ベーカリーショップ「シュラハト」〜Aトング or Bトング〜

北 流亡

ベーカリーショップ「シュラハト」

 小高い丘の上にその店はあった。

 まるで絵本から飛び出てきたような、赤いレンガで作られた北欧風の建物。

 ベーカリーショップ シュラハト。カラフルなチョークで書かれた黒板が、店先のイーゼルに乗せられてた。

 小麦の焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。橋村正和の喉がごくりと鳴った。

「シュラハト」はベーカリーショップ評価サイトで星4.25の人気店だ。正和の自宅からはそこそこの距離があるためなかなか足を運べなかったが、今日ようやく来ることが出来た。


 時計は11時30分を指していた。

 厚い木の扉をゆっくりと押す。隙間から、より濃い小麦の香りが流れてきた。正和は唾液が溢れてくるのを感じた。

 店内を見渡す。外装と同様に北欧風の調度品が飾られた店内に、パンが所狭しと並べられている。

 正和の胸が高鳴る。具がぎっしり詰まってそうなカレーパンにしようか、サクサクしてそうなクロワッサンにしようか、季節限定品のレモンクリームパンも捨てがたい。

 ともあれ、まずは一通り店内を巡ってから考えよう。正和はトレーとトングを手に取ろうとする。


「……ん?」


 正和の手が止まる。

 トングハンガーが2つあるのだ。それぞれに「Aトング」「Bトング」とシールが貼られている。トング自体に見た目の差異はなかった。どちらも、どこにでもありそうな金属製のトングだ。

 正和は一瞬だけ戸惑ったが、すぐに「Aトング」を掴んだ。トングを選ぶくらいでサービスや味がそこまで変わるとは思えなかったし、変わるのであればもう一度来れば良いだけの話だ。何より、こんなことで悩む時間がもったいない。1秒でも早く、パンを胃に突っ込みたかった。

 正和はAトングを掴んだ。その瞬間、サイレン音が響き渡った。激しく赤い光が明滅する。店内中の客の視線が正和に集まる。店員は呆然とした顔でこちらを見ている。「やっちまいましたね」とでも言わんばかりだ。


「いやいや、なんだこれは!」


 正和は訳がわからなかった。自分が何をというのか。それを聞くために店員に向かって歩き——出せなかった。


「うわわわわっ!?」


 穴が、正和の下に空いていた。そのまま正和は落下する。

 穴の中は滑り台になっていた。正和は右に左に揺さぶられながら高速で滑り落とされる。


「うおっ!?」


 出口から勢いよく飛び出る。落下地点は砂利だった。正和は無様に尻から着地をして、2、3回転がってようやく止まった。全身が、砂まみれになっていた。


「クソッ、なんなんだこれは……」


 あちこちについた砂を払って立ち上がる。薄暗い部屋であった。あまりよく見えないが、かなりの広さがあるように思えた。あのベーカリーショップの地下にこんなものがあるとは。


『お客さん、やっちまいましたね』


 上のスピーカーから声が聞こえてきた。どうやら店員のようだ。


「おい! なんでこんな所に落とされなきゃいけないんだ! 俺が何をした!」


『お客さん、Aトングを取っちゃいましたね? あのトングはAアタックトングだから、攻撃の意志ありとみなされちゃったんですよ』


「攻撃の意思ってなんだよ!? 意味わかんねーよ!」


『とにかく、一戦交えてもらいますんで』


「お、おい! 一戦って……うおっ!」


 照明が一斉に強く灯った。正和は目を細め右手をかざす。

 歓声が湧き上がる。周囲を見渡すと、100人以上の観客がいた。まるで格闘技大会の会場のようだ。観客皆が腕を振り上げ叫んでいる。


『青コーナー! マサカズゥゥゥゥハシムゥラァァァァ!』


 コールが響き渡る。咆哮が、四方から巻き起こる。なんだこれは、なんで俺の名前を知ってるんだ、なんで盛り上がってるんだ、なんで盛り上がれるんだ、いったいどうすりゃ良いんだ。疑問は次々と湧いてくる。もちろん誰も教えてはくれない。

 スポットライトが、正和の向こう正面に差す。会場がしんと静まりかえる。


『赤コーナー! マイク・"グリズリー"・ターナー!』


 爆発が起きた。そう勘違いするほどの歓声が上がった。会場のボルテージが一気に加熱する。向正面から、筋骨隆々とした大男が現れた。身長は190cmを優に超えているように思えた。灰熊グリズリーを名乗るだけのことはある。

