最終話 その怪異は科学です!

 あの事件から数日が経った。

 あんな恐ろしい思いをしたのが、夢や幻だったかのように、平和な日常が続いている。

 私としては……だが。


「愛弟子、食事の用意ができましたよ?」


 師匠はいつもと変わらない柔らかい微笑みで、私を呼ぶ。

 けれど、それは私と師匠が二人でいるときだけ。

 あの騒動後、師匠と私の生活は一変した。

 そのことで、師匠はここのところ、ずっと不機嫌そうで、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。

 無理もない、と思ってしまう。

 せっかく、この屋敷で師匠と私、二人で、二人だけで、穏やかな日々を過ごすはずだったのに。


「やったぁ!美味しそうだねぇ!料理上手なんだ」


「お前の分はありませんよ。そこらの草でも食っていなさい」


「ちょっとぉ!ひどくなぁい?」


 道摩さんは、師匠に向かってにんまり笑って、そして師匠を呼んだ。


――ねぇ?安倍晴明おししょうさま


 師匠は苦虫を噛み潰したような表情で、そんな師匠とは対照的に嫌味なほど楽しそうに笑う道摩さんを見やる。


「お前を弟子にした覚えはありませんよ」


「えぇ?忘れちゃったのぉ?俺が負けたから、君の弟子になってあげたんだよぉ?」


 あの日、師匠の部屋で御礼の話題になった。

 師匠は私を助けた御礼に何が欲しいか、道摩さんにたずねた。

 道摩さんは、少し考えてから、勝負の場が欲しいと何故か、にやりと笑って答えた。

 そして、あの有名な逸話の場面に立ち会った。


――芦屋道満と安倍晴明の対決。


 対決の内容は、御上の御前で袋の中に入っているものを当てるというもの。

 諸説あるだろうが、逸話では袋の中には蜜柑が15個入っており、芦屋道満は蜜柑が15個入っていると答え、安倍晴明は鼠が15匹と答えた。

 本来その袋に入っているのは蜜柑だった。

 安倍晴明の敗北に落胆しながら、御上が袋を開くとそこにはなんと、安倍晴明の宣言した通り、鼠が15匹。

 安倍晴明の術に敗北を喫した芦屋道満は歯噛みしながらも、安倍晴明かれの弟子になったという話。


 それをなんと道摩さんは、この異世界で忠実に再現してのけたのだ。

 しかも、師匠には勝利させてから、弟子になるという話を聞かせた。

 どうやら道摩さんははなから師匠の弟子になることを御礼にするつもりで、この勝負を持ちかけ、逸話を再現するため一芝居打ったらしい。

 御上や陰陽頭さん、検非違使さんも私も、師弟をかけた勝負の場だと聞かされていたし、当然、師匠も知っていると思っていたのに、実際は師匠にとっては寝耳に水。

 後出しジャンケンのようにされて、師匠は嫌がったけれど、御上の御前での対決だったこともあり、勝負は勝負、約束は守られるべき、という陰陽頭さんの言葉が最後の一押しとなって今に至る。


「あんな公平性のない、姑息こそく卑怯ひきょうきわまりない勝負無効ですよ」


「これは勅命ちょくめいだよ?御上に逆らう気ぃ?」


「構いませんよ」


「君は構わなくても、この子は困るんじゃない?御上に逆らう叛逆者はんぎゃくしゃの弟子なんてやっていけないよ?」


「愛弟子のことは私が守ります」


「一緒に仲良く逃亡者になりましょうって?それはそれでひどすぎない?」


「……お前の口を縫い付けてしまいたいですよ。だから春の羽虫は喧しくて虫唾が走ります」


 ヒートアップする二人の言い合いに、思わず私は口を挟む。


「師匠……これ、食べてもいい?」


 この言葉は今じゃないとわかっている。

 私だって、せめて道摩さんとの問答に決着がつくまで待とうと思っていた。

 けれど腹ペコの状態で、目の前には美味しい師匠の手作りご飯がひろがっていた。

 腹の虫たちも早く食べさせろと騒ぎ出して、静かに待つことなどできるはずもなく、結局私は静かに料理を指さしながら言ってしまったのだ。

 師匠は、鼻を鳴らして道摩さんから顔を背けると、いつもの柔和な笑みで私を見て頷いた。


「どうぞ。冷める前に召し上がれ」


「ありがとう!それじゃあ、いただきます!」


「俺もいただきまーす!」


「……はぁ、今度はこいつのだけには、毒でも盛っておきましょうかね」


 師匠の呟きを聞いた私はその冗談を笑い飛ばそうとしたけれど、その時の師匠の目が本気の目をしていて、思わず息を呑み込んだ。


――道摩さん、られるかもしれないっ!


