第四十二話 いきなりの決着 -2
しばらくして戻って来たジェイにはもうあの刺々しさを感じなかった。翔の質問にもきちんと答え、進んで業務をこなしていく。声が変わっていた。もうあのゆとりのない声じゃない。
(分かってくれた)
それだけで嬉しい。視線を感じて見回すと課長と目が合った。課長は華の目を穏やかにじっと見つめると頷いてくれた。それがなぜなのか、華には分かるような気がした。
「今日も休んで良かったの?」
「大丈夫。ジェイがね、今日は任せてくれって朝電話くれたんだよ。昨日頑張ったから今日は心配無いって」
「そうなんだ。退院したらご馳走しなくっちゃ」
「お前は寝てればいいの。その時は俺が飯作るよ」
「ほんと?」
「ほんと。作り方は教えろよ」
入院の間、真理恵は華に甘えた。やってはいけないことが多いから、その分夫に安心してなんでも頼める。嬉しそうに我が侭を聞いてくれる華は、真理恵にとって世界中で一番大切な人だ。
「公判、23日の2時からって決まったよ」
翌日、ジェイがそう言った。慌ててスケジュールを見直す。
「行く!! 大丈夫だ、チーフに後のこと頼んでおく」
「うん!」
素直に返事をする声に思わず頭をくしゃくしゃとかき回してやる。
「華さん! なんか勘違いしてるでしょ、それやられて嬉しくなんかないんだからね!」
「お前、ツンデレかぁ」
その後、柏木に頭を下げに行ったジェイを見ていた。謝っているジェイに立ち上がった柏木が笑顔で何かを答えていた。
次の日、早朝出勤をすると誰も来ない内に三途川が出勤してきた。遭難してから初めての出勤だ。
「あら、華早いじゃない」
「三途さん、お帰り! 足はだいじょぶ?」
「大丈夫よ、家ではみんな過保護にしてくれるから。でもここでは自力だからね。逆にいいリハビリになると思うわ」
「さすが、ポジティブ」
「で、早出残業続きなの? 残業は隆生ちゃんに聞いてたけどこんなに早く出て来るなんて」
「明日、ジェイの公判。俺も課長と一緒に行くから」
「そっか……そうだったわね。留守は守るから。ジェイを頼むわね」
「了解、任せて。あ、チーフ、おはようございます!」
「お前、何時に来たんだ? ありさ。薬、車に忘れてたぞ」
「ありがとう、隆生ちゃん」
華は呆れながら池沢に答えた。
「6時にビルに入りましたよ」
「頑張るなぁ。やっぱり責任持つと変わるだろ」
「まぁね。それより、お二人!」
パソコンを打ちながら話していた華はくるっと椅子を回して二人に向き直った。
「あのさ! 頼むから会社で『隆生ちゃん』『ありさ』っての、やめてくんない? オフィスが違うならともかくちょっと気を遣ってよ」
「ごめん」
「悪い……」
三途川の出社でR&Dは勢いづく。
「あいつがいるといないとじゃまるで違うな」
「課長、それはいい意味で?」
華が突っ込むと一瞬言葉が詰まったようで、咳払いが出た。
「なんてこと聞くんだよ。いい意味に決まってるだろ」
「はいはい。今の、聞かなかったことにしてあげます」
「相変わらずイヤなヤツだ」
課長が苦笑いをするのを見て吹き出した。
「ジェイ、落ち着いてますね」
「そうだな。お前が話してくれてだいぶ変わった。あの時は有難いと思ったよ。言う方も辛いのに」
華がジェイを喫茶店に呼び出した日のことだ。
「課長……」
「分かってるんだ、お前にずい分しわ寄せが行っている。真理恵さんが入院しているのにお前のことをカバーしきれてない。悪いな」
「そんなことないです。俺も変わりましたよ、仕事に対する考え方。前は自分が満足すればそれで良かったんです。気持ち良かった、思う通りに仕事するのって。でも今は違うことで気持ちいいです。メンバーのバランスを考えてどういうタイミングで仕事を回していくか。ちょっと面白くなってきてます」
華には課長の気持ちこそ有難い。自分に来るしわ寄せなんか課長の比ではない。これだけの業務を回してメンバーを把握して、それぞれのトラブルに目を向ける。
