第8話 迷宮学者は胸を高鳴らせる

 陽が沈みかけ、茜色に空が染まっている。私たちは王都を出、二週間を掛けてロンドール山脈まで辿り着いた。

 疲れ果てた冒険者たちがこのままの状態で迷宮に潜る訳も無く、我々は迷宮の眼前で数泊することとなる。


「おぉ……これがロンドール」


 そんな、迷宮へ潜る最終準備。その為の迷宮眼前での大規模の野営。そこであてがわれた天幕にて、私は単眼鏡を覗いていた。

 レンズの中には、山脈の根にぽっかりと空いたくらい孔が一つ。

 遠くからではあるが、光を放つ鉱石である照石しょうせきの燭台のお陰で、そのあなが成人男性程の大きさしかないことが分かる。そして、その光景が高濃度の魔素により蜃気楼しんきろうのように揺れ動いているのも。

 既に、発見者の地元の冒険者から詳しい話を聞いている。とは言え、もたらされた情報は多くない。


「ここからでも、危険な予感がする」


 背後よりかかる声の元は、私の耳よりも少し高い位置にある。ローレンヌは決然とした瞳で迷宮の入り口を見据えている。

 魔素で空気が揺らぐほどの空間。それに適応する魔物も、往々にして凶悪だろう。


「ていうか、リュールはこないだ会ったけど他のメンバーは? ライカさんとか、シュシュは元気?」

「勿論元気……ほら、噂をすれば」


 ローレンヌに肩を叩かれ振り返ると、こちらへ向かう影が二つあった。

 片方はリュール。頭頂部から生える猫の耳が、ぴくぴくと震えてこちらを捉えている。

 一方は、私と同じほどの背丈の女性。纏う雰囲気も似たようなもので、ミディアムボブにしている焦げ茶色の髪と、ハーブの葉を模した髪飾り。白いローブは古めかしく、少し黄ばんでいる。

 腰元にはメイスがあるが、汚れも傷も少ない殆ど新品同様なもの。それは、このパーティーの前衛が如何に優れているか。そして、その前衛を支えるメンバーが如何に役立っているかを示している。


「アイビっちぃ、やっぱりアストラさんのとこいたぁ」


 少女が頭の後ろで手を組みながら、猫の鳴き声のように間延びした声を上げる。


「二人とも、悪いな」

「いーよぉ別に。ウチは明日までやること無いしぃ」

「ティアちゃん久しぶり!」

「シュシュ! 久しぶり! 会いたかった!

「えっへへ、私も」


 優しい微笑みに、心が浄化されるような感覚を覚える。

 黄金の順風の治癒術師兼、薬師のシュシュだ。錬金術により多種多様な薬を生み出し、それを以て後方支援を努める。魔種植物学に明るく、同じ研究者気質ということもあり最も気が合う仲だ。


「アストラっちぃ、私は無視かね??」

「この前会ったでしょ。フフッ、意地悪言わないでよ」

「へっへっへ、ごめんごめん。で……――――」


 リュールの目線が鋭いものへと変わる。


「アストラっち、ロンドールはどう? 特殊迷宮?」

「まだ断言は出来ない、かな」

「姉弟子さんは何て言ってたの?」

「十中八九特殊迷宮だろうって。まぁ私もそう思うけど」

「大丈夫。アストラさんの指示の下なら、我々は全員揃って脱出できますよ」

「プレッシャーかかること言わないでよ……」


 私は迷宮学における聖樹の根証授与者として、迷宮のありとあらゆる事象に関する絶大な権限を有する。

 私の言が、そのまま決定事項となるのだ。下手な事は言えない。

 溜息を吐きながら単眼鏡をしまう。

 三種類ある内の最後の一つ、特殊迷宮は迷宮の中でもイレギュラーとされるものが分類される。要するに規模、環境、魔物などが通常と著しく異なり、極めて危険度が高い迷宮の総称だ。

 雷光迸るパルーア迷宮や、毒の空気が満ちるファラン迷宮、常に燃え続けるデモニア迷宮を始めとした探索不可能、かつ環境への影響力や危険度が遥かに高い。迷宮という枠に当て嵌まらない例外を、特殊迷宮と呼称する。

 ロンドールは、表層から既に二級魔術師が魔素酔いを起こす程の魔素濃度だという報告を受けている。かつてこのような迷宮は殆ど聞いた事が無い。そして数少ない過去の例からして、その殆どが特殊迷宮に分類された。

 既に各冒険者パーティーのリーダーに、私がロンドールを特殊迷宮と判断したら即時撤収をして欲しいという事を触れこんでいる。もし本当に最悪の事態が起こった場合は、私の指揮の手腕が問われることとなるのだ。

