第三章 五
穢れを祓えばそれで終わりというわけではない。再度、汚染されることを防ぐために土地の所有者と話し合い、対策を練り、穢れが発生しないことを数ヶ月かけて確認することではじめて阿嵐の務めは完了するのだ。
妥協をしていては穢れなど避けられない。
「というわけで、当主は今お休みになっているから、士優、お前が代理として話してくれるな」
「はい、もちろん」
母家に戻ると、彼らは最初に対面した広間で各々腰を下ろした。茶を用意しようとした侍女たちを下がらせ、人払いを頼んだ阿嵐は、
「あの……大事な話の前に、質問してもよろしいでしょうか」
そこで賢優がそろりと手を挙げた。
「何だ」
「父上が言っていましたが、取引をしたという例の怪鳥、あれがここを襲いに来る可能性というのは実際、無きにしも非ずですよね……」
憤慨した父が言ったことであるから全てを真に受けなくとも、賢優はそこだけ引っかかっていたようだった。村は通常の物怪に襲われる心配はなくなったが、怪鳥はなぜか例外なような気がしてならない。
阿嵐はそのことか、と腕を組んだ。
「残念だが、怪鳥に関しては何も言えることはない。物怪の伝説にはそういった類いの存在は記述されているが、実際に見た者は誰もいないのだ。だからどういう性質や習慣を持ち、どこに生息しているかもわからない。奴がここへ戻ってくるかどうかは正直、運次第だ」
「そんな……」
不安要素は完全に絶たれたわけではないのか、と賢優は肩を落とした。呪いを生み出した張本人である物怪。邪悪なそれがもし村を襲いに来てしまえば、果たして無事でいられるだろうか。
「だが安心しろ。どちらにせよ、俺はこの地一帯を我が戌月領に加え、管轄しようと思っているからな」
「……はい?」
兄妹はそろって驚愕した。まったく予想だにしていなかった言葉が阿嵐の口から出たのである。
驚いたのは彼らだけではない。
「若君、そんな簡単に決められていいものではありません!」
声を大きくする鶴真に、
「いくら村が豊かであろうと、こやつらが払える年貢は微々たるものだぞ」
むっとして睨む士優と賢優の視線を、凪白亀は軽く受け流す。
まあ落ち着け、と阿嵐は制した。
「何も領地にするからと言って、ささやかな暮らしの上に負担を設けはしない。俺が言いたいのは、ここを霊地として管理するということだ」
領の治め方には二通りある。一つは一定以上の民が集中し、そこに規定範囲内での商いや農作を営んでいる地域。ここは領主が定めた年貢を必ず納めるのが決まりである。そしてもう一つは中央が認めた神社仏閣を含めた、人々の住む霊地。そこは規定を大幅に超えない限りは年貢を納める必要はない。そもそも霊地で金儲けすることは罰当たりだという考えから、神社仏閣の周りでは質素な暮らしを好む民が多かった。
「そうすれば何があっても村を保護できるし、怪鳥の行方もあわよくば掴めるかもしれないからな」
鶴真は行儀よく座り直した。
「そういうことでしたら構いませんが、村にはお社などは建っていませんでした」
「山にいくつか祠があるだろう。あれさえ意味を成していれば朝廷もうるさく言わないだろう。他領が地蔵を並べただけの地域を治めた前例もある。東浪見は信頼だけは厚いから審査もそう難しくはないはずだ」
改めて阿嵐は向き直った。
「どうだ。お前の意志で決めるといい。俺はこれでも次期当主となる予定の身だ。任せるなら相応の責任をとろう」
あまりの権力の強さに半信半疑になりながらも、夢のような話だと士優は思った。あの東浪見がここを守ってくれるのなら、余計な心配をせずに済むのだから。白露の負担が減るのはもちろん、周りの彼女への執着がなくなっていけば、自由に外へ出られる日もそう遠くはない。こんな素晴らしいことが自分の一言で叶えられるというのか。
いやまったく、本当に。
都合のいい話ではないか。
「何か、条件がおありで?」
士優は、最初に感じていた違和感を忘れてはいなかった。この若君は、来た時から白露のことを気にかけている風だった。貴族であればどんな方法で白露を利用しようとするかわからない。頷いた後から手のひらを返されても遅いのだ。
例え恩があったとしても、ここはできるだけ対等な立場で交渉しなければ。
士優は安易な考えを捨て、目の前の餌を叩き落とした。
阿嵐はそんな士優を見てほくそ笑む。これまでの大人びた雰囲気とは違う、年相応の悪戯な笑みだった。
