第15話 殺し合い①

「…ここらにいる動物には悪いわね」

『気にすることはない。彼らはいつの時も、人に振り回されている。

「またか」くらいで済ませてくれるだろう』


役家より更に奥。

木々がまばらに生え、少しばかり開けた空間に、二つの影が佇む。

一人は俺のご主人様。「動きにくいから」と甲冑の類を纏うことなく、役家から借りた刀だけを構えている。

もう一人は、役 鬼右衛門。側から見ても、凄まじい霊力が込められた刀を携え、ご主人様を睨め付ける。

少しの物音だけでも、世界が壊れてしまいそうな程の緊迫感が、その場に漂っていた。


「…にしても、まさかこんな形で結界を張ることになろうとは…」

「この山だけじゃ済まないくらい被害が出るだろうしね」


俺とサクラちゃんは、予想される被害を抑えるべく、結界を張る役目を仰せ付かった。

正直なところ、不安しかない。

いくらサクラちゃんのサポートがあるからと言っても、余裕で破られる気がする。

俺がほんの少し、結界へ送る妖力を増やしたところで、結界の中の二人が纏う雰囲気が変わった。


『さあ、吾輩の首を切って見せろ、現代の女武者よ』

「退魔師だけど…、アンタの望み通り、武士らしくやってやろうじゃない」


そんなやり取りを最後に、二人が立っていた地面が捲れ上がり、その姿が消える。

数秒して、少なくとも十三箇所から刀同士が擦り合う音が響いた。


「…人間、辞めておりますなぁ」

「今更でしょ。怪異の結界内でほぼ無傷とかいうバケモンなんだし」


やっぱり、妖から見てもかなりおかしかったのか。

アレだけ規格外なフィジカル見せつけて、なんで自分のことを雑魚だと思ってるんだ、あの人。…霊力がないからか。

木々を薙ぎ倒しながら剣戟を繰り返す二人を目で追い、その動きを捉える。

鬼右衛門の体には、霊力も妖力も迸ってはいない。

ただ純粋に、鍛えあげた剣術でご主人様を殺しにきている。

岩すら裂く威力の斬撃をああもポンポン放てるとは、鬼の血は伊達ではないらしい。

が、しかし。ご主人様も負けてはいない。

ナマクラと評された刀で斬撃をいなし、反撃に転じている。

その応酬を見守る最中、結界に妖力を送り込んでいた俺の腕に、痺れが走った。


「おや。…どうやら、結界が破れかけたようですな」

「えぇ…?どんなゴリラだよ…」

「どちらのことですかな?」

「どっちも」


多分、ゴリラと一緒にするのも烏滸がましいと思う。

しかし、いくら神器があるからと言って、まさか腕力だけで結界が壊れそうになるとは。

あの二人、血のつながりでもあるのではなかろうか。

そんなことを思っていると、再び強い痺れが俺の腕を襲う。


「むっ…。もう少し、結界を強めたほうがいいですかな」

「これでも結構硬めなんだけど…」


俺でも目で追うのが困難なほどの攻防が、山を荒らしていく。

その様はまるで、嵐が通り過ぎるかのよう。

木が斬撃の余波で根ごと浮くくらいには、出鱈目が過ぎる光景が広がる。

うちのご主人様の一撃ではないと思いたいが、どうなのだろうか。

そんなことを思っていると、二人の声が響いた。


『嗚呼、これだ!この魂削る命のやり取りをずっと夢見ていたのだ!!

感謝するぞ、柿崎の者よ!!』

「こちとら人と殺し合うのは初めてなのよ?

話す余裕なんてないんだけど」


平静を装ってはいるが、ご主人様の声に余裕はない。

対する鬼右衛門の声は嬉々としており、まだまだ余力を感じさせた。


『もう一度、感謝しよう。

この姿となって人と呼ばれたのは、初めてだ』

「武士同士の殺し合いだもの。どちらも人。

それ以上でも、それ以下でもない。

ただ私を殺すことだけを考えなさい。

私も、アンタを殺すことだけを考えるわ」


鬼右衛門が笑みを浮かべると共に、その体が弾丸のように放たれる。

人間が視認できないほどの速度で迫る鬼右衛門の一撃を、ご主人様は見事にいなしてみせた。


「いなしただけでも痺れるわね…!」

『この一撃を受けて腕が飛ばないとは!

