救いようのない魔女の話
第14話 指を差し合う魔女訴追
〈響の遺書〉
まさか、自死することに負い目が来る日が来ようとは思いませんでした。
首を吊って死ぬつもりです。可能な限り、苦しみながらと思っています。
僕は、◼️◼️、◼️を◼️◼️ました。
◼️◼️とも、◼️◼️◼️◼️による◼️◼️です。◼️◼️◼️が砕ける感触がいまだに手に残っています。
遺書に経緯をしたためようと思い至ったのは、居た堪れなくなったからです。
死に際というのは、早起きした早朝のように頭が冷えていてすごく静かです。
書き出しに書くのははばかられましたが、あえて。さようなら。
後悔の多い人生でしたが、この見え透いた轍を踏まずにいられた人生だったらば、どれほど幸福だったでしょうか。
縄をあざないながら、届くことを目的の主としない手紙を記していこうかと思います。
(◼️部位は筆跡が震えており判別つかず)
(以後、文脈より◼️を補完し遺書を読む)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
分厚い雲の下で、近々初雪が降るとの今朝の予報が頭をよぎった。
一段と冷える。それはトタン屋根のバス停であれば、なおのこと。
「……こんにちは、金剛」
「……お久しぶりですネ、山田サン。人間の姿はもうやめたのですカ?」
随分と日本語が流暢となった金剛。繋がりそうもない電話番号が記される擦り切れた広告の付くベンチに腰掛けながら、キャリーバックを隅にどかし、私のスペースを確保する。ありがたく、そこへ鎮座する。
「響が死にました。山田サン、ご存知でしたカ?」
「……知っていたよ。現場に居合わせたからね」
「自殺と聞きましタ」
「……そうだね。あれは間違いなく、自死だよ」
現場。ここのベンチよりも幾分背の高いゲーミングチェアが床に転げていた。天井には何本もの釘で固定された縄がぶら下がっていた。独特の臭気。確信を持っていえる。あれは自殺だ。
「現場を見たのですか?」と白い呼気をわずかばかり震わせ問う金剛。
「……偶然ね」と、私は隠し立てせず事実を述べる。
人の死に様には何度か鉢合わせている。そのどれもが、苦しみを孕んでいるように見える。
今でも枕元に立っているのではないかと言いしれぬ恐怖に駆られることがある。それほど、鮮明に、鮮烈に、思い出せるそれら死に様。
「……私は常々思うんだ。生きているということは、悩ましいばかりの壁と向き合う苦行であると。……修行僧のようなことを言いたいんじゃないけれど、老いることも、病気に臥すことも、あっけなく死ぬことだって、深く考えれば考えるほど生き様の苛烈さを浮き彫りにする。だから私は日々考えないようにしようと思ってしまう。意図的に忘却しようだなんて、これほど悩ましいことはないんじゃないだろうか」
「……猫でも、そんなコトを思うのですネ」
「……猫だから、特に思ってしまうんだよ」
と、言ってみるものの、得心いかぬ顔だ。
だが、別にいい。これはひとりごとみたいなもんだから。
「……ソクラテスは牢獄の中で弟子に思いとどまるよう説得されてなお、確固たる意思で服毒死を決意した。……私は、この史実を歴史書で目の当たりにしたとき、喉の奥に石でも入ったかのような、名状し難い不快感を覚えたんだ。……私は、と言うより、多くの世界観は、死とは極地だ。死んだら元も子もない、生きてての物種、死なないだけマシ。たとえ、無様で惨めで憐れだろうと、死んだら意味がないのだから生きながらえるべきだ。
そう、信じていた。でも、世の中には自死を選び、それをもって意味を成すと考える人もいる」
「……死の意味、ですカ。……辛い話です」
「……ソクラテスは、まぁ、これは著書もないし浅学な私の恣意的解釈に過ぎないのだけれども、彼の死は、自分と社会が付合してしまった末路なんじゃないかと思う。きっと、自分の信念の基底にあった理念の終着点が、自死によって叶えられた。そう考えうと、自死とは信念への過程であり、自死をもってとうとうようやっと社会に顔向けられた瞬間なのではないか、と言えるのかもしれない」
