ほつれた縫い目



「ありがとうございましたぁ、またお越しくださいませ」


本日最後のお客様が退店し、閉店準備をする。


「よっしゃあー、早く閉店作業終わらせて帰ろ帰ろ~」

「まだ終わらないよ~、まだ棚卸しが残ってるでしょ~」

「あっ、そうだったぁ…。今日はもう帰っていいよ、とはならないですよねぇ…」

「私も一緒に手伝うから、早く終わらせて帰ろうね!」

「は~い」


奏浜さんが仕事をするパン屋さん"ドールベーカリー"では、

月末の棚卸しに追われていた。

このパン屋に就職して3年目になる奏浜さんは、アルバイト学生の

"髙島さん"と一緒に閉店作業をする。


お店の備品や食材の在庫管理は、正社員、アルバイトに関わらず、

このチェックが終わらないと帰ることが出来ないのだ。


「それじゃあ店長、お疲れ様でした」

「お先に失礼しまぁす」

「は~い、おつかれ~」


19時。

いつもの終業時間より1時間30分ほど遅くなってしまった。

店舗裏の従業員出入口の鍵を閉め解散する。


「あれ?‥…まただ」

ここ2週間、仕事が終わって帰る時間帯に、

誰かに見られているような視線を感じる。


駅までの5分ほどの道のりを、小走りで駅へ向かう。

駅の改札を抜けると、その視線は感じなくなる。


はずなんだけど…。


電車に乗り込んで長椅子の端に座る。

すると、乗車口を挟んで斜め向かいの長椅子に、1人の男性が私と同時に席に着いた。

私より少し年上くらいに見える。

サトシみたいなキャップを被ってる。

その男性は、腕組みをして窓の外をぼーっと眺めている。

でも、脇の下に挟み込んだスマホだけが、私の方に不自然に向けられている。

…あれ、盗撮‥だよね?


