに頼ればの話だが。さっきもいったようにここはバケモノ屋敷だ。いつどこから人が出て来てもおかしくはない。それにここの人間が長官殿を一人きりないしは二人きりにするはずもない。おそらくどこかに隠れているはずだ。頭でそうわかっていても、やはり人間の感覚というのは“見えていること”に頼るきらいがある。生来苦手な人種のこの男と一緒にいるのは仮の二人きりだとしても避けたいところだった。そしてしばらくの沈黙が場を支配する。読書するには少し痛い、しかし何かを思案するにも辛い静寂だ。どうにかしようと思うも口を開いてはいけないと勝手に思い込む。ファッセンベルクは背でものを語れる人間だった。広くガタイのいい背はそこにあるだけで威圧や畏怖を集めることができる。それをただじっと見つめるしかできなかった。しかししばらくすると、それが言葉とともに見えなくなった。

こちらを向く。

「君は覚えているかね。秋冷・是人を」

ファッセンベルクの顔は最後見たときとほとんど変わっていなかった。老いはある。しかし止まった老いだ。皺も肌のハリも目の鋭さも、何もかもが止まっている。それは人にいささか恐怖を与える。人は必ず老いるものと本能にインプリンティングされているからだ。

「もちろん」答える。

「研究内容は」

「もちろん」

笑いそうになった。危ない。どうしてかと聞かれれば笑い飛ばして答えたい。

「不老、不死」

馬鹿げた言葉だ。そう思っているのに私はこれを馬鹿真面目に研究していたうちの一人だ。そして私の大学時代からの友人、アイツ、秋冷・是人こそがこの研究を始めた張本人だった。どうしてかは知らない。アレと研究の因果関係などとうに忘れた。それどころか最初っから知らなかったかもしれない。私はただ言われるがまま、されるがまま。十数年あの研究所で『不老不死』を研究していた。生と死のスパイラルから抜ける、ブッダもびっくりのもう一つの方法を私とアイツは探していた。もちろん二人だけで研究していたのではない、愉快な仲間たちもきちんと付随してくる。その中に、ある意味で直接的ではなかったがファッセンベルク・H・クリークトンの名前もあった。何を隠そう『不老不死』の研究を推し進めていた国家を裏から支えているのが〈G:φ〉で、何よりも欲していた機関だったのだから。ならば〈G:φ〉長官の名前がないのはおかしい。

 ファッセンベルクはおもしろそうに目を細める。おそらく私の言葉が平坦にもほどがあったからだろう。どうでもいいことはどこまでも他人の口調になる、私の数少ない特徴の一つだった。

「そう、不老不死だ。君たちがずっと研究してきていたものだ。忘れるわけあるまい」

 奴はよく笑っていた。

『全ての生命はどうして終わりを迎えるのか。何故、再開できない』

 よく尋ねてきては

『人は不老不死になれる』

 そう自己完結していた。

 ファッセンベルクはひどく古めかしい革張りの椅子に座る。今時そんなもの、一軒家と同じく見る機会は少ない。

「秋冷・是人は我が国きっての天才だった。彼の組み立てる理論一つで世界は変わる。君も知っている通り〈イレイザー〉や〈ジェネス〉のプログラムは日々更新され規格を変えていく。しかしそれについていける人間はあまりいない。更新している本人でさえついていけないことがままあるくらいだ。が、秋冷・是人は遅れるという言葉を知らないかのように追いつき追い越し作り上げていった。だからこそ引き抜いた。彼なら我々の望むものを作れると思ったからだ。だが、残念ながら我々の望むような思想や思考、理想、概念、その他諸々を彼は持ち合わせていなかった。我々、もちろん国家としては、その頭脳を生かしてあわよくばさらなる進化を目論んでいた。要求は決して飲まれなかったが。自分の研究したいことが、やりたいことが偶々あなた達の目的と重なっただけだと一蹴されたよ。まだ年端もいかぬ若造にな」

「…あんたらは時計仕掛けだと、いっていましたよ。規則正しいオレンジだってね」

「は、くだらん比喩にもほどがあるな。秋冷は本を良く読んでいたらしいじゃないか、その恩恵か」

 アレックス(オレンジ)、してやったりと政府を欺いたつもりでいるが実はその真反対だったアレックス。時計仕掛けのオレンジ(クロックワークオレンジ)。アレは天才だったから理系だろうが文系だろうがなんでもできた。もちろんジョークだって。本も専門だろうがなかろうが、興味があれば全部読んだ。研究所に入ることが決まったとき、私に向かって放った言葉がそれで、まだ付き合いが浅かった当時の私はとても驚いた。理系一筋のように見えた是人から本の名前が出てくるとは露ほども思っていなかった。それも、狂気と名高い題名が。

