第58話 扉の奥
オズは躊躇なく扉を開く。強力な結界が掛けられていたが、扉自体が魔法に耐えられずに半ば劣化していたことが幸いし、魔法の発動体の腕輪を付けた魔法使いにより解除された。
開いた扉の先の部屋はすぐに右に折れ曲がっている。新しい魔石ランプが壁にかけてあるので暗くないのが幸いだ。
鎧や剣、それに複数の骨が床に転がっている。魔法陣もいくつか見て取れた。
「あ、それは踏まないで下さい。まだ有効なようです」
「……」
(これは人の骨か…まて、この鎧の紋章は…)
マーカスが気配を感じながら、警戒のためか仄かに光る剣の柄に手を当てつつ曲がると。
「…!!」
そこには、氷があった。
「これは…」
魔石ランプの光を跳ね返す壁一面の氷の中には、一人の女性が閉じ込められている。
水が滲み出ているというのはこれが原因だった。
「魔法の氷というか…ほぼ水晶です。端っこだけほんの少し…経年劣化で溶けてますが、発動体をつけても溶かせません。かなり強力な魔法で、最早呪いのようです」
女性の刹那を閉じ込めたように、両手を前に出して格子を掴み泣きながら叫んでいた。
「琥珀の目…」
豊かなウェーブのある髪は銀髪だが、目は暗い琥珀色の目。
白いネグリジェを身に着けており、足は裸足。攫われてここへ連れてこられた、というような雰囲気だ。
氷さえなければ今にも声が聞こえてきそうな肌の色。
「…?」
「気が付きました?」
立つ位置を変えるマーカスにオズが訊く。
「ああ」
氷の中に一部、魔石ランプの光を強く反射する場所がある。それは女性の鎖骨あたり。
「よーく見ると、空洞で、八面体です」
調査をした騎士も、魔法使いも、そこが気になったという。
「八面体…」
位置的に想像するのは、ペンダントだ。
「まさか」
「はい。王妃様の、ペンダントの大きさに近いようです」
オズは気を遣って断定は避けたが、普通、宝石ならば様々な形に研磨される。八面体の原石のまま使われるのは、フローライトくらいだ。
そしてこのような大きさの石は稀にしか産出しない。
「誰かに…貰ったと言っていたな」
「はい」
てっきり、王妃となるアメリアへ友人からの贈り物だと思っていたのだが。
その場にオズは居なかったがマーカス自身すぐに忘れそうなので名前だけメモを取り渡しておいた。調査もとっくに終えているだろうと顔を向ける。
「…王妃様はクララという女性に貰った、と仰っていたんですよね?」
「ああ。それで?」
「おそらく、それは…クララ・フォックスという、宰相様の妹君です」
「!?」
マーカスはオズから氷の中の女性へと目を移す。
落ち着いた琥珀色の目は、たしかにメイソンと同じ色だ。
「王族の血を引くメンデル家へ嫁いでおります。…が、病死したという事になっています」
「メンデル…公爵家…」
足元にある鎧を見つめた。その一族の血は数十年前に途絶えている。
当主であるジョセフが妻を失った事で乱心し、屋敷の者を殺害するとその後すぐに首を斬って自害したという非常に痛ましい事件だった。
奥方のクララとの間に子は居なかった。
マーカスの父マルクが騎士団長だった際に起きた事件だったが、凄惨な状態だったためにフォックス家が…メイソンが主導して後始末をしたと聞いた。「妹のために」と言う彼に、父が「珍しい。大恐慌の訪れか」と言ったのを覚えている。
(メイソン…)
病死したはずのクララはここで氷漬けになっている。
鎧のある床には禍々しい、黒い光を放つ魔法陣。
「…お前は、どう思う?」
「魔法陣については調査中ですが、クララ様および救出隊は邪法の生贄になったのかと思われます」
カーターの言う”歴史の繰り返し”。それは人の命を元に行われているのではないか。
「そうだな…」
疑問と悲しみと怒りが同居している女性の姿。
それは惨劇を目の当たりにして「やめて」と叫んでいるようだ。
「そしてこの女性は、アンデットとして彷徨っているかもしれない、か」
「はい」
ペンダントがアメリアの手元にある、という事はそういう事だ。
「だとすると、アメリア嬢が関わった先で変化が訪れる事に納得が行くな」
「ええ。…もしかしたら、フローライト様の慈悲かもしれませんね…」
オズは氷漬けになっているクララを見る。今にも動き出しそうな体色を保っている体。
絵姿とも照らし合わせているから、本人だという事は確定している。
光魔法が強く、聖女候補とも言われた人物だ。さぞ良い贄になっただろう。
「…で、どうします?見せますか?」
「やめよう」
「ですよね」
クララはアメリアにフローライトの石を託し、アメリアはメイソンの野望を徐々に打ち砕いて進んでいる途中だ。
