第二の鑑定 戻ってくる手毬 4-1
「恋をしているんだろうな……」
甲斐がそう口にした途端、後ろの方で何かが派手に割れる音がした。硝子のコップを運んでいた娘が、盆ごとそれをひっくり返したのだ。
「すっ、すみません!」
白い前掛けを掛けた娘が、真っ赤な顔で落とした破片を片付けはじめる。
キヌヨと銀蔵に話を聞き終わると、午後の三時になっていた。ちょっと一休みしようと言うことで、雪緒と中津川は甲斐に連れられて近くのミルクホールにやってきた。
ミルクホールというのは、温めたミルクや珈琲、紅茶を中心とした飲み物を安く提供する店のことだ。飲み物の他に、甘い菓子などを出す。大抵どこも内装に西洋の雰囲気を取り入れており、
雪緒たちの卓子はやたらと注目を集めていた。甲斐の爽やかさが、店にいる客たちの視線を独り占めにしていたのだ。
客だけではなく、矢絣の着物に前掛けをつけた給仕役の娘たちも、仕事の合間に熱視線を送ってくる。彼女たちは一様にうっとりとして、興奮していた。甲斐が甘い言葉を囁くだけで、動揺してコップを落とすほどに。
「恋って、一体何の話だい?」
注文したカステイラを素早く食べ終えた中津川が、紅茶のカップを片手に言った。中津川は意外にも甘党なのである。
雪緒が飲んでいるのは冷たいミルクだ。大きくなれますようにと祈りながらゆっくり味わう。……祈ったのは全体的な成長についてであり、胸だけではない。
「何って、銀蔵さんだよ。キヌヨさんのことが好きなんだろ。一臣は気付いてなかったのか?」
甲斐はカップを置いて苦笑した。ちなみに、彼が頼んだのは珈琲のみだ。
「ああ、甲斐さん。先生はそういうの、ちょっと無理です」
雪緒はわざとらしく肩をすくめて見せた。
中津川はあんなに素晴らしい絵を描くのに、いろいろなことに無頓着な男だ。男女の機微など分かるはずがない。
もちろん雪緒は銀蔵の気持ちに気が付いていた。銀蔵は間違いなくキヌヨのことを特別に想っている。純粋に困っている人を助けたいと思う部分もあるのだろうが、それを上回る恋慕の気持ちがばっちり透けて見えた。
身持ちがしっかりしていて独り身の銀蔵が、同じく独り身のキヌヨに恋い焦がれるのは自然なことなのかもしれない。
「雪緒くん。随分失礼なことを言うじゃないか。僕だって銀蔵さんの気持ちくらい察しがついていたさ」
中津川は少しむっとした顔で反論した。雪緒は眉根を寄せて、訝し気な視線を送る。
「えー、本当ですかぁ?」
「気付いてたに決まってるだろう。でなきゃ、あんな質問しないよ」
「ふーん……。先生がねぇ……」
「その顔は、まだ疑ってるだろう? 雪緒くんは僕を一体何だと思っているのかな」
「仕事をしない画家だと思ってますけど」
これ以上ないオチが付いたところで雪緒は黙った。このままでは話が先に進まない。
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