下
「あのね、好きとかそういうんじゃなくて、……気になるの」
そう切り出して、奈々子は伏せたまま、ことばを重ねた。愛結が不良っぽいと言ったこと、自分はそうは思わないこと。上原が殴り合いのケンカをしたという噂のこと。今日、たくさんの髪色を校内で見かけたこと。体育館で耳にした彼と体育教師の会話のこと。
つらつらと言いつのった奈々子に、伯母はすぐには何も言い返さなかった。一冊、どこかの棚へ本を仕舞いに行って、帰ってきて、やさしく声をかけてくれる。
「奈々子はさ、友達が、よく知りもしない上原くんのことを見た目だけで不良だって言ったのが、まず気にくわないんだよね」
気にくわない。その表現は、『気になる』よりも、しっくりときた。
「あんたは、小説やまんが、エッセイやノンフィクション、ありとあらゆるジャンルが好きでしょう? 文字や物語に浸っているあいだは、だれにだってなれるし、どんな体験だってできる。さまざまなひとに会えるよね。奈々子は正直、地味でおとなしくて引っ込み思案だけど、案外、ひとより多くの経験をしているのよ。もしかしたら、読書に親しまない大人よりもずっと、ね。あんたは、本を通して、ひとの見た目と中身は必ずしも一致しないことを、たまたま知っていただけ。知識や経験の差なのよ、差別するかどうかなんて」
伯母のことばが奈々子の胸にしみこむまでに、伯母はカウンターと書架とを三往復した。
奈々子はうつ伏せたまま、手のなかの注文票を見つめ、上原の書いた端正な文字を指でなぞった。もし、愛結の言うように不良なら、今日体育館で見かけたように、教師の信頼を得られるだろうか。
「気にくわない理由、わかったかも」
奈々子はつぶやき、からだを起こした。
「金髪も、殴り合いのケンカも、上原さんに似合わないからだ」
「……奈々子」
焦ったようにこそっと声をかけてくれた伯母さんとは対照的に、奈々子は少し遠くの伯母さんに聞かせるつもりで話していた。呼ばれて、何事だろうと顔をあげ、固まる。視線が交錯する。
当の上原が、虚を突かれたような顔で、奈々子を見下ろしていた。
「え、あ、あの、ええと──」
頭がまっしろになる。何を言えばいいのかわからなくなった奈々子に、上原はふっと相好を崩した。
「似合わないかあ。そりゃ困ったな」
「すみません!」
「いや、別に平気だよ。ヤツには悪いけど、自分でも思ってた。これ、
カラッとした笑顔で言って、上原は髪を染めた経緯を、簡潔にそう教えてくれた。金髪の理由が、美容専門学校に進学した友人の練習台になっただけ。奈々子は、納得すると同時に拍子抜けした。
「髪をいじられると楽しくてさ。周りの態度がどんどんと変わるし。……警察官を目指すのも、この髪のおかげ」
上原は、奈々子の手元にある注文票に目を落とし、懐かしむように微笑んだ。
派手な髪色にしたあと、泣きじゃくる迷子の女の子を保護して交番にむかったとき、道行くひとはみな不審げにしたけれど、交番のおまわりさんはなんでもないように対応してくれた。それが進路を決めるきっかけだったのだと言う。
実際に話してみると、上原は多弁で爽やかで、怖いところなどいっさいなかった。だから、聞けたのだと思う。
「もうひとつ、質問しても?」
「ケンカの理由?」
問い返されて、こくりとうなずく。
「そもそもケンカじゃなかった。単にいじめを止めただけ」
気にくわなかったことは、これですべてなくなった。奈々子はすっきりとして、カウンター裏の段ボールのなかから、上原の注文した二冊を取り出した。
「わたし、上原さんは立派な警察官になると思います。応援します。三五二〇円です!」
奈々子の最後のひとことに吹き出した上原は、会計しながら、ちょっぴり悪い顔をする。
「そういえば君、今日、体育館の二階通路、歩いてた?」
バッチリ見られてた!
のぞき見をからかう上原と、心のなかで悲鳴を上げる奈々子のようすを、伯母は遠巻きに楽しそうに見守っていた。
KAC20231気に食わない彼 渡波 みずき @micxey
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