それでこそ武士!それでこそ吾輩が求めた死神!!』


ご主人様の腕がぷるぷると震えている。

相当な負荷がかかったのだろう。

その震えを無理矢理に抑え、続く一撃を流す真琴ちゃん。

鬼右衛門の反撃を恐れ、碌に一撃を返すことが出来ないらしい。

食らったら一撃で死ぬ。

それがわかっているからこそ、攻撃をいなすことに集中しているのは、戦いにおいて素人である俺にも理解できた。


『貴殿の剣は柔軟だな。どう殺せばいいか、まるでわからん』

「こっちもよ」


手をこまねいているのは、向こうも同じか。

そんな会話を挟んで息を整えた鬼右衛門は、不規則な挙動を描き、ご主人様を翻弄する。

流石に目が追いつかず、ご主人様の死角から、鬼右衛門が迫る。

と。ご主人様は腰に下げていた鞘を地面へ突き刺し、棒高跳びの要領でその場から飛び上がった。


『なっ…!?』

「死角からの攻撃なんて、死にかけるほど食らってきてんの…よっ!!」


落下の勢いを乗せ、斬撃を叩き込む。

鬼右衛門がそれを右手で受け止めるも、その刃は肉を裂き、彼の骨に突き刺さる。

流石は鬼というべきか、それとも生前の努力の賜物か、刀が左手を切り落とすことはなく、そこで止まった。


『いい一撃だったが…、吾輩の首を落とすには足りなかったな』


左手に握った刀が、ご主人様の首に迫る。

流石にまずい。

俺が止めるべく動こうとした、その時。

ご主人様が左足を鬼右衛門の纏う甲冑の紐に引っ掛けた。


「だっ…、ろうと、思ってたわ…!」


刀を手放し、鬼右衛門の振り下ろされた左腕を蹴ることで斬撃を弾く。

動きからわかる。絶対に股関節が外れてる。

その痛みに悶えながらも、ご主人様は上げた足を振り落とし、右手に刺さった刀を蹴る。

ごりっ、と音を立て、鬼右衛門の腕と刀が宙を舞う。

ご主人様は鬼右衛門から足を剥がすと、その体を蹴り、距離を取って着地する。

これで漸く腕一本。

出鱈目なフィジカルを誇るご主人様でも苦戦するほどに、鬼右衛門は強い。

地面に降り立った鬼右衛門は、血が吹き出す切断面を見やり、くっくっ、と喉を鳴らした。


『ははははっ!!吾輩の腕を落としたのは、お前が初めてだ!!』

「再生しないの?」

『なめてくれるな!右腕なくとも左腕が、左腕なくとも顎がある!!

さぁ、心ゆくまで殺し合おう!!』

「ええ、そうね。満たされながら死になさい。役 鬼右衛門」


ごきっ、と音を立て、関節を戻すご主人様。

顔じゅうから汗が吹き出しているあたり、消耗していることがわかる。

数分の戦闘で、ここまで追い詰められたか。

ここで止めるべきだろうか。

そんなことを思っていると、サクラちゃんが口を開いた。


「キミが出る幕ではないね。

アレは人と人との殺し合いだ。

使い魔が立ち入っていい領域じゃない」

「…かしこまりました」


サクラちゃんの言葉に、俺は眉間に皺を寄せながらも、身を引いた。

俺たちが立つ場所から見てもわかるほどに、ご主人様の顔は優れない。

戦いの中に快楽を見出していないのだろう。

それもそうだ。体は妖でも、心は人のまま。

会話を積み重ねるごとに、役 鬼右衛門という人間が浮き彫りになっていく。

いくら本人が「殺してくれ」と頼んで了承したからと言って、簡単に割り切れるわけがないのだ。


『…そんな顔をしている割には、貴殿の太刀筋に迷いはないな』


と、俺の心配を遮るように、鬼右衛門が口を開く。

ご主人様は剣戟を繰り返しながらも、小さく頷いた。


「アンタの絶望は、私にもわかるから」


顔を歪めながらも、凄まじい速度で数回の斬撃を繰り出すご主人様。

鬼右衛門は刀でそれを全ていなすと、ご主人様の土手っ腹に蹴りを入れた。


「ぐぶっ…!?」

『さあ、絶体絶命だぞ。切り抜けてみろ』


細い首を目掛け、刀が迫る。

怯み、喀血しながらも、ご主人様はその一撃を左手で握った刀で受け止めた。

が。その衝撃で骨が砕けたのか、嫌な音を立て、彼女の手から刀が離れる。


「づっ…、ゔっ…ぁ、ぁぁあああッ!!」

『がぁっ!?』


落ちた刀を右手で掴み、逆手となった状態で切り上げる真琴ちゃん。

その一撃は鬼右衛門の左目を裂き、彼の追撃を止めた。


「ふ、ふゔ、ふーっ…!

ダメね…。左、死んだわ…」

『ゔっ…。く、くふ、くはははっ!!

これが戦!!これが殺し合いか!!

実に楽しいな、柿崎 真琴!!』

「そう…!そりゃ…、よかった…!」


痛みを耐えるためか、それとも鬼右衛門に返してのことか、無理矢理に口角を上げるご主人様。

その口周りは血液と唾液で汚れており、顎から赤く、粘り気のある液が垂れる。

恐らくは内臓もいくつかやられている。

が、そのダメージを感じさせないほどの動きで、二人は再び刀をぶつけ合った。

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