 本気で、そう思ってしまうし、師匠ならやりかねないとも思ってしまう。

 過保護な人だから。


「ねぇねぇ、兄弟子ちゃんは知ってる?」


 まるで空気を読まない道摩さんが、私に明るい声で呼びかけてきた。

 道摩さんが師匠の弟子になって、この屋敷で一緒に暮らし始めてから、道摩さんは私を兄弟子ちゃんと呼ぶ。


「知ってるって何を?」


 私も同じ世界から来たと知ったことで意気投合してからは、道摩さんにも砕けた話し方をするようになった。

 小首を傾げてたずねる私に、道摩さんはからかうように、わざと小声で耳打ちする。

 すぐ横にいる師匠にわざと聞こえる程度の声で。


「あのねぇ、諸説ありだけどねぇ、芦屋道満って安倍晴明の不在時に晴明の妻を寝取るんだよ☆」


即刻そっこくこの屋敷から出ていきなさいっ!!そんな危なっかしい奴を家の中に置いておけませんっ!!」


「なんでそういうことをわざわざ師匠に聞こえるように言うの!?道摩さん!」


「えぇー?そんなに怒ることぉ?別に何気ない世間話じゃーん。それにぃ、お師匠様はまだ独り身で妻なんてまだいないでしょ?君はただの愛弟子なんだから。それともぉ、なにぃ?お師匠様はその立場を利用して弟子に手を出してんのぉ?だとしたなら、俺も気をつけ」