「……自殺が理念のための手段、ですカ。……それは綺麗事じゃないと思いますヨ」
「……綺麗事なもんか。ありていな言葉を羅列するならば、“狂っている”んだよ」
「……響は、そこまで追い詰められていたのですか?」
「……そうだね。追い詰めていたのは案外、私たちなのかもしれない。響のことはよく知らないし、知ったかで言うべきじゃないんだろうが、彼の死に際に浮かんだ走馬灯には、もしかすると彼を罵倒する私たちの幻影でも見えていたのかもしれないね」
「……ワタシの、せいですか?」
「……君のせいだけと言うなら、それは驕りなんじゃないのか。ついでに、私のせいでもない」
これは慰めではない。事実だ。だから、それ以外のことを言ってやれない。
だが、当の本人、金剛は、俯き、唇を噛む。思うところがあるようだった。
「……いいえ、」
「……ワタシの、せいです。きっと」
次第に彼は肩を震わせ、涙を流す。金剛は手で顔を覆う。ドサっと、キャリーバックが自重で倒れる。
荒い呼気。雪に雫が紛れ、そのとき「これは、ワタシの罪です」と、確かにそう言った。
「ワタシは明日朝には帰国しまス。そのため今日は空港近くのホテルに親と合流する予定でス」
「……そっか。寂しくなるね」
「その前に、アナタに会えてよかったです。山田サン」
「……そんなことを言ってくれるだなんて、紳士だね」
「……いいえ、ワタシは紳士などではありません」
金剛と目が合う。今更だが、猫相手に臆面もなく話す姿はどうなんだろうと思ってしまったが、金剛はそんなことは些事だと言わんばかりに私に向き直り、唇を震わせる。
そして静かに、「これは告解でス」と、吐息を白く濁らせる。
「……実は、ワタシは皆さんと歳が一つ離れていス。皆さんより一つ年上になりまス。それに母国も違いまス。ですので、皆さんと馴染めるか、とても不安でしタ。ワタシには、なんにも前準備がありませんでしたカラ。そんなとき、……お世辞にも上手ではなかったですが英語で彼はワタシに聞きました。どのゲームが好き?と。ワタシはゲームには疎かっタ。だから言い淀んでしまっタ。とても、後悔しましタ。ワタシは悩んで悩んで、ポケモンの話題をしましタ。ポケモンも詳しくはありませン。デモ、ゲームはしたことないかれど、ピカチュウにはワタシも愛着のようなものがありましタ」
懐かしむように、金剛は思い出を撫でるように話す。
「……彼とは、響のことでス」と。
「彼とはすぐに仲良くなりましタ。いえ、彼はワタシに仲良くしてくれた、というべきでス。おかげで、日本での記憶は面白おかしい水彩画のように美しいものになりましタ。……楽しかった、のでス。……ワタシは響が好きでス。ワタシは、響を尊敬していまス。だから、……」
手で覆った顔から漏れる嗚咽。「だから、許せないのでス」と、金剛の言葉には悲痛に溢れていた。
「……ワタシは、ワタシを許せませン。ワタシは、……ワタシは、手を差し伸べることをしなかっタ」
とても綺麗な言葉だと思った。反面、一切の曇りなく言っているのだとすれば、それは限りなく残酷だとも思った。
自由主義社会は、自律を尊んだ。自律を敬った。自律を重んじた。自律を愛し、自律に傅いた。
自由主義社会は、依存を憎んだ。依存を嫌った。依存を軽んじた。依存を唾棄し、依存を排した。
だから、私たちの思想信条の根底にはいつだって自律を基調としているし、一人で立ち上がれることを美徳とした。それは人類の経験たる歴史が滔々と語っている。宗教全盛の時代の終焉は神からの脱却を意味し、王権制度への革命は支配への嫌悪を露わとし、宗主国の間隙を縫い諸国は独立の功名を立てた。
フランスの憲法の一行目は平等と。独立戦争を経たアメリカは自由を。
それら薫陶を得た我々は、確固たる権利と幸福の追求を国民に望んだ。
平等を得た。
自由を得た。
権利を得た。
そして、我々はいつしか、“依存”を失った。
「……君が、君自身を責めるのは勝手だけれども。……“助けられなかった”というのは、それはあまりにも、君ではなく響くんに失礼なんじゃないのかな。頼られたのかい?手を伸ばされたのかい?……自己責任という言葉が負のワードとして人口に膾炙して久しいけれども、彼の意思ある行動を止めてやることが“助ける”というものであれば、それは勘違い甚だしい偽善でしかないよ」