他の乗客が乗ってきても、電車が発車しても、そのスマホのカメラの位置だけは変わらず、私を捕え続けていた。


私の住むアパート、コーポ•ペルーシュまではあと2駅。

もう少し、もう少しだけ我慢すれば…。


降りる駅に到着、扉が開くと同時に駅のホームに駆け出る。

「……降りて、来ない…よね?」

次から次へと降りてくる人々の中に例の男性の姿はない。

「私が気にしすぎなのかも」

…ほっと一息。

電車の出発のベルが鳴った。

すると例の男性が電車から駆け降りて来た。

「はい!捕まえたぁ!」

「うへっ!」

私が待ち構えているとは知らず、男性は奇声をあげ驚いた。

「私のこと、盗撮してましたよね?警察行きましょう」

「ぁ‥、いや…、あの…」

男性の腕を掴んでいるけど、強引に離れようとはしないみたい。

「逃げる気ですか?これ犯罪ですよね?」

「あなたのことが好きになりました!付き合ってくださいっ!」


付き合うってつまり‥、恋人ってこと!?この盗撮男と!?いやないない‥。


「………はい?」


_______


「ぁ……」

「やぁ…」


ごとん……。    

麦茶のボトルが床に落ちた。


「あああーっ!!おぉお前は!みはらよしろう!!」


アパートの玄関に到着すると、たまたまキッチンから出てきためいちゃんが大声で男性の名前を叫んだ。

「お久しぶり。めいちょん」

「その名前で呼ぶな!ってかなんでここに居る!?」


「ごめんねめいちゃん‥、私がアパートまで連れてきたの。それにめいちゃんと顔馴染みみたいだったから‥」


「なんだ?!どうした大声あげてぇ!」

大家さんが向かいの本屋から駆けつけてきた。


「あっ!てめえ何しに来たぁ!?」

「うわっ!そんなに怒らなくても…」 


 見晴 善郎(みはら よしろう) 25歳

元アパートの住人。

たくろうが来る前の202号室に、2年前まで住んでいた男だ。

メイちゃんのアイドル活動初期からの大ファンだが、

こいつは他の住人の下着を盗んだり、私物の臭いを嗅いだりする。

だから、私が退居命令を出した。


「あなた本当に私のことが好きなんですか?めいちゃんじゃなくて良いの?」


「はい!もちろんですよ!4月20日のライブの時、めいちょんとチェキ撮ってましたよね!あの時からずっとあなたを見てました!」

善郎はさやちゃんの手を握り、この恋が本気であることをアピールする。


確かに、めいちゃんとチェキ撮影してた時、やけに私たちの周りに人が集まってきてはいたけど…。


…やっぱり、最近ずっと続いていた妙な視線はこの人だったんだ。

「どうして買い物に来ないの?毎日居るのに」


「自分パン苦手なんすよ。だから、あなたを見ているだけ」

「なにぃ!?あんたさやちゃんの職場にまで行ってるのか!」

「なぁ?相変わらずヤバいだろ?こいつ」


でも‥、今日は改札を入って同じ電車に乗ったんだよね、この人。

「大家さん。少しだけ彼とお話がしたいので、私の部屋に入れますね」


「え?あ、そう?さやちゃんが問題ないなら全然構わないけど」

「ありがとう大家さん、めいちゃんもごめんね。少しだけ」

「あ、うん、わかったけど。…あんた!さやちゃん泣かせたら、

 ただじゃ済まないからね!」

さやちゃんは下駄箱に2人の靴を入れ、よしろうを部屋に案内する。


「あ、下着ドロ」

シャワールームから出てきたのぼるが頭をタオルで拭きながら言う。

「ちょっとのぼる!隣からギシギシあんあん聞こえてきても聞き耳立てるんじゃないぞ?」

「はぁ?!誰がするかよそんなこと!」


そうは言うものの、大家さんも六倉さんも少し乗り気で楽しんでいる

みたい。

「ほんと、何もないと良いけど…」


「さぁどうぞ、入ってください」

部屋の照明を着け、部屋の中に彼を案内する。

「失礼しまぁす」

部屋に入ると真っ先に目に飛び込んでくるのは、

マイ☆ロディの枕とポム◇ムプリンのクッション、シ♡モロールの掛け布団のシングルベッドだ。

本棚や衣装ケースの上にも、ぬいぐるみが並べて飾られている。

ピーチ系の芳香剤の匂いがする。


奏浜さんは、着ていたトレンチコートをハンガーラックに掛ける。

「どうぞ、座って?」

ベッドの上に案内される。

えぇ!さすがに早くないですか!もうベッドイン!?

と内心ビクビクしながら、ちょこんとベッドの端に座る。


「改めまして、私は奏浜彩也菜です。あなたのことは"善郎さん"って呼んでもいいかしら?」

「ははい、自分は見晴善郎です。あなたのことを"さやなさん"と呼びたいと思います」

まさかこんなすぐ急接近出来るなんて思わなかった。

さやなさん、改めて近くで見てもめちゃくちゃ可愛い‥。


「善郎さんは私のどこが好きになったの?」

「えっと‥、笑顔が素敵で大人しめで穏やかな雰囲気がある所、です」


善郎さん‥、全然私の目を見て話してくれない…。

私だって男の人を部屋に連れて来たの、初めてなんだけどな…。


「私と恋人になりたいってこと‥ですよね?」

「はい!もちろんです」


「じゃぁ、あなたは私に何をくれるの?」


「えっと‥そんな急に何をって言われても…」

「私たち恋人になるんですよね?恋人の証拠が欲しいです」

さやなさんってプライベートではこんなに積極的になるんだ…。

顔も火照って、息も荒くなっている。

「き、キスするとか。S○Xするとか‥ですか?」

「そんなの、消えてなくなっちゃうじゃないですか。

 私はモノが欲しいんです。髪の毛とか爪とか」

確かに、物を恋人の証拠として交換するのはありだな。……髪の毛?