(俺なんかまだチームの4人で精いっぱいだ)
改めて思う。課長のところまで届きたいと。
「ただいま!」
「お帰り、華くん!」
真理恵がくすっと笑う。
「病院に来て『ただいま』って」
「マリエの待つところに帰ってきたっていう意味。起きてたんだ」
「うん。今日はだいぶ楽なの。そろそろ退院したいな」
「だめ! 絶対に大丈夫って言われてからだ。それにまだ俺も落ち着いてないし」
「明日だね、公判」
「正直さ、俺が行ってもなんの役にも立たないんだけどさ」
「そんなことないよ! 一番大事な時だもん。華くんにとってジェイくんは大切なお友だちなんだからそばにいてあげなきゃ」
「マリエ……」
「でもね、大切にするの、ジェイくんは二番目にしてね。一番は私だからね」
返って来た華の笑顔に真理恵は一瞬息を呑んだ。
(まさなりさんの『マイボーイ』は本当にきれいだね……)
「その笑顔、私以外に見せちゃだめだからね」
「おい、無茶言うなよ。俺は普通に笑ってる」
「はいはい、パパさん」
「だから! 『お父さん』だって!」
裁判所の前でジェイと課長と待ち合わせだった。早めに行った華は車の中で目を閉じて音楽を聴いていた。
『韃靼人の踊り』
気持ちを落ち着かせたい。
自分を重ねてはいけないと分かってはいる。けれど、あの時の自分は逃げた。今日のジェイの戦いは、自分にとっても戦いだ。現実的には何も出来ないだろう。でも自分はただの第三者ではないのだと、そう思う。
ちょうど曲が終わる頃。
――コンコン
窓を叩く音に目を開けた。はっと時計を見る。すぐに車を下りた。
「ごめん! ちょっとうとうとしたみたいだ」
「早かったんだね! だってまだ40分あるよ、西崎さんが来るまで」
「じっとしてらんなくてさ。でもここで寝てるんじゃおんなじなんだけど」
ジェイと一緒に裁判所に入る。
弁護士との打ち合わせの場にいるわけには行かない。華は西崎が来てからまた表に出た。
(裁判所ってホントに冷たく見える)
外観そのものが重苦しい。人を拒んでいるようにしか見えない。
(救われる人だっているんだろうけど……法律関係に進まなくて良かった。俺だって冴木みたいになってたかもしれない)
自分もキツい人間だ。決して優しくは無いだろうと思う。けれど。
(俺にはちゃんとした感情がある。だよな、マリエ)
時間になって中に入る。廊下で課長と一緒になった。特に何を話すでもなく法廷内に向かう。
(証人って誰なんだろう。とうとうジェイは言わなかった)
裁判の流れを変えるほどの証人が来るのだと聞いていた。
その法廷の中で待っていたのは意外な人物だった。
「柏木!」
「柏木さん!」
驚く課長と華の前で柏木の隣に座っていた痩せた男性が頭を下げた。
「今日はこいつ一人に来させたくなくて一緒に来たんです」
「塚田徹と言います」
名前を聞いて、なおのこと驚いた。拉致されたジェイがどこにいるかを教えてくれた人だ。
「確か表には出たくないって聞いてましたけど」
「今日はシェパードくんのために来ました。そして……俺自身のためにも」
そこには強い決意が見えている。その姿は、華がなっていたかもしれない姿だった。顔色が悪く、深い傷を抱いていまだに血を流している。
「あなたのお蔭でジェロームは救われました。心から感謝します。本当にありがとうございました」
深く頭を下げる課長に塚田が立ち上がった。
「違います! 俺は……意気地なしだった。だから彼はこんなにひどい目に遭ったんだ……もっと俺の心が強ければこんなことは起きなかった……怖かったんです、何もかも。怖かった……許してください……」
その言葉が、痛い。
開廷だ。
(冴木は?)
見回したがいない。いるのはちょっとくたびれたような顔をしているパッとしない弁護士だ。なぜ弁護士が変わったのかという検察側の質問にさっさと返事をする。
「冴木弁護士は他の件で告訴され、今取り調べを受けております。ですから私が弁護を引き継ぎました」
(え、逮捕されたってこと?)