「……とても、お優しいですネ、山田サン」
……優しくした覚えなどないのだが。まぁ、いいか。
我々は依存を極度に恐れる。それは先進国になればなるほど手のつけられない病魔となる。生まれて職業身分が確立されて選択の余地なく働かされる依存の時代のノスタルジーは遠く昔、現代は「お前は自由なんだよ」とメガホン片手に耳元で叫ばれ選択を迫られ責任を負わされる。失敗でもしてみろ。「お前が選んだ未来だ」と。「然るべき平等のもと、お前はそれを選んだのだ」と。
そして我々はこう呟くのだろう、「僕のせいだ」と。
いつの間にか、
いつの間にか、
「……我々は、選択を強要されるどころか、選択を愛することさえ強要されるようになった。
……それがたとえ、選ばないことを選んだとしても」
「……つまり、どういうことなのですカ」
「……なんというか。生きづらすぎて、死にたくなる気持ちがよくわかる人間様の世界に、辟易としているだけだよ」
我々が失ったのは、自由の逆、依存だ。
我々が失ったのは、責任の逆、義務だ。
我々はひどく不条理で過酷な、例えば奴隷のような、そんな見窄らしい義務を失った。
他方、我々は自由社会が生んだ責任という化け物によって人を助ける義務さえ失った。
人を助ける義務。
人を気遣う義務。
人に助けられる義務。
依存が失われることは、我々の自由と平等、権利が屹立する象徴といえよう。
依存が失われることは、我々が大海原の中央で孤独に囚われているといえよう。
(……つまり、ひどく短絡的な物言いをすれば、)
(……その人を思うばかりに、その人を助けてあげられない“私たち”が生まれてしまった)
チクリと胸が痛む。それがなんなのかは言語化しないよう努めた。
「……君たち人間は、もう少し機械的に過ごせばいいんじゃないのか、と常々思うんだ。猫なら悩まない。猫なら迷わない。君たちは考えすぎるからダメなんだ。できると勘違いしすぎるから良くないんだ。もっと何も考えず、感じず、慣習のループの中に拘泥していればいいのに。……知人の一人や二人失っても、「しょーがない」と、流せればいいのに。……君たちは、「でも、、、」と立ちすくんでしまう。辛くなるだけって知っているはずなのに」
「……山田サンは猫ですが、人間の解像度が高いですネ」
「……君たちの猫に対する解像度が低いだけだよ、きっと」
「……でも、山田サン。アナタは間違っていると思いまス」
「……何が?」
はじめて私は金剛から否定された。間違っていると、面と向かって。
自分が正しいとは思わない。でも、あながち遠くないと思っていた。
三角の耳を傾ける。
金剛からの返答は、実にシンプルなものだった。
「……響は、友達ですカラ。手を差し出すべきだったのでス」
……。……わからないな。
友達だから。そんなフワフワ概念で、どうして涙を流すほどに悩めるのだ。
どうして、しょうがない、と思えないんだ。どうしてそこまで苦しむんだ。
他人の行動の結果に、どうしてそこまで囚われるんだ。
「……不服そうな顔ですネ。猫でも仏頂面に拍車がかかっていまス。……身に覚えがありませんカ。きっと、アナタならわかってもらえると思っているのですガ。あの魔女裁判、アナタの抱える真実がどういうものだったのかは分かりませんが、……ワタシたちは似たような境遇にあるのではないですカ?」
「……知ったような口を聞きやがって。人間風情が」
「……人の言葉を介する猫には言われたくないでス」
「……言ってろ」
「……ワタシは、彼が好きでス。ワタシは、彼を尊敬していまス。だから、ワタシは、ワタシを許せない。ワタシは、みすみす異常事態を見過ごし止めてあげることが出来なかっタ。……しなかっタ」
「これは告解なのでスヨ」と、金剛は厳冬のなか白い息を吐く。
涙は氷のように冷たく、後悔と懺悔を孕んでいた。
「……ワタシは、この異常事態に気付いていタ。……それなのに、ワタシは、、、」
