噤みの錠が言うところ

椒央スミカ

序章 エルーゼの旅立ち

育ての親、叔母を亡くした田舎娘エルーゼは、遺言に従って「解錠師」を訪ねる。

第01話 エルーゼの旅立ち

 春の兆しが、山の裾野と村の端々に見え始めたころ──。

 育ての親である、叔母が死んだ。

 自室のベッドの上で、安らかに眠るように。

 わたしが学校卒業するのを、待っていたかのように。

 几帳面で、振り子時計の時報のようにきっちり起床する叔母が、けさは起きてこず……。

 胸騒ぎを覚えながら叔母の部屋に入ったわたしを待っていたのは、育ての親との永遠の別れ。

 わたしの子ども時代の終わり。

 したためてあった遺言に従って、自宅葬の喪主を務める。

 けれど、叔母さんの事前の根回しが行き届いていて、わたしがすることなく葬儀が進んでいく。

 村でただ一人の僧侶さんが、棺桶の中で生花に包まれた叔母さんへと捧げていた祈りを終える──。


「では、ご遺族のエルーゼ・ファールスさん。故人、ジョゼット・ファールスさんへ別れを」


「……はい」


 ただ一人の遺族。

 わたし以外でこの場にいるのは、手が空いている村の人々。

 厳かな沈黙の隙間で生じている参列者の小声が、くっきりと耳へ届く。


「葬儀や埋葬までの手配、前々からきっちり済んでいたそうだよ。ジョゼットさんらしいねぇ」

「生真面目でとっつきにくかったけど、結構な美人だったよなぁ。唇の下のホクロが色っぽくてよ」

「知ってる? ジョゼットさんの家と畑、買い手がもういるらしいよ? エルーゼちゃん、村を出ていくんだって」


 村の外れにある、女の二人暮らしには少し広いおうちと、小さな畑。

 十年くらい前、孤児院からわたしを引き取った叔母さんは、都会暮らしをやめてこの村に家を買い、移り住んだ。

 未婚の女が子を持つ……というのは、街ではいい噂話だったんだと思う。

 結局この村でも、ちょっと浮いた存在だった気もするけれど……。

 こうして大勢の人に見送られて……よかった。


「よかった……よね。叔母さん」


 棺の中の叔母さんの顔は、穏やかに眠っているかのよう。

 長めの寝坊……なんて思いたいけれど、時間に厳しい叔母さんに、それはないよね。

 この葬儀だって、すごく計画的。

 わたしに内緒で、根回しが全部済んでた。

 いま思えば叔母さんは、日に日に体が弱まっていくペースさえ、自己管理していたかのよう。

 だけど……最期の最期まで、痛みも苦しみもなかったようで……よかった。


「……さようなら、叔母さん。きょうまで育ててくれて、ありがとう」


 叔母さんへ深々と一礼。

 翻って、村のみんなへ一礼し、リビング……もとい斎場の隅へ。

 いまはまだ、叔母さんが死んだって実感ないけど……。

 葬儀が終わって二人っきりになったら、ボロボロに泣いちゃうんだろうなぁ……。


「……エルーゼちゃん、ちょっといいかね?」


「あっ、村長さん。はい、どうぞ」


「その……本当に村、出ていくのかい? 住み込みで雇いたいって人が、何人かいるんだがね。エルーゼちゃんは気立てがいいから」


「はい、ありがとうございます。ですが、叔母さん……故人の遺言には、逆らえませんから。故人も考えあって、わたしを都会へ出すことにしたんだと思います」


「そうかい。ジョゼットさんとエルーゼちゃんを同時に失うとは、寂しいことだねぇ」


「……そのお言葉、故人もきっと喜んでいます」


 わたしもただ闇雲に、村を出るわけじゃない。

 都会に住むある人へ、叔母さんから届け物を頼まれてる。

 その届け物を包む油紙の中身を、わたしはまだ知らない。

 葬儀が済んだら、なにをさておいてもまずそれを届けなさい、その人が都会暮らしに力を貸してくれるから……という叔母さんの遺言。

 届け先の名は、シアラ・シュダスキーさん。

 叔母さんの口から、過去一度も聞いたことがない名前。

 シアラって女の人の名前だから、叔母さんの旧友かしら──。

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