さやなさんは、ベッドの枕元に置いてあった小さな毛糸のウサギの

ぬいぐるみを手に取った。

「私ね。大切なモノや思い出は、全部ぬいぐるみの中にしまってあるの。

この中にはね、高校時代の友達の髪の毛とピアスが入ってるんだぁ」


ぬいぐるみの背中の紐をほどくと、透明のビニールのようなものが出て

きた。


「モノってそういう‥こと?」

それを聞いた瞬間、この部屋に置いてある可愛いはずのぬいぐるみたちが、ドス黒い血で汚れているように見えて、背筋が凍った。


するとさやなさんは立ち上がり、窓際に置いてあったクマのぬいぐるみを

手に取る。

「善郎さんは、私の恋人になるんだから。今一番お気に入りのこの子にしようかなぁ。ねぇ、どう思う?」

「ぁ、うん‥。いいと思うなぁ…」

そう笑顔で話すさやなさんは、再びベッドに座り、

自分の右肩にもたれ掛かってきた。


「 ねぇ‥善郎さん。 あなたは私に、

            何をくれるの?  」


「あの!自分用事を思い出したので!帰ります!さようなら!」

ベッドから飛び降りて、すぐさま部屋を出た。


「え?どうして………、帰っちゃうんだ…」

ひとりぽつんと部屋に取り残された。

…なんだか身体が火照って熱い…かも、のどが渇いたな…。



乱れた衣服を整えてキッチンに向かった。

すると夕食を作る嵐矢くんの背中があった。


…嵐矢くんの背中ってあんなに大きかったんだ。


「あれ?さやちゃん、よしろう帰ったの?」

「さやちゃん大丈夫だった?」


とても落ち着く背中なんだろうなぁ…。


テーブルに座りくつろぐ湿田さん、大家さんの言葉は耳に入らず、

ただ嵐矢の元にふらふら歩み寄る。


「あ、奏浜さん。おかえりなさー」

振り返ろうしたら、お腹に両腕を回され背中に顔をうずめてきた。

「さやちゃん!?‥なにかあった?」

「こりゃまた大胆な‥」

「あの…奏浜さん?」

他の人の目など気にすることもなく、まるで子猫のように嵐矢の背中に抱き付いて小さく深呼吸をする奏浜さん。


はぁ‥落ち着く匂い…。

今日は残業だったし、変な男の人の相手もしたから、疲れちゃった…。

「‥少しだけ、こうしていたい…」


「ぁ…、はい…」

背中に感じる奏浜さんの体温は少し熱く、息もあがっているようだ。

「ぁ…、嵐矢‥くん…」

お腹に回った腕の力は徐々に弱まり、奏浜さんの体温が背中から離れていく…。


「「さやちゃん!?」」

「奏浜さん!!」


______


「38.2℃。風邪だな、咳は出てないみたいだけど」


急に倒れ込んだ奏浜さんを部屋に運び入れ、なんとかベッドに寝かせた。

奏浜さんは顔も赤く、額にびっしりと汗をかいている。

大家さんが汗を拭いたり、体温を計ったりと奏浜さんの看病に

当たってくれている。


「確かに。38.2℃ですね」

大家さんが奏浜さんの体温を計ったばかりの体温計を

無言で渡してきて、じーっと俺の顔を見つめてくる。

「なんですか?」


「いや?舐めないかなぁと思って」

「舐めませんよ!なに言ってるんですか!」


「聞いたかメイちゃん!たくろうは女の子の脇の下に挟んだ体温計なんか

 舐めないらしいぞ!うちの住人にしては珍しい優良物件だな!」

「あぇ!?ば、別に私は何も…」

奏浜さんの部屋の扉からひょこっと顔を出す恵衣さんが奇声をあげた。

手に持っていた冷えピタが床に落ちた。


「確かによしろうが住んでいた時は、事故物件でしたけど‥」

恵衣さんのあの慌て様、

善郎さんとかいう人によほど良くないことをされていたんだろうな‥。

「本当に大丈夫ですかね…、ただの風邪だと良いんですけど」


「ライブに行った20日からってことは、2週間近くよしろうに監視

されていた訳だろ?ただでさえパン屋で接客して疲れているのに、

ストーカーまでされたんじゃ精神的にも持たないだろうな」


「ほんと‥、マジで最悪だなあいつ‥。さやちゃんがこんなになるまで…」

「メイちゃん、冷えピタ2枚ちょうだい。おでこと脇の下に貼るから」

「ぁ、はい。2枚ですね」

恵衣さんが部屋に入ってきて、大家さんに冷えピタを渡した。


「聞いたでしょ!?服を脱がすんだから!部屋から出てよ沢労!」

「ぁ、はい!そうですよね」

恵衣さんにお尻叩かれ部屋から追い出された。


廊下に出てしばし待機する。


「お~さやちゃんおっぱい大きいねぇ」

「私より大きいかも…」

「弾力があってもちもちしてるねぇメイちゃんも触ってみな!」

「さやちゃん起きちゃいますよ~」


ゴクリ‥。

女子だけの花園‥、中でいったいどんな光景が繰り広げられているの

だろうか…。


「なにがゴクリだ変態たくろう」

「なに変な想像してんだこの変態」

ビクッ!!

「えぇ!?いや‥だって花園は?」


俺の慌てる姿を見て、2人でクスクス笑いあっている。

「何もしてねぇわ。冷えピタ貼っただけだぞ」

「とりあえず飯だ飯!さやちゃんのことはしばらく安静に寝かしときな」

「んぇ?ぁ…、はい。わかりました‥」


もう‥、男心を弄ぶのはよくないですよ!


静かな寝息を立てて眠っている奏浜さんの姿を

一瞬だけ確認して、

照明を消してキッチンに向かった。




………みなみ…ちゃん…‥。 

    

『このピ‥スは…達の証!ね!』

        

   『ダメだ…もう‥、…たし‥』

      

      ……だめ……いやだよ………

  

『…ごめ‥ね…さや…………』

    

     『 ……なみ‥‥‥だい‥‥‥ 』

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