「……それは卑下かい?それとも自己陶酔かな?……私は修道士でもなんでもないからぶっちゃけるけど、気晴らしにもなってやらないよ。この類の罪は内在するものだから、私が許そうとも、神様とやらが許そうとも、きっと君が許さなければ罪は消えない。逆に言えば、君さえ許せば罪などない。だから罰せられる謂れもない。法律の範囲内であれば、だけどね。……だから、――――――」
自分がムッとしていたというのもある。自分を御せていなかったというのもある。
だから、捲し立てるように、金剛に言葉を投げつけていた。
「……ワタシは、ある現場に居合わせました」
だが、遮られるように返ってきた金剛の言葉は私の胸中を荊棘の如く締め付けた。
「……あの猫を、……オスの三毛猫を殺したのは、響でス」
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遺書<2>
元は野良ですから、鼻が効くと思いました。だからきっと思うようにはいかないと。そのための小細工を僕が施しました。
田上中学校の屋上は昨今には珍しく屋上が開放されています。
四方フェンスで囲まれていますが、園芸用にレンガで囲まれた土壌と胡乱な花々は、自然に忙殺される片田舎の唯一都会っぽい場所として生徒からは重宝されています。それに、僕はオタクです。屋上と青春、繋がりは切っても切り離せません。
だから、青い春の魔法にかけられたが如く、僕も血迷いました。
◼️に、告白しました。
ダメでした。とはいえ、結果はもとより火を見るより明らかだったのですが。
引き下がる気でいました。友達でいられるのであればそれでよかったのです。
でも、◼️は、こう言いました。
証明してほしい。
証明できれば、返事も変わるかもしれない、と。
失われた希望は再燃しやすいようで、胸に火が灯ったようでした。
すかさず、僕はどうしたらいい、と聞き返しました。今に思えば滑稽極まります。
そしたら、◼️はこう言うのです。
悪いことをして欲しい、と。
漠然と悪いことと言われても、わかりません。
どう言うことか詳細を聞く前に、◼️は帰ろうと踵を返しました。
それからと言うもの、ずっと千切れない紙のような苦慮に苛まれます。◼️の都合上、一緒に帰る機会が多かったのですが、その時間に比例して焦りが蓄積していくようでした。増長し続ける虚無感は、僕をいいように弄んでいたように思います。
だから、はじめ、悪いことをした時はちっぽけながらの達成感がありました。
選挙ポスターを破りました。地方の政治家のものです。
なんとなく偏った知識の片隅にあった法律の違反行為。
たかが知れている悪行です。でも、ドキドキしてやった行為を、◼️は冷ややかな目で見ていました。
その時、辞めていればよかったのです。
それぐらいの良識はあったはずなのに。
僕は、血迷いました。
もっと、ひどいことをしなければ、と。
十円玉で車に擦り傷をつけました。
ゴミ集積場のゴミ袋を荒らしました。
公園の子供を怒鳴って泣かせました。
公園の子供を殴って蹴り飛ばしました。
親の金を盗んできました。
人の自転車を盗みました。
万引きをしました。
そして、猫を殺しました。
加賀くんに殺鼠剤を勧めたのは僕です。でも、殺鼠剤は殺鼠剤です。それだけでは三毛猫が興味を持つことはありません。だからネズミを誘き寄せる建前で、猫も引き寄せる薬草を煮込むよう仕向けました。セイヨウカノコ草というそうですが、煮込むとネズミも猫も虜になる臭いを発するそうです。その上で、餌に殺鼠剤を混ぜてみました。
元は野良ですから食い意地が張っているようでした。
むしゃむしゃと、咀嚼音を僕と◼️は黙って聞きました。
そのうち、泡をはき倒れました。
その様子を◼️に見せました。ぴくりぴくりと痙攣する三毛猫を見つめて、僕へ目線を向ける◼️。
はじめて、◼️は笑ってくれたように見えました。
自分の努力が報われたようでした。
僕だけの笑顔のように思いました。
もっと、もっと、もっと、悪いことをしなければと。