「そろそろ、黙りましょうか。わっぱ


 道摩さんの言葉が止まり、代わりに師匠が絶世の笑みで言い放つ。

 道摩さんは師匠の術によって、もごもごと唇を動かすが、本当に口が縫われたように開かない。

 私はオーラなど見えたことはないが、微笑む師匠の背後には陽炎のように揺らめく不穏な影が渦巻いている気がした。


「ほら、また、こうなるんだからぁ。師匠、いいところで戻してあげてね?」


 もう最近では見慣れた光景に私は呆れたようにため息を吐いて、師匠に声をかける。


「……嫌ですよ」


 プイッと顔をそらす師匠がなんだかとても可愛く見えて、私は小さく笑って師匠のそばに近寄る。

 そして、私は、はにかみながら、師匠にしか聞こえないくらい小さな声で耳元に口を寄せて囁く。


「あのね、師匠、私は師匠が大好きだよ。まだ男のフリをしているし、妻……にはなれていないけど……私が、その、そういう感情……恋愛って意味で好きなのは師匠だけだよ」


 私の言葉を聞いた師匠は驚いたように目を見張り、お酒を飲んだわけでもないのに少し顔を赤らめてから、蕩けるように破顔して甘い声音とともに、観念したように手を上げた。


「愛弟子……ふふ、貴女にはかないませんね」


 私にとっての穏やかな日常が運命なら、それは素敵な運命で、やっぱり私は信じてしまう。

 運命はきっとあるんだって。



 それから少しして、やっと術を解かれた道摩さんに、私は微笑みながら、手を差し出す。


「一緒に怪異を止めていこうね!道摩さん!」


 私の言葉に、道摩さんは力なく微笑んでから、静かに頷き、優しい声音とともに私の手をとった。


「……うん、そうだね。君が、そう望むなら、俺は君のために、この頭と知識を駆使して君の望みを叶えるよ。俺にとっては君の信念が常識なのだから」


「はぁ……せいぜい、私と愛弟子のために身を粉にして働いてください。肉の壁ぐらいには使い道もありましょうから」


 眉を顰め、ため息を吐きながら道摩さんに向かって言い捨てる師匠を、私は窘める。


「師匠ったら!またそんなこと言っ……わぁ!」


 そんな私の言葉が言い終わる前に、道摩さんが縋るように私の足元に抱きついてくる。


「ひどいよぉ、兄弟子、守ってぇ!お師匠様が肉の壁とか言うんだぁ」


 そう言って嘆く道摩さんの頭を、師匠がガシッと掴んで強く握りながら、無言で私から道摩さんを引き剥がす。


「痛たたたっ!!潰れちゃう!お師匠様、本当に俺の頭がリンゴみたいにグシャってっちゃう!!」


「なら、二度と私の愛弟子に抱きつくなよ、童……次はありませんからね?」


「はーい……ごめんなさぁい。っていうか、俺は愛弟子って呼んでくれないんですかぁ?」


「呼ぶわけないでしょう?なんで呼んでもらえると思うんですか?貴方の心の臓は毛玉ですか?」


「ひどい言われようっ!だって、俺だって弟子じゃないですかぁ!」


「愛弟子とは愛する弟子と書いて愛弟子と読みます。お前のことは微塵みじんも愛してもいませんし、なんなら弟子としても即刻、破門はもんにしたいと思っている相手に言うわけないでしょう?」


「取り付く島もないないね☆まぁ、いいや。俺も別に安倍晴明に愛してほしいわけじゃないし」


「なんなんですか、お前は」


「俺が愛しているのも、愛してほしいのも、この子だけだから☆」


 道摩さんは自身の胸元近くで両手でハートを作り、私に向かってパチンッとウィンクする。


――どうしよう……道摩さんは私が女って知らないだろうし、そもそも私は師匠が好きだから……これだけ言ってもらうと、想いに応えてあげられないのが心苦しくなるなぁ……。


 私が困ったように道摩さんをみつめると、道摩さんは大人びた表情で小さく言った。


「いいよ。今は仲の良い兄弟弟子。それでいい」


 そして柔らかく微笑んで、囁くように言った。


「でも覚えておいて、知っておいて、忘れないで。俺が君を愛していること。俺の想いで君が悩む必要はこれっぽっちもないこと。俺だけはいつでも味方でいること。いつか他の誰もが君を見捨てたとしても、俺だけは君を見捨てない。君と出逢った日、君が、俺を見捨てないでいてくれたように……」


 道摩さんからかけられた優しい言葉は、どこかあたたかいラブソングのように感じるほど甘く心地よく、夢見心地に溺れてしまいそうになる。


「浮気ですか?愛弟子」


 ため息とともにかけられた師匠の言葉で現実に引き戻されて、私は慌てて誤魔化すように首を大きく振った。


「ふふふ、ざぁんねん☆」


「諦めなさい。愛弟子は私のものです」


 妖艶な道摩さんの囁き、師匠からの甘い独占欲。

 私にとって穏やかだったはずの日常が、騒がしく、心がふわふわ浮いて、落ち着かない日々に一変する予感がして、私は熱を帯びる頰をさする。



 そんな少し浮ついた空気が流れる屋敷に、飛び込んできたのは、いつかの下手人げしゅにんに顔立ちがとてもよく似ている道摩さんのお抱えの隠密おんみつさん。

 下手人は検非違使さんのところで処断されたはずだから、ここにいるわけはないのだけど、道摩さん曰く、腕がいいからそそられる話で交渉したそうだ。

 一生分の稼ぎを渡したよ、と笑った道摩さんの困ったような笑顔が忘れられない。

 今は、陰陽頭さんとこの屋敷を繋ぐ伝令役を担っているそうだ。

 道摩さんを大将たいしょう、と呼んで隠密さんは、私たちにも深々と頭を下げてから、陰陽頭さんからの言伝を告げる。


「大将。身籠みごもった姫君のいる屋敷で、なんとも火の色が緑色になったとかで、鬼や呪の仕業だって言ってて、てんやわんやだ。今すぐ稀代の陰陽師たちを連れて向かえってさ」


 師匠は、せわしないですね、と呟き、困ったようにため息を吐く。

 道摩さんは、あらら、と苦笑いを浮かべる。

 私は、力強く頷き、にこやかに言った。


――その怪異は科学です!





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その怪異は科学です! うめもも さくら @716sakura87

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