 長官は一息つき流れを止める。からりと椅子を半回転させて視線を私から外し、そして長い溜息のようにいった。

「目的と興味は重なっていた。不老不死を追い求めること。老いることのない体、朽ちることのない体。それらを作り出すことは重なっていたはずだった。それは我々といわず全世界の誰もが一度は夢見た創造であり妄想だ」

 アレを知っている人物ならば一度は聞いたことがあるセリフだった。ファッセンベルクは会話の中にねじ込み私にアイツを思い出させようとしてくる。そう、ファッセンベルクはわかっているのだ。本当は私が秋冷・是人をなんとも思っていないことに。

 私は口元に笑みを浮かばせたままそうですね、と頷く。簡単な嘘でも見破ってしまうこの男だけれど、今回だけは違ったようだ。多分、長官自身も秋冷のことなんてどうだっていいのだろう。興味があるのはアイツの研究結果だけ。経過や過程ですらどうだっていい。結果さえ十全で完璧ならそれでいいのだ。

「長官、何故今アイツの話を?私がここに呼ばれたのはシレーナが作ったと思われるウイルスが研究所内に侵入したから、といわれてきたのですか」 

 問いは通知音と沈黙で返された。

 〈拡張世界〉に表示されたのは研究所のどこかの映像。備品とラベリングされたコンテナが棚にいくつも並んでいることから、それとその隣に書かれた分類番号から、そこはおそらく研究棟地下二階の第三冷凍備品室。

 しかし俯瞰の位置から撮られているこの映像には、不可解な点がいくつもある。

 右下の時計からリアルタイムだということがわかる。ということは今現在その部屋は防護服を着た人で溢れかえっているということだ。別に放射能がある部屋でもないから白の防護服をきる必要は全くない。だけれどそれを納得させたのは動きだった。

 調べる、動きだった。きっと鑑識という職種の人間と同じ動きだ。今はもう、〈表示膜〉のドラマの中でしか見られない。

 私は拡大してスクロールして、何調べているか探す。そうして気がついた。少しだけ大きな引き出しが開いていること、一度だけその部屋に入ったことがあること、その時の服装を

——喪服で、入ったんだ、この部屋に、置いたんだ

「気づいたかね」

 私の背中がぞくりとしたのはファッセンベルクの言葉が、例えようもなく冷たかったことでも、思い出したからでもない。

 気づいたから

 そこにあるはずの、アイツの頭蓋骨の中身がないことに。備品に紛れ大切に保管されているはずの、無造作に氷漬けにされて置かれてあるはずの、瓶詰めにされた外殻のないむき出しの脳みそが。

ない

 第三冷凍備品室は元々ただの常温備品室だった。

 それをわざわざ冷凍庫にしつらえてまで脳みそを保管している理由はひとえに秋冷・是人の遺言があったからだ。脳みそを残すように、と。しかし保存場所のことは何にも書いてないのだ。冷凍庫にしたのはファッセンベルク。厳重に隠したらそれが重要物だと気付かれてしまう。ならばいっそ、誰も使うことのない場所にひっそりと、厳重に放置すればよい、そういって一週間で保管庫を作り上げた。

 私は目線を変える。

「こういうことを防ぐために、盗まれるとか、そういうのから守るためにあそこに脳を置いたんじゃあないんですか」

「そうだ」

「あいつの脳は使えなくったって価値がある、そこにあること自体が意味を為す、そういったのはあんたでしょう」

「そうだ」

「ないって、どういうことだ」

 いって、気付く。

 どうもこうも、そういうことだ。シレーナのウイルスが使われて、施設は使用不可状態、職員すべての関心はそっちに向き、放置された重要物は隙だらけになる。

 要は、私たち以外にも価値を見出した人間がいた、それだけ。

 脳みそなんぞ、ではない。脳みそ様なんだ。秋冷・是人を知る者にとっては。

 私は、どうしろと、と問うた。

「秋冷・是人が死んだ時に辞めた者が三人いる、しかしそのうち一人は備品室の意味を知っていた。お前もよく知る人間だ。秋冷の第二補佐、お前の直属の部下だった弾・文人。そいつを追え。我ら以外、あれに価値を見出してならん。奪われては、ならんのだ——」

 不完全にもほどがある答えが、返ってきた。きっとアイツならこういう。

『私のものは私だけのものさ。たとえ、奪われても、ね』

 そう、そういうはずだ。それ以外に何があるという。


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【LADY Lee】 朔 伊織 @touma0813

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