そうしたら、『暁』は告白を受けてくれると思いました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「……あの場面に居合わせたのは、偶然というよりモ、響の様子がおかしいと気づけるワタシだからだったのでしょウ。屋上へと足を運んだ響は、オスの三毛猫に毒を食わせましタ。響は、……優しい男でス。動物や生き物の命を無碍に扱うような蛮行はしない人、だと、思っていましタ、でも、あのとき、響は猫の方なんて一瞥もしていませんでしタ」
そのときの響をまるで狂っていたかのような物言いの金剛。
響のあの性格で、人の視線に敏感じゃないということはないだろう。
私はその場にはいなかったが。だけれども、手に取るようにわかる。
響は、熱に浮かされていたのだろう。
「……響は、暁の方ばかりを見つめていました」
響の遺書はところどころ黒塗りで読めなくなっていた。それはきっと、葛藤の末だろう。
あの遺書は告発文などではない。
あの遺書は懺悔の文でしかない。
だから『暁』という人名が出てきたのが後半からだったのだろう。
消し忘れか。はたまた、消すのをためらったのか。
今になっては誰にもわからない。
「……止められタ。止めるべきだっタ。ワタシだけだったのニ」
止められたから止める。止めるべきだったから止める。
その言葉の節々は、その棘は、私の心中を締め付ける。
「……なぜ、止める必要があるんだい?」
「……それは、悪いことをしていたからでス」
「……いいや、それは違う。それは詭弁だろ」
束の間の静寂。私は金剛の告白の裏側の正体について確信があった。
それは、金剛自身が気づけていない本音なのかも知れない。
それを知りたいとも思わない彼の本懐を私が問うのだから、
これは私自身への問いなのかも知れない。
腹の底で沈澱する“不発弾“を、波紋にゆらめく水面越しに手探りで掘り当てるような感慨だった。
「……悪いことだからという理由でなら、君はなんの憂慮もなく止められただろう。保身のためかい?いつの時代もいつの国々も悪さをしている奴をチクったり諌めたりする行為は疎まれる。それのせいかい?……いいや、それも違う。君はそういう後悔の仕方をしているようには思えない。それに、そういう後悔をする奴は、かの学級裁判で喧嘩の仲裁などしない。武蔵に殴られかけた私を一番に守ってくれたのは、君だからね」
だったら、と金剛に問う。
「……君は、何に後悔をしているというんだい?」と。
「……聞き方を変えよう。金剛、君は大事な人の選択を止めてやることが幸せだと思うかい?」
「……場合によりまス」
「……失望させないでくれよ。その回答のうちは、きっと時間が巻き戻っても適切な判断はできないだろう。正解か不正解か、その可否がわかるのは歴史を振り返った後の話だ。今の私たち程度が判断できるもんじゃない。……そのぐらいの後悔であれば、さっさと前を向いて、人生の糧とすればいいのさ」
「……訂正しまス。……響は、苦しみましタ。……だから、」
「……君は精神科医か何かなのかい?……苦しむ?……君が、響の何がわかるというのかな。君の覗き見た響の表情はきっと幸せの絶頂だったんだろう?好きな子にかっこいいところを見せられたんだ。恋だの愛だの惚れた腫れたなんて人間がもっとも短絡的なハッピーを享受できる場じゃないか。それを、たかが知り合って数ヶ月の君がどうして否定できるんだ。……君の言っていること、君のやろうと思っていることは、友達に対する愚弄に他ならないんじゃないのかい?」
物事が結果論だけで帰結し得るのであれば後悔なんて横入りしようがない。だって、結果を知り得ない状況下の判断をいくら悔いようとも、次に活かせるわけでもなし。まして友人の刹那とはいえ幸福の瞬間を挫く選択なんて、その場で取れるはずがない。取っていれば、それこそ後悔と懺悔の坩堝の渦中に飛び込む行為に他ならない。
「……しょーがないんだよ。全部。君は、悪くないんだよ」
結果的に、響は自殺を選んだ。だが、結果は結果だ。
IFの世界で結果として幸せを噛み締める人生もあったかも知れない。
「……金剛。あとは君が君を許すだけだ。楽になっていいんだ」
幸せを、止めてやる道理などないのだ。
幸せを、止められる道理などないのだ。
だって、友達なんだろ?
