第一の鑑定 血の涙を流す少女の肖像 3-6
それにしても、いくら家にやってきたからと言って、中津川に結婚を迫るとは……。
いくらなんでもありえないと雪緒は思った。甲斐と違って、中津川はだらしなくてひ弱な貧乏画家だ。嫁を持つような器量は持ち合わせていない。
もっとも、真面目に絵筆を握れば、瞬く間に惹き込まれてしまうのだが……。それを言うと図に乗りそうなので、黙っておくことにする。
「どうも、英一さんは、再婚を考えているようだよ。そのために、どこでもいいから娘を外へ出してしまいたいらしい。年頃の娘がいつまでも屋敷にいたんじゃ、なかなか再婚相手も現れないだろうからね。それから……」
中津川は一旦言葉を切ると、雪緒の方をちらりと見た。
「雪緒くんから婿養子の話を聞いて思ったけど、英一さんは『前当主の血縁者』を完全に排除して、山本家を自分だけのものにしたいんじゃないかな」
「えー、排除? それって、英一さんがよし香さんをこの家から追い出そうとしてるってことですよね。そんなことありますか。だって、実の父と娘なのに」
「よし香さんは実の娘だけど、貞之進氏の直系だからね。気質も近いところがあるんじゃないかな。現に、よし香さんはおじいさんの研究を受け継いで、花を育てたりしてるんだろう。そのよし香さんを他の家に嫁がせて、英一さん自身が再婚して子供をもうければ、山本家は前当主の血が入っていない者……だけど英一さんの血を引いている者が受け継いでいくことになる」
「うーん、確かにそうですけど、でも、前当主の血を排除したいとか、そこまで考えますか……?」
話に納得できず、雪緒はやや口を尖らせた。しかし中津川は「甘いなぁ、雪緒くん」と呆れたような笑みを浮かべる。
「婿養子は、えてしてなかなか厳しい立場なんだ。ましてや前の当主の山本貞之進氏は、帝大の教授になった人だからね。貞之進氏の威光を受ける形になるから、娘婿としては頭が上がらなかったんじゃないかな。その貞之進氏の血を引いていたのは菊江さん……つまり、英一さんの奥さんだ。夫婦の間で意見が分かれた時に優先されるのは、英一さんじゃなくて奥さんの意見だっただろうね。彼らが生きている間、英一さんは随分と肩身が狭かったと思うよ」
「うーん、そんなものですかねぇ」
「そんなものさ。だけど、貞之進氏も菊江さんも亡くなった。今現在、前の当主の血を引くのはよし香さんだけだ。彼女を家から出してしまえば、山本家は婿養子である英一さんだけのものになる」
「なるほど……。って、先生。さっきからやけに婿養子の事情に詳しいですね」
「実はね、さっき英一さん本人から愚痴を聞かされたんだ。再婚したいのにいい人がなかなかいない、やっと家の中が思い通りになったのに……ってね。あーあ、本当に面倒臭いよねぇ。僕は婿養子なんてまっぴらだよ」
中津川はそう言って、大袈裟に溜息を吐いた。言葉通り、本当に何もかも面倒臭いと言った様子だ。
雪緒はふと、先ほど盗み聞きした話の内容を思い出した。
もし、中津川がよし香と結婚したら……。
「婿養子じゃなければ、先生も結婚を考えますか?」
ぽつりと尋ねると、中津川はぽかんと口を開けた。
「……は? いきなり何の話だい、雪緒くん」
「さっきの英一さんの提案、受けてみてもいいんじゃないですか? よし香さんと結婚すれば、英一さんはそれなりに生活の助けをしてくれるでしょう。そうすれば、先生は好きなことだけやって暮らせます。ぼくに『絵を描け』ってせっつかれることもなくなりますよ」
英一は、中津川に婿養子に入れと言ったわけではない。よし香に伴侶を持たせ、山本家の外で暮らしてほしいだけなのだ。
結婚するなら、それなりに支度金を用意してくれるだろう。よし香の夫になれば、もう面倒臭いことをしなくて済む。中津川は雪緒を破門して、『曰く付きの品の鑑定』を好きなだけやればいいのだ。
雪緒がそんなことを悶々と考えていると、中津川が呟いた。
「……分かってないなぁ、雪緒くん」
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