第37話 復活

「これが裏帳簿です。一通り確認は済ませてありまして、不明点には付箋が挟んであります」

 オズの説明に、この中で数字に一番強いアルフレッドがパラリとめくった。

「…少々お時間を下さい。確認します」

「頼む」

 ウィリアムは早々にさじを投げているが、アメリアも人のことは言えないな、と思った。

 しばらくアルフレッドが確認し、顔をあげる。手にするのはリリィについての帳簿だ。

 その顔にはちょっと悪い笑みが浮かんでいた。

「ありましたね」

「!」

「どうして分かるんだ?」

「…国内の事業なども仕事の内にありますから、帳簿を読めないと仕事にならないのです」

 アルフレッドが苦笑しながら言うと、墓穴を掘ったウィリアムは「すまん」と一言謝った。

「”外遊”や”夜会”という名目の…ドレスに化けていますね」

「そんなものは作らせていないぞ!?」

 だいたいリリィは離れの小さな屋敷から一切、外へ出していない。

 アメリアも王妃になってまだ間がなく、お披露目も外遊もしていないし夜会にも出ていない。

「いずれ”王妃の帳簿”と合わせるのですから、ぱっと見ただけではおかしくならなかったはずですよ。とんでもない事ですが」

(そうよね、本当に嫌になるわ)

 "歪んだ世界"で処刑に繋がる罪状になったアメリアも頷く。

「本当に作られた衣装は王宮からの受注が多い商会名が書かれていますが、この特別なドレスの発注先は…見知らぬ商会ですね。存在しないか、資金の横流し用の商会でしょう」

 確認した者も王宮と関わり合いのある商会ではなない名だと気づいたのだろう。付箋が貼ってあり”要調査”と書かれている。

「国庫から出していたのですか…」

 マーカスは難しい顔をしたがオズは「ですよね」という顔だ。想定内のようだ。

「もしかしたら騎士団の予算からも削られているかもしれませんので、そちらは調査中です」

「!…分かった。引き続き頼む」

 一瞬、マーカスの額に青筋がたったが、自制した彼はため息をついた。

「倉庫は適当に理由を付けて、一つずつ徹底的に調査をするしかありませんねぇ」

「でしたら、隣国から近い場所からお願いします」

 オズは口を挟んだアメリアを見る。

「…なんとなく、です」

「承知しました。そうですね、そんな所に”何か”があれば、隣国と緊張関係になりかねません」

 何もなければそれでいい。

「では、そのように致しましょう。…他に何かございますか?」

「今の所はありません」

「俺もない」

 こうしてフォックス家に関わる調査がようやく、開始されたのだった。


◇◇◇


 薄暗い執務室でメイソンはその時を待っていた。

(もうすぐか)

 フローライトの月が夜空へあがり、その後を追うようにローダークの月が姿を表した。

 今日は満月だ。

 赤黒い月が、柔らかい水色の光を振りまく月と競うように妖しく輝いている。

「姉上…」

 ここ一ヶ月は生きた心地がしなかった。

 ”作業”を大胆に、暴虐にできるのはルシーダが居てこそだ。

 彼女が居ないと何かあった時に"遡り"が不可能になってしまう。自分だけが生き残っても意味がないのだ。

 しかしメイソンは小さく首を横へ振る。

(いや…そうなると、賭けのほうが重要か)

 世界の理を覆す"遡り"は、対価により発動可能となっている。

 それが途絶えれば、自らの行く先が決まってしまうのだ。

 絶対に成功すると…失敗などないと思っていた。

 それだけに、焦りが募る。

『……』

「!…姉上?」

 ルシーダの気配がした。

 室内は光を嫌う彼女のために、極力、照度を落としてある。

 年老いた目で見辛い室内を見回すが姿がない。

「!!」

 その時、全身へ記憶にある圧力が掛かった。

(これは、あの方の…)

 指一本も動かせられない。


【手間を掛けさせるな】


 重く、内蔵を揺らすような声が響く。

 机に両腕を乗せその空気に耐えていると、負荷が消える。

「ハァーッ、ハァーッ…」

 老体にあの圧力は辛い。

 身を屈めて息を吸うことしか出来ない。

(一国の、宰相が…王よりも強い権力を手にした者が、このざまか…)

 しばらくして呼吸が落ち着いてくると、汗を拭う。

『メイソン』

「姉上!…どちらに?」

 いつもなら影からすうっと出てくるというのに。

 いや、その影が動いた。

「…姉上、脅かさないで下さい」

 ぬちゃっと音がしそうな、粘り気のある影を纏って出てきたのは、異様に青白い顔のルシーダ。

 黒いスレンダーなドレスを纏っているかのようだ。

 顔と同じように青白く細い腕を翻したりして、自分の身体を確認している。

 自分と同じ暗い琥珀色の目は変わりない。

(姉上だが…これはどうした事か)

 影から分離しない。

 ルシーダも試しているが、黒く大きな布の中央の切れ目から体を出しているような状態で裾は影とドレスが繋がりそれ以上は抜け出られないようだ。

『どうやら、魔物に…転化されたんだわ』

 あいつめ、というような顔をしてルシーダは妙に赤い爪を噛んでいる。

 目つきもこころなしか、鋭い。

「魔物…?」

『魔族、ね。それも下級かしら。最悪』

 魔族とはローダークを崇める、この世ならざる者たち。

 時折、影の内側にある魔界と呼ばれる世界から人の世界に来ては引っ掻き回すので、討伐対象になっている。

『ま、消滅しないだけマシかしら』

「消滅!?」

『身体は粉々、魂も消えかけていたそうよ。…アタシも記憶がないのよ』

 これから餌食にするアメリアを出迎えようとしたらば、強い倦怠感に襲われた。

 声を掛けられて危機を覚え、その手を払った所までは薄っすらと記憶があるのだが。

 その場から逃げて影へ飛び込んだ後は、全く覚えていない。

 意識が戻ったのはつい先程だ。

「…影からは出られませんか」

『出られないようね』

 そのままの状態でキョロキョロと周囲を見回して、ルシーダは顔をしかめる。

 部屋を囲むように、強い光の素を感じる。

『なんなの?物凄く嫌な感じ』

「ええ。最近…こうなのですよ」

 頭痛は常にある。

 室内は入室を許可していないし、すぐ隣のベッドなどがある私室も探られた形跡はない。

 屋根裏は最近、ネズミや下級の小さな魔獣用の罠の仕掛けを更新したばかりで、再度調査させるには理由がいるのだが、頭痛のせいで思考が散ってしょうがない。

『アンタもヤバそうね。…あの小娘の仕業?』

 アメリアのことだ。

 しかし、手を強くはたかれ自分を驚いた目で見ていた彼女は、何も知らないように思える。

「いえ、色々と行動はしているようですが、想定の範囲内です」

 まだ切り札は手の内にある。

 それに様々な準備には気が付かれていない。…と、部下からは報告が上がっている。

 ルシーダのように影から覗くことも出来ないので、効率と情報の精度はかなり下がってしまっているが。

『…ともかく、巻き返しよ!』

「ええ。姉上が戻れば…まだ大丈夫でしょう」

 しかし。

 ルシーダは他人の体と大量の命を消費してその身に刻んでいた秘術を失い、影を自由に潜れなくなっていた。

 そして魔力が潤沢にある魔界へ戻れない燃費の悪い魔族の体は魔力を欲し…知らない内に影で繋がったメイソンの命を削って魔力へ転化し食していることに、彼らはしばらくの間、気が付かないのだった。

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