じゃあ、お前がすべきだったことは、響のささやかな恋路を応援してやることじゃなかったのかい?
「……だから、もういいんじゃ――――」
「……難しい話をしようというわけジャ、ないのでス。わかりませんカ?」
しかし、金剛は私の言葉を遮る。どこか確信めく言葉尻に、ドクン、と胸の内に重圧を感じる。
“告解”と、そう表された金剛の独白は、毛むくじゃらの矮躯を捉えながら訥々と語られる。
「……道理はないのかもしれませン。ワタシは、響の行為を咎める権利も、義務も、責任も、なにもないかも知れませン。猫を殺していた現場に遭遇したと言っても、……アナタの前でこういうのもなんですが、……たかが猫でス。考えすぎるべきではないのかもしれませン」
「……だったら、――――」
「……でも、それだト、ワタシたちが救われないままなのでス。ワタシも、……“アナタ“も」
錆色のベンチがギギっと金切り声を上げる。
初雪だ。コンクリートにポツポツとシミが増える。
私は白い吐息を口端から漏らし、金剛を見据えた。
「……私が、救われない、だと?」
言うに事欠いて、私が、救われてない、とほざくのか。
「……お前になにがわかる。人間ごときが、猫のなにがわかる」
「……猫の気持ちなんて分かりませン。アナタを知っているだけでス」
……欺瞞だ。金剛、君はなに一つ真意など見通せてなどいない。
……自己の中にある真贋だけで、物事を語る詐欺師でしかない。
その生半可な知恵こそが、こうすればよかったんじゃないかという甘い幻想に囚われる猜疑心こそが、後悔を生むんじゃないのか。
苦痛を、広げるんじゃないのか。
「……いつの日か、アナタも後悔する羽目になるでショウ。……いえ、聡明なアナタのことでス。もう後悔の中にいるのかも知れませン。あの裁判で、アナタの正体を目の当たりにした日、あの日から、ワタシはアナタに奇妙な共感を得ていたのでス。……ワタシとアナタは、境遇がよく似ているような気がしまス」
「……境遇が、似ている?」
「……ワタシたちは、同じでス。……“魔女”を好きになってしまった、咎人なのでス」
「……だから、辛いのでス」
「……だから、苦しいのでス」
胸元の襟を握りしめながら。
顔を歪ませ金剛は、怨嗟にも似た“告解”を呟く。
「……誰だって耐えられるはずがないのでス。
……手の届く距離にいながら触れられない、好きな人の擦り切れる心を慰める権利を自分は有していないだなんテ」
勝手に共感を抱かれている、そんな屈辱に反発するための罵詈雑言の羅列が喉元に襲いかかる。
だが、空風に吹かれて歪んだ雪の結晶が肩に落ちる頃まで、とうとう否定できずに黙る他なかった。
その代わりに、ほぼ無意識下で、
私は口走るままに言葉を並べた。
「……響は苦しんでいたんだろう。
……なら、ちゃんと後悔できるじゃないか」
決定的に、ただ一つ、君は私に共感を抱けない点がある。
たった一つの、それ以外は変わらないけれども、その一つだけは天地がひっくり返ったかのように逆なんだ。
「……“止めずにいた“」
「……その結果、“幸せになってしまった魔女“を、愛してしまったが最後なんだろうなぁ」
……そうだよ。認めよう。私は、もう後悔なんてできなほどの後悔の中にいる。
そこをなんと呼ぼう。あぁ、いい表現ある。
あぁ、これが因果か。ここは、“地獄“なんだ。
「……つくづく、人間的になっちまったのが悔やまれるよ」
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