第5話 二つの死 後編

 翌日、鍋島と今西は所長から在宅勤務の許可を貰った。

昨夜見つかったイナダタクトのことを調べたいと言うと所長からは、あっさり許可が降りたのだ。

しかし、通常業務も進めるようにと、逐一報告するようにと言われた。

鍋島と今西は昨夜のファミレスに来ていた。

注文したコーヒーとトーストがくるまでの間に昨夜のことを調べていた。

「新聞には出ていないな」

鍋島が新聞を広げて見ていた。

「ネットニュースにもなっていないです」

今西がタブレットで検索しながら言った。

鍋島と今西はファミレスに来る途中にコンビニに寄ってコンビニに置いてある各社の新聞を全て買い占めて読み漁り、ネットニュースもくまなく検索したが昨夜のことは一切出ていなかった。

「あの状況では公表できないだろう」

鍋島は来る途中に買ってきた数社の新聞を見ながら言った。

どの新聞を見ても昨夜のことは載っていなかった。

「警察でも公表しないと判断されたのでしょうか?」

今西はタブレットを見ながら疑問を口にした。

「事情があって公表できないとか?」

「事情ですか…確かに」

鍋島が言うと今西は納得した。

それもそのはずだ。

既に葬儀まで済ませた人物が遺体で見つかったんだから、その前の焼死体は誰なのかという話になってくる。

今頃、警察は貴子の話を鵜呑みにしたことを後悔しているだろう。

 検死の結果が午後に出ると連絡が入ったので鍋島と今西はそれまで通常の業務を急ぎこなすことにした。

「駅前のイルミネーションの点火式の日程が決まったそうです。取材の日程入れておきます」

今西がそう言って、パソコンを操作してメールを送っている。

「昨日の映像にも少し写っていたな。準備は予定通りってことか」

鍋島はパソコンで昨夜撮っていた駅前の映像を見ながら言う。

「そうですね。天気も良さそうなので点火式の撮影にも影響はなさそうです」

今西が天気予報を確認しながら伝えてきた。

「了解!」

 今西からの伝言に鍋島は自分のスケジュールを追加し、取材メンバーと段取りを組み立てていく。同時進行で漁業組合に連絡を入れて年末の取材の申し込みをしておく。

 年末に向けてイベントは目白押しだ。そのため、取材内容の確認と企画書の準備を進めているといつの間にか十一時を回っていて二人は早めの昼食をとることにした。

 通りがかった店員に注文を伝えた直後、鍋島のスマホに澤谷から電話が入った。

 昨夜、想定していた内容より衝撃的な言葉が告げられた。

鍋島は間違えないよう、澤谷が伝えてきた内容を手帳に書き込んでいく。澤谷からは漁港で会いたいと言われた。

鍋島は取材の打ち合わせも兼ねて後で行くと伝える。

鍋島は澤谷からの電話を切ると今西も電話をしていた。

 会話の内容から鑑識からの電話だ。鍋島が見ていると今西の表情が険しくなっていく。鍋島は悶々としながら待った。

 書きかけの企画書と睨めっこしながら待っていると鍋島が注文した焼きそば定食が運ばれてきた。

 今西はまだ電話中だ。

今西は電話の内容をノートに書き込んでいた。

 急いでパソコンを片付けて鍋島は今西の電話を盗み聞きしながら焼きそばを食べ始めた。

 数分後、今度は今西が注文したカレーライスが運ばれてくると、やっと今西の会話が終わった。電話を切った今西が開口一番に告げたのは衝撃な内容だった。

 今西はカレーライスを食べながら鑑識からの話をしだした。

「昨日の遺体は稲田拓人の可能性もあるとのことです」

「その可能性はどれくらいだ?」

「あの遺体の血液型はBで、稲田洋平はO型、妻の貴子はA型だと分かっているそうです」

今西の話に鍋島は疑問を口にした。