 そのグリズリーは悠然と、一歩一歩踏みしめるように正和の方に向かってきた。右手でトングをカチカチさせながら。

 山のような巨躯だ。手元で光るトングがとても小さく見えた。


 別の方向から、男が小走りで来た。格好からして審判のようだ。正和とグリズリーの間に立ち、グリズリーの方を向いた。


「アーユーレディー?」


「オーケー」


 グリズリーは重い声で答える。

 審判は次に正和の方を向く。


「アーユーレディー?」


「……ノットレディ」


「オーケー、トング以外での打突は禁止だ。ファイッ!」


やらないノットレディって言っただろうが! わああああ!」


 グリズリー。ゴングと同時に突っ込んで来た。トングが上段から降ろされる。咄嗟に、横に跳んだ。空気が唸りを上げる。トングは顔のかなり近くを掠めていた。


「……んっの野郎!」


 正和の頭に血が昇る。パンを買いに来ただけなのにどうして戦わされる羽目になっているのか。怒りが、込み上げてくる。争う気は毛頭無かったが、黙ってやられるつもりもない。

 正和はすれ違うグリズリーを目で追う。背中を完全に見せた。そのタイミングで、強かにトングを打ちつける。金属が肌に当たる甲高い音が鳴る。そして笛の音。


「バックアタック! マイナス2ポイント!」


 審判が指先を正和に向け、高らかに叫ぶ。

 正和はきょとんとしてた。何がどう駄目なのか理解が出来ない。


「ちょっ……どういうこと——」


「ファイッ!」


 審判は正和の言葉を遮るように試合を再開した。待ってくれ。正和がそう言う前にグリズリーのトングがこめかみに痛打していた。正和はそのまま横に倒れ込む。

 視界が激しく揺れていた。意識が、飛びそうになる。怒りと、砂が頬に触れる不快感が、それを繋ぎ止めた。


「ヘッドアタック! 3ポイント!」


 審判が高らかに叫ぶ。歓声が巻き起こる。正和の怒りが加熱する。


「うらぁっ!」


「アウチッ!」


 勢いに任せ、グリズリーの胸を突いた。足元がよろける。ダメージが大きかったのか、目に涙を浮かべ、非難するように正和を見ていた。


「チェスト・スタッビング! マイナス5ポイント!」


 正和はもはや抗議する気にもなれなかった。ルールも教えてもらえないのにどうやってフェアプレイをしろというのか。大体、その反則名だと胸への攻撃が反則なのか、トングで突くことが反則なのか(あるいは両方なのか)理解ができなかった。クソが。呟いた。その瞬間マイナス1ポイントをレフェリーが告げていたが、正和の耳にはもう届いていなかった。


「もういい」


 正和はトングを地面に放り投げる。低姿勢になり、グリズリーの真横をすり抜け、そのまま背中から掴んだ。もう試合も、こんな所に落とされた理由もどうでも良かった。ただ、何もかもめちゃくちゃにしてやりたかった。正和は全身に力を込める。


「うおおおおおっ!」


 そしてグリズリーを掴んだまま後ろに体を逸らす。そのまま頭を砂地に叩きつけた。正和が学生時代に身につけたスープレックスだ。綺麗に決まった。

 しん、と静まりかえる場内。グリズリーは頭頂部を押さえて悶絶していた。正和の息は上がっていた。

 審判を睨みつける。反則でも失格でも何にでもしてくれと思った。審判も正和を見つめていた。暫く、そうしていた。10秒ほど経っただろうか。審判が手を振り下ろす。


「ノックアウト! 5000ポイント!」


 場内に割れんばかりの拍手と歓声が渦巻いた。


「……は?」







 結局、よくわからないままだった。

 とりあえず勝ったということらしい。地上に戻ると、店員がカツサンドと5000円分の商品券を渡してきた。どうやららしい。正和はそれを曖昧な顔で受け取り、そのまま店を出た。どうしても、買い物をする気にはなれなかった。こんな店には二度と関わりたくなかった。

 体の節々が酷く傷んでいた。時計を見ると14時を指していた。昼食をとるには少し遅い時間だ。

 腹の虫が鳴る。正和は坂道を下りながら、カツサンドを頬張った。濃厚なパンの香り、そしてジューシーなトンカツの風味が口に飛び込んできた。芳醇なソースがそのふたつを調和させ、三位一体の旨みが正和の脳を支配した。


「うまい……」


 思わず、口から漏れていた。






 翌日、正和は結局ベーカリーショップ シュラハトに足を運んでいた。食欲には勝てない。

 扉を開け、静かに深呼吸する。大丈夫。トングさえ間違えなければ。

 正和は今度は「Bトング」を掴む。激しく明滅する店内。足元に開く落とし穴。長い滑り台。たどり着いた砂地が広がる空間——


「なんでなんだよ!」


 正和は叫ぶ。アナウンスの声が上から降り注ぐ。


『お客さんが取ったトングはBバトルトングだから、攻撃の意志ありとみなされちゃったんですよ』


「いい加減にしろ!」


 正和はトングを地面に叩きつけた。

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ベーカリーショップ「シュラハト」〜Aトング or Bトング〜 北 流亡 @gauge71almi

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