課長と顔を見合わせた。裁判長も交代の理由を知りたがった。この裁判に関わりがあるのかどうか。
聞かれた小川という弁護士は言い淀んでいた。検察側からその件について説明ができるとの発言があり、それを聞くことになった。
「今日、証人としてこの法廷に来ている塚田徹さんの事件に関しまして、被告相田圭祐と冴木仁が共謀していたという証拠が挙がり、冴木に対する告訴に至りました。そのため逮捕の運びとなりました」
相田だけじゃない、冴木も共謀していた……
思ってもいない展開にいつのまにか握り拳になる。その拳に力が入っていた。
ジェイの証言が始まる。西崎の質問は、前回冴木から暴力とも言える質問へのジェイの回答の不足を充分補うものだった。
「あなたは東京に出て来て幸せでしたか?」
「はい」
「それはなぜですか?」
「やっと思ったことを自由に話せるようになりました。苦しい生活でしたが、母と私は……幸せでした。二人で助け合って支え合って、そして自由だった。母は最期まで私に笑顔を向けてくれた……東京に出たことに後悔など、一片たりとも浮かんだことはありません。あるとすれば私が不甲斐無かったと……それだけです」
(ジェイ。立派だよ。お前はすごいよ)
「今、被告人相田圭祐に対する気持ちをお聞かせください」
「アレは……人ではありません。人間の弱みに付け込み害を成す寄生虫のようなものです。そんなものに怯えた自分を、私は今、愚か者だったと思っています。怒りもありました。けれどそれも[人間]に向ける気持ちです。アレにそういう感情を向けることすら、今の私には必要の無い感情だと思います」
目を閉じる。その通りだ。
(もう何かの感情を持つことすら今の私には必要の無い感情……)
ジェイの言葉は正しい。いつまで振り回されればいいのか。それを決めるのは自分だ。
塚田が証言台に立った。証人として呼ばれた理由。どう事件に関わっているのか。
「3年前……俺はこの相田圭祐に同じことをされました……レイプです」
騒然となる法廷で質問が続く。
「何をされましたか?」
「……酔い潰されて気がついたらシェパードさんの連れ込まれた同じ家にいました。そこで体にカッターでずっと模様を彫られました」
ジェイの救出直後の体の写真を見せられ、自分の時と同じだと答える。
「何か証拠はありますか?」
相田が叫ぶ、証拠があるわけが無いと。それだけでも自白と同じだ。
「……傷だらけの裸のままで自宅の前に放り出されました。その時、切り裂かれた服も一緒に投げられました。あいつは……傷だらけの俺を犯したんです」
「思い出したくないでしょうね」
「思い出す? いえ! 俺は忘れたくても忘れられない! あいつは……写真を取っていてそれをネタに私を脅しました。そして……さらに2回犯されました……」
法廷内がシンとする。誰も身じろぎもしない。
「あなたの言う証拠とは?」
「その時に切り刻まれた服と……冴木弁護士に叩きつけられた金です。封筒に入ったままあの服と一緒にビニール袋に入ってます。指紋はしっかり残っているでしょう。俺は触りたくなかった…… こんなに時間が経ったのに触ることなんてできない……だから捨てることも出来なかった……」
「他に証拠がありますか?」
「あいつが……送ってきた……俺の体の写真が携帯に残っています。処分したらネットに流すと言われて……」
「なぜ言いなりになったのですか?」
「それしかなかった……写真を握られたことよりも、何よりも……俺は人間としての尊厳をアイツに奪われたんだ……」
塚田は、『怖かった』と何度も言った。その感覚を何年も植え付けられたのにこうやって苦しい思いをしながら証言をしている。
(塚田さん……あなたは今、凄いことをしてるんだよ! 一人の人間を救っているんだ、自分に勝って)
その時、ジェイが倒れた。運ばれていくのを追おうと立ち上がりかけた腕を課長がしっかりと掴んだ。
「華。決着を……ジェイの代わりに見届けるんだ。あいつに教えるんだ、終わったということを」
課長の目を見つめ返して、座り直した。
「はい。しっかりと見て、聞きます。あいつの代わりに」
「判決。被告人を有罪とする」
「ジェローム・シェパード氏への告訴は棄却とする」
課長が強い力で華の手を握った。
「華……ありがとう。お前が支えてくれた。ありがとう……」
「違います。課長だって…… それに誰よりもあいつが頑張ったんだ…… 俺、救われました。ジェイに救われたんだ……」
みんなが心配する中でジェイは目を覚ました。塚田を見たジェイが近づこうとしたが離れていく。
「すみません……俺は人に触れないんです、怖くて……」
その心の傷が和らぐのはいつのことだろう。
(簡単には……消えないよ。人を平気で傷つける人間には分からない。血を流すのは体だけじゃないんだ)
相田がつけた体の傷は消えていても、なお抉る傷がそこにある。塞がることも無く。
これから相田を訴えるために手続きをしに行くという塚田に、課長が頭を下げた。
「あなたの勇気に感謝します。あなたがどう言おうともこいつを救ってくれたのはあなただということに変わりはありません」
華も思うより先に言葉が出ていた。
「塚田さん! 俺はジェイを失わずに済みました。それは悲しいことけどあなたが自分のことを話してくれたからです。ありがとうございました!」
止める間も無かった。人に触れることが出来ないという塚田の体をジェイが抱きしめた。必死に体を離そうとする塚田を、なお抱き続ける。言葉が迸り出た。
「お願い! 独りにならないで……塚田さんが独りじゃ俺……辛いです。辛いです……」
話し続けるジェイの背中を塚田はいつの間にか掴んでいた。まるで縋りつくように。
「俺は……俺は隠れて生きてたよ……けど本当は助けて欲しかったんだ、誰かに。俺が拒んだから誰も俺に触っちゃくれなかった……ありがとう……ありがとう……」
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