「あぁ? なら拓人じゃないだろ。O型とA型の両親からB型の子供は生まれない」

鍋島が言う。

「それが以前、拓人が大怪我をしたときに血液検査をしたのですが、その時、調べた血液型はB型だったそうです」

「大怪我?」

「二年くらい前に拓人が海岸沿いで交通事故を起こしたのを覚えていますか?」

「あぁ、覚えている」

夜、帰宅途中の女性が轢き逃げをされた。その車を運転していたのが拓人だ。

拓人は女性を轢いて怪我をさせて、逃走していたが、その途中前方から来たトラックに衝突して大怪我をした。

その時、病院に運ばれ、調べた血液型がB型だとその時の病院関係者から証言が取れたらしい。

鍋島は今西が伝えてきた内容に更に疑問を感じた。

「まて、稲田拓人は洋平と貴子の子供ではないのか?」

「洋平と貴子は捜査協力を拒んでいます。もちろんDNA検査も拒否しているようです。それが答えなんじゃないですか」

今西があっさりと言う。

 鍋島はO型とA型の夫婦からB型の子供は生まれない。養子なのかそれとも貴子と別の男との子供なのか。貴子がDNA検査を拒んだ理由がここにあるような気がした。

洋平もDNA検査を拒んでいると聞いていた。

それで言うと洋平も拓人は自分の子ではないと知っているはずだ。

「あと、昨夜の遺体は整形した痕があるそうです」

今西が伝えてきた内容に鍋島は驚いた。

「整形って。ますます怪しいじゃないか! いや、それよりも別荘火災の焼死体が稲田拓人で昨夜見つかった死体は稲田拓人に成りすましたのか?」

鍋島は新たな疑惑に驚く。

「今のところわからないと言っていました。そのため、警察内部で捜査のやり直しが検討されているようです」

今西は鑑識からの連絡をメモした手帳を見ながら伝えてきた。

 警察は稲田拓人の出生時の捜索に取り掛かったようだと鑑識から伝えられたと今西が言う。

澤谷から聞いた話でも稲田拓人が養子という言葉は出てこなかった。今までそんな噂も聞いたことがない。

血液型からすると昨夜見つかった遺体は稲田拓人だが整形していたら別人の可能性も捨てきれない。

鍋島はますます怪しいと感じていた。

 稲田家の前当主は拓人を跡取りだと周囲に言っていたはずだ。そしてあの当主だけが持てると言われている指輪も拓人が持っていた。

養子とは考えにくい。それなら……。

「稲田家のことを探った方がいいな」

鍋島はもっと調べる必要性を感じていた。

 あの家にはまだ隠されていることがあるはずだ。一人息子が亡くなっているのに両親がそろって捜査協力を拒むことに事情があるのだろうか。それが拓人の血液型に関することだと考えると納得出来る。

「僕は串田の爺さんのところに行ってきます」

今西が言った。

串田さんなら何か知っているのではないかと今西も考えたのだろう。

「分かった。俺は澤谷さんのところに行ってくるよ」

鍋島も澤谷が何か知っている可能性を期待した。

 串田の爺さんこと山の持ち主と船長の澤谷は何代も前からこの街に住んでいる人物で稲田家の前当主とも面識がある。

その為、稲田家のことも何か知っているかもしれないと期待する。

 今西も二つの遺体に大きな疑問を感じているようだ。

 二人は急いで食事をかき込んだ。

 食後のコーヒーを飲みながら聞き出す内容の確認と待ち合わせ場所を決めてファミレスを出た。

今西が車で漁港まで鍋島を送ってくれた。

今西はこの後、串田さんのところに行くと言っていた。

 鍋島は澤谷がいると思われる漁業組合の建物を目指した。

 午後の時間の漁港は閑散として人もあまりいない。漁から帰ってきた船が港に並んでいる。鍋島はその中から澤谷の船を見て澤谷が漁から帰ってきているのを確認して組合の建物に入る。