アメリアはここの存在を全く知らないような表情だったし、氷漬けの女性を知っているとも思えなかった。
もし知っているなら真っ先に離れを解体しようと言うはずだが、解体を決めたのはアルフレッドとウィリアムで、アメリアは毒草とリリィだけを注視していた。
「知らずに動いているアメリア嬢を止めたくないな」
カーターも今までとは違う流れに「固唾をのんで見守っている」と言っている。
もしかしたら繰り返されているという惨劇を止められるかもしれない。
「はい。…それに、おそらく宰相様はこの方を氷漬けにしてからは…見に来てないように思えます」
妹の持つフローライトの石が無くなったことに気がつけば、それをアメリアが持っているのを見れば、彼女を優先的に消しに掛かるだろう。
「だが、我々がここに気が付いたことは…もうバレているか」
「ご本人様にはそうでしょうね。だいたい分かりやすいように遺体を地上に置いてますから。…一応、対外的には”メイドが魔法で半壊させたので解体する”と通知しています。後は例の遺体を見た者については箝口令を敷きました」
本当なら知れ渡ってもよい情報なのだが、逆に見た者を…情報源を消しに来られても問題がある。
自分や家族の命が危険に晒されると言えば、誰も言わないだろう。
「分かった」
手早く現場検証をして、さっさと”見なかった”体を装ったほうがいいかもしれない。
「相変わらず…何も証拠にならんな」
「ええ」
氷漬けの妹について追求した所で、驚く顔をするだけだろう。「一体誰が」などという白々しい茶番劇は見たくない。
「こちらの方は如何しましょう」
「…ルギー殿に伝えて…弔ってもらおう。その後は…」
地下室ごと埋めたいが、なんとも後味が悪い。
マーカスがためらっていると、オズの背後で氷が光り始めた。
「!?」
慌てて飛び退くオズだったが、まばゆい光が収まると膨大な量の光る蝶が周囲に舞い始めた。
氷が無くなりそこに居たはずの女性が消えている。
その代わりにカラン、と音がして床に剣が転がった。マーカスはそれを目で追い、驚愕する。
(氷の、魔剣)
メンデル家当主に引き継がれる剣だ。
蝶が何をするのかを監視していたオズは声を上げる。
「わっ!?」
蝶は群れをなして彼らをすり抜け、開いた扉を通過して行く。
「!!」
(結界が消えたからか!)
二人は察すると走って地上へ向かった。
「マーカス!」
丁度いい所に、という顔をしたウィリアムが階段近くに居て、少し離れた所にはアルフレッドに支えられたアメリアがいる。
「今さっき、光る蝶がアメリアへぶつかってきて消えて…」
即座に近寄ると、ゆっくりと地面へ降ろされたアメリアは気を失っている。
「しまった…!」
アンデットとしてクララが活動していそうな予測を立てていたくせに、油断した。
しかし、アメリアはすぐに目を覚ます。
「…あら?」
どうしました?とでも言わんばかりに心配そうに自分の顔を覗き込んでいる面々を見ている。
「アメリア様。体は、なんともありませんか?」
アルフレッドが背中を支えながら質問をするが、自分の手のひらを交互に見てアメリアは微笑む。
「え?ええ…なんだか、暖かいものがぶつかってきて驚いて…特になんともないです」
「良かった…」
ほう、とため息をつくアルフレッドの横で、ウィリアムもホッとしている。
マーカスは彼女が魔剣を身に着けている事を確認し、安堵した。
(もし危険なものなら即座に結界で弾いたはずだ)
そして例のペンダントをよくよく見ると、フローライトの中に小さな光があるように見える。小さな小さな、琥珀色の光だ。
(移動したのか…?)
オズを横目で見ると同じ場所を見ていて、視線に気がつくと微かに頷いた。
「それで、地下には…その、亡くなった人がいるのか?」
ウィリアムの質問に、マーカスは顔をあげて頷く。
「そうか…弔ってやらねばな…」
「ええ。ルギー殿を呼びましょう」
「なんというか、短期間でこんな仕事を何度も押し付けてしまって、申し訳ないな」
「そうですね…」
皮だけの死体は中々衝撃的だ。エーファの時も、青い顔をして祈ってくれた。
それが今回は7体もある。
流石に何か袋に入れて見えないようにしてから祈ってもらったほうがいいかもしれない。
「臨時給与か…何か希望があれば、叶えるようにしよう」
そう言ってウィリアムはマーカスを見る。
「騎士団員も、だ」
「!…承知いたしました。対応に当たった人員の名簿を作っておきましょう」
「ああ、頼む。…いつも済まない」
隣でオズが目を見開いているが、マーカスはニコリと笑って伝えた。
「いいえ、これが仕事ですからね」
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