 腕が鳴る。同時に、緊張が消えない。


「まーぁ暗ぁい話はさておき。アストラっち、一杯やるでしょっ」


 リュールは手で杯を呷るような仕草をしながら目を輝かせる。無論、宴のお誘いである。

 ありがたいが、素直に受ける訳にもいかない。迷宮へ潜る前日。もし悪酔いでもすれば、調査チーム全員に申し訳が立たない。


「ごめんねリュール。緊張で飲み過ぎちゃうかもだから」

「えぇー、じゃあお話だけでもしようよぉ。ルクシスとライカが待ってるよぉ?」


 リュールが出した名は、黄金の順風の残る二人のメンバー。

 確かに、酒が無くとも久しぶりの再会を肴に談笑に興じるくらいなら。むしろ大歓迎だ。


「……じゃあしょうがないか」

「いぇーいぃ! アストラっちゲットぉ! ほらアイビっち、行くよぉ」

「え、僕も!? ……待て、酒? お前どっから持ってきたそれ、今回は禁止したよな?」

「秘密ぅ。ほら行くよぉ!」


 黄金の順風の天幕に連れ込まれ、そうして宴は始まる。

 なんだかんだ言いつつも酒の快楽には逆らえない。久しい旧友との再会、人生の中でも指を折るに足るほどの大仕事、そして緊張。

 その状況下の酒宴しゅえんで、酔いを友としないことこそ、有り得ないと言うべきだろう。


「なんで樽なんて持って来てんのあのバカ……」

「知らないですよ……。まさか隠す為に他の冒険者パーティーに運ばせてたなんて、考えられないじゃないですか……」

「うぅ……頭痛い、吐きそう」


 夜が明け、調査開始当日。

 即席の壇上で演説をするウィルザードの背後で控える私たちは、頭を抱えながらローレンヌと小声で話す。

 リュールがローレンヌから隠す為に、他の冒険者に金を払い運搬を依頼していたのだ。私も、メンバーらに何度も押され断るのも申し訳なくなってしまい、そのまま止まらず一晩で樽は空になった。

 黄金の順風リュールは、パーティーきっての大酒豪だ。酒で問題を起こした、という事は無いが調査に同行してもらった際には毎晩潰れるまで飲まされた。今回は重要な調査の為ローレンヌより禁酒令が発令されていたようだが、こうして抜け道を探してきたようだ。

 完全に飲み過ぎた。耳の側で鐘を鳴らすように頭痛が響いている。体内も気持ちが悪い。今にも胃液が逆流しそうだ。


「仕方ない……。"酔い覚ましソーバーアップ"」


 身体から酒を抜き取る魔法を唱える。

 魔素が揺れ動き、魔法が顕現する。身体から湯気が立ち昇るように、酒が抜けていき私の掌に球状となり集まっていく。

 それを放り捨てると、万全と言えるほどでは無いが身体の重さは幾分か楽になっていた。


「あ、ずるいですよアストラさん」

「心配しないでも今やってあげるよ。大事な前衛が酒で機能停止なんて嫌だからね……」


 魔力が身体から抜ける。全体の一割と言った所だろうか。簡易的な詠唱とは言えやはり、質量を持つ物質を動かす魔法は、魔力の消費が大きい。

 魔素が溜まり、よどみやすい迷宮へこれから潜るのだ。その上もある以上魔力の回復については問題無いだろうが、それでも魔力を動かすのに体力を消費しない訳では無い。

 最中、ウィルザードの演説の声が大きくなった。


「色々言ったが、諸君。既に各リーダーより聞かされているだろうが、今回の迷宮調査は危険なものとなる事が予想されている。アストラの嬢ちゃんの念話が聞こえたら、絶対に聞き逃すな! 以上!」


 ウィルザードが雄たけびと共にその太い右腕を上げる。呼応するように冒険者たちが湧き立つ。士気の面での問題は無いようで、少し安心した。

 彼は壇を降り、そのままこちらへと歩み寄って来る。

 「鉄の爪」は大陸でも屈指の大規模ギルド。そのリーダー以上に、大人数の指揮に慣れた人間はいない。

 故に、今回の全体指揮権は彼が握っており、既に各チームのリーダーとのすり合わせも済んでいる。緊急時は、私が指揮を執ることも含めて。


「随分と酒臭いな、嬢ちゃん」


 酒気を消し去る魔法を行使しても、その匂いは消し去れない。


「誠に申し訳ございません……」

「ハッハ! 程々にな! 俺も、その節は悪かった。アイツらにはうちの精鋭を付かせるよ」

「ありがとうございます」


 腕を組み、豪胆な高笑いをするウィルザードに私は、迷宮の入り口を見ながら話し掛ける。

 今なお、何人かが集まり何かしらの作業をしている。荷馬車も入口の側に停め、荷下ろしをしているようにも見える。


「魔素除去の調子はどうですか?」

「後一時間ってところだ。一昨日からしてた甲斐あって、準備している間に済みそうだな。だが、これで荷馬車一台分の魔綿まわたがパーだ」


 表層の濃い魔素。その内部には、更に高い濃度の魔素が満ちていると予測される。それを除去するために、魔素を吸収してくれる魔綿は迷宮攻略において必須の物資だ。

 今回は荷馬車三台分まで余裕があるが、表層の除去だけで一台分となると、調査に足りるか怪しくなってくる。

 その上、魔綿はお値段が張るのだ。


「調査が済めば、貴重な物資は私たちの物ですよ」


 期待に胸を躍らせる。

 迷宮に眠るのは、いつだって未知だ。

 未知の生物、未知の鉱物、未知の植物、未知の生態系、未知の環境、未知の景色。

 未知を既知にする悦びは、やはり幾つになっても無くなることは無いようだ。学者の本懐、とでも言うべきなのだろうか。

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