建物の中にも二人しかいなくて、その二人に澤谷の居場所を聞いた。

 組合の建物にいると思われていた澤谷だが漁から帰ってからずっと船のところにいると組合の建物の中にいた二人から聞いた。

澤谷の様子がおかしいとその二人は口をそろえて言っていた。

なにがおかしいのか上手く説明出来ないがいつもと違っていたと言った。

鍋島はお礼を言って組合の建物から出て澤谷の船が何時も停まっているところに行く。

澤谷は船からかなり離れたところで海を見ていた。

澤谷の後ろ姿からはいつもの元気さが微塵も感じられない。

「澤谷さん!」

 鍋島が声をかけると澤谷は振り返り笑顔で右手を上げた。

「すみません、ちょっと聞きたいことがありまして」

鍋島は努めて明るく話しかける。

「拓人のことか……」

澤谷から聞かれた。何か勘付いているようだ。

「まぁ、そうです」

 こちらの考えはお見通しと言ったところか。

 今西から聞いた話で一番疑問に思ったのが拓人のことだ。どうやら澤谷も拓人のことを考えていたようだ。

 澤谷は近くにあったブロックに腰を下ろした。それを見て鍋島も澤谷の近くのブロックに座り澤谷を見た。

「さっきも言ったが、拓人は養子ではないぞ」

澤谷の確信的な言葉に鍋島は驚く。

「本当ですか!」

「ああ。うちの親戚に助産師がいるのだが、姫様の出産に立ち会っている。拓人は紛れもなく姫様の子だ」

 古くからこの街にいる人たちは稲田貴子のことを姫様と呼んでいる。元大地主の一人娘はそれこそ昔の大名の姫のような生活をしていたと聞く。そして前当主に甘やかされて育てられため我儘な性格だという。