「よくわかっているな。そうだとも。階級が違えど俺たちは民を治める者同士、それぞれが将来の利益となる話し合いをせねばならん。見返りを求めるわけではないが、俺はこの村よりも何倍も広い土地をこれから管理していくことになる。それだけでなく人生のうちに成し遂げるべき目標も山ほどあってな、それらを乗り越えて行くためには俺からもそちらに求めるものがある」
士優は眉間に力が入った。
「その、内容とは」
躊躇いなく阿嵐は言う。
「白露の君を、俺の正室に迎えたい」
「……は……」
今度は声すら出なかったが、兄妹そろって同じ顔をした。
「一体どういうつもりで……」
「それと、士優と賢優をそれぞれの役職に就かせ、俺が当主になった後、共に働いてもらいたい」
賢優は目を輝かせて感激の声を漏らした。一方で、士優はわなわなと震え歯を食いしばる。白露はともかく、それのどこが利益になるというのだろう。
「ですからどういうつもりで……」
阿嵐は急ぐつもりもなく一つずつ説明する。
「まず村を管轄下にする前に、呪いが再発しないことを証明しておかなければならない。この場合の対策は当主の監視と新たな巫を生まないこと、そして信仰を人間から偶像に移し、健全な方法で神仏を祀ることだ。領地にする前提で言うと、これらを一度に達成させる手段が今示した条件なのだ」
仰っている意味がわからない、と士優は首を振る。
「それのどこが達成する手段になり得るのです?」
「別に、お前の父上は放っておいても構わないのだ。因果は断ち切られたからな。残るは業のみで、それは本人の行い次第であるから泳がせておけばいい。危ないのは、巫を傍に置いておくことだ。いつ跡継ぎを強要してくるかわからない。それはお前たちも、もちろん本人にとっても望まないことだろう。生んでしまえば再び因果が結ばれてしまいかねない。それは絶対に避けねばならんのだ」
こんなことを公に話してすまないが、と誰ともなく言う。
「ですが、若君はいずれ当主になられる立場。だとすれば、跡継ぎは必須なのではありませんか」
しかし阿嵐はあっさりと否定した。
「いいや。俺の代では跡継ぎはつくらない」
どんな反応をすればいいのか、士優は判断しかねた。
「色々と事情があってな。やることをやった後は我が弟に当主の座を譲るつもりなのだ。跡継ぎも弟に任せている。これ以上は話せんがな」
間を置いて、彼は口を開く。
「これでも帰依を誓った身だ。間違いを犯すような真似はしない」
どこか眼差しが遠くなったかと思うと、すぐに士優へと視線を戻す。
「お前にも当主の血は流れている。それは因果の布石を抱えているのと同じこと。禅優が亡くなったその先も、滝之雪は今まで通りの暮らしを続けさせるわけにはいかない。お前たちも民の一人に戻るのだ。そして俺のところで新しい人生を始めれば、因果とは無関係のより良い道を歩ける」
だから二人を引き取ろうと考えた。
「おれは……おまけ?」
「お前は影響が少ないが、ここに残るよりはましだろうな」
「おまけじゃん……」
白露を自由にしてあげること。それが士憂の生き甲斐で、人生だった。
自分だけの将来など、考えたことはなかった。
いつか白露の婚姻相手がやって来る時には、自分は当主としての仕事を全て掌握し、何も知らないその人を裏から手助けするふりをして、実権を握ってやろうと考えていた。そうすれば自分の思うがままに滝之雪を動かせる。もちろん父上のように子を何度も孕ませるといった恐ろしいことは絶対にさせない。そんなことになる前に何がなんでも白露を連れ出す気でいた。
これまで務めで稼いだお金を持って、三人で一緒に家を出る。旅をしながら、仲睦まじく細々と暮らしていく。そんな穏やかな生活を望んでいた。今より苦しくなったとしても、一緒にいれば辛くないだろうと。物語を空読みし、舞を見せ、お客を呼び寄せてお金を投げてもらう。そんな生き方も良いと思っていた。白露が幸せになれるのなら、自分たちがしがらみから逃れられるなら、覚悟してここを出てやる。そう意気込んでいた。
だから、自分のことなど、気にかける余裕はなかった。周りのことでいつも精一杯だったから。
それを差し置いても、村の民のことを考えれば、東浪見に村を任せた方がいいのは明白だ。
滝之雪は、解体しなければならない。
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