自分の思うようにならないと癇癪をおこして手がつけられないくらい暴れる。

そのため、貴子の同級生は誰も近づかなくなっていたと噂があった。

「血液型が違うようですが」

鍋島が聞いた。

貴子が産んだということは父親は別の者だとわかった。

「それは……、稲田家の闇だ。このことを知っている者はもうあまりいないだろうな」

 澤谷は目を伏せて言う。澤谷は何か知っているのだ。知っている者があまりいないなら、かなり古い出来事のはずだ。

 詳しく聞こうとしたが、知らないほうがいいと窘められた。

 稲田家の闇。

 貴子の子であることは確かだが、澤谷は洋平との子だとは言わなかった。

やはり焼死体を調べるのを拒んだのは拓人が洋平の子供ではないからだろう。

「洋平はこのことを知っているのですか?」

鍋島は聞いてみた。

「洋平は可哀想なヤツだよ。前当主と姫様の犠牲になったんだ」

澤谷は海を見つめたまま言う。

「犠牲ってどういうことですか?」

鍋島は洋平と貴子の過去に何があったのか気になった。

澤谷は少し考えてから話し始めた。

「洋平は再婚だ。稲田の前当主から言われて離婚させられたんだ」

寂しそうに澤谷は言った。

「離婚させられた?」

鍋島は何があったのか気になった。

もっと聞き出そうとしたが、澤谷は視線を海から足元に移した。

「洋平は貴子に見初められたと言われているがそうじゃない。全ては前当主と貴子の思惑だ。洋平はその犠牲になっただけだ」

「犠牲?」

「前当主は貴子と結婚させるために、洋平は強引に離婚させられたんだ」

「それって貴子が産む子供の父親にする為ですか?」

「今から思えば、そういうことになるだろうな」

鍋島はやはり拓人は洋平の子ではなかったと思った。それを隠すため検査を拒んだ。

澤谷の話だと、洋平は地元の銀行に勤務する銀行マンで営業をしていたと言う。

その流れで稲田家の資産管理をしていたらしい。

その働きが前当主に認められて貴子の結婚相手にと話が持ち込まれたそうだ。

街の大地主である前当主の意向に刃向かえるわけもなく、銀行の支店長や行員たち、更に地元の有力者たちの圧力があり洋平は貴子との結婚を了承するしかなかったようだ。

鍋島は当時の稲田家の状況を考えるとそうなるだろうと思ったが、周囲も同調する状況に嫌悪感を覚えた。

それに稲田家の前当主が貴子の結婚相手は子供の本当の父親でも良かったのではないかと疑問に思う。

拓人の父親は誰なのか興味がわいたがそれ以上教えてもらえなかった。

澤谷は先ほどから沖の船を見ている。

いつもなら豪快な会話が出るのだが珍しく無言が続く。

あと数年で息子に代を譲ると言っていた男は昼間に見ると明らかに老けて見える。その男が力なく呆然と海を眺める様子に少し心配になってきた。

組合の建物にいた人たちが言っていたのはこのことだろう。

鍋島が声をかけようとしたが澤谷が口を開いた。

「昨日から何度も考えたが、おかしいんじゃないかって思うようになった」

やっと話し始めた澤谷だったが、鍋島は澤谷が言っている内容がわからなかった。

「何がおかしいのですか?」

澤谷の話に鍋島が疑問を口にした。

「あの船、見えるか?」

 澤谷が指さしたのは遠くに微かに見える船だ。おもちゃのような小さい船に見えるが実際はかなり大きな船だと想像はつく。

 あの船が何だろうと思いながら鍋島は澤谷と船を交互に見た。

「あの船を挟んで海流が交差するように流れている。だからあの船は丁度、潮の境目にいることになるんだ」

「それがどうしたのですか?」

「うーん。昨日、あの遺体を見つけたのがもっと手前、港に近いところだった」

澤谷は何か考えながら言葉を紡いだ。

「海流に乗っていなかったと言いたいのですか?でもここの海は少し沖に出れば、ある程度の流れがあるはずですよね」

鍋島は昔、澤谷から聞いたことを思い出した。

「確かにそうなんだが、この港を挟んで両側が地形的に突出している。それが星華の裏の崖と向かい側の崖くらいだ。そこから落とすとほぼ間違いなく海流に乗ってもっと沖に流れて外傷も多くなるはずで漁港には戻ってこないんだ」

澤谷は沖に浮かぶ小さな船を見つめたまま言った。

 確かに鍋島が確認した遺体と今西が撮った写真からも昨夜発見された遺体は外傷らしきものも着衣の乱れもなかった。だから海に落ちてからあまり時間が経っていないと昨夜は判断されたはずだ。

 鍋島は海に浮かぶ小さな船を確認した。あの船が潮の境目でその先に星華のチャペルがある崖を見る。目視でははっきりわからないがあの船と同じ位置に突き出ている。もう一方の崖は同じくらい沖に突き出していてこちらは確実に澤谷が言っている海流が傍を流れているのが海の色で分かる。

「もっと手前であの遺体を投げ捨てた。ってことであっていますか?」

「そうだ。だが、お前さんも知っていると思うがそんな場所はないよな」

 澤谷は相変わらず沖の船を見ている。あの場所の手前と言っても漁港や崖などからはかなり離れていて遺体を投げ捨てる場所なんてないしこの辺りは海流も殆どない。

 鍋島も澤谷と一緒に沖の船を見る。

「あっ! もしかして船で運んだ?」

 鍋島が言うと澤谷は少し顔を鍋島に向けた。それで答えは分かった。

「あの星華の崖の向こう側に小さいがヨットハーバーがあっただろ。あの日は夕方から夜にかけて風が強かった」

「そのころには漁船はもっと沖の方にいて気づきにくい?」

「そうだな。漁の真っ最中でそこまで気にする者はいないだろ。今朝、他の漁船の者たちに聞いてみたが、怪しい船は見ていないと言っていた」

 帆船やヨットなら風さえあれば動かすことは出来る。漁のどさくさに紛れて死体を運ぶくらいできそうだ。それか小さなボートでもあればなおさらだ。

鍋島はあることを思い出した。

まさかと思うが確かめたほうがいいだろう。

鍋島が昨夜のことを思い出しながら海を見ていた。

「昨日の夜、見つかったのが拓人なのかはわからないが、あの顔を見ればみんな拓人だと思うだろ。現にわしも拓人じゃないかと疑ったからな」

「稲田拓人が殺されて海に捨てられたと言うのですか?」

「ワシはそう思ったが…」

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