海と約束・壱

咽び泣く声が聞こえる。それと同時に、咀嚼音。そこには青年が居た。白髪の青年は、泣きながら何かを食べている。

汚い音。むせ返るような、赤色の。


「……あうんだ」


青年は喘ぐ。喘ぎながらも、咀嚼を辞めない。


「会うんだ、あの人に。もう一度……!」


そこは浜辺だった。波の音と共に、青年の固い決意の声が響く。

澄んだ青空の下だった。



波墨はずみを襲った矢の正体はなんなのか。

來嘉らいかせつは考え、詮索し、矢と薬に精通している「烏天狗」に目星を付けた。だが彼等を見つける事が困難で、中々話し合いが出来ずにいる。

そんな來嘉の焦りとは違い、鬼の村は騒がしい。今日は特別な日だと、皆が忙しなく動いている。何かの宴のようだ。

今日は村の首領、來嘉の成人の儀の日だった。

あの人間……切が来て様々な事があったが、もうあれが百年前の事などと思ってもなかった。切が来て百年の年月が流れた。今でも切は、鬼神の皆と盃を交わしている最中だ。


「……切さんって化け物だったんですね」

「……」


傍にいる波墨が慣れたように呟く。それに僕は反応出来ないでいた。他の鬼神に受け入れられ、共に酒を飲む切を見て、波墨は何処か安心そうだ。

切は、百年経った今でも見た目が変わらないどころか、人間の寿命で死ぬ事もなかった。成長した僕は切の身長をゆうに超えて、彼の身体をすっぽり覆えるほどの体躯になっていた。

盃を交わす事に夢中になっている切は、無表情ではあるが楽しそうだ。そんな彼の姿を遠くで眺めている僕は、心の中で決意を固めながら、微笑ましく眺めていた。



成人の儀が終わっても、宴は終わらなかった。空が白み始めた頃、周りの人々は漸く静かになり、寝静まる。僕は自分の石造りの屋敷に足を運び、彼の姿を探した。

切は庭に居た。囀る小鳥達を澄んだ赤色の瞳で眺めている。辺りは寒い。彼を温めようと、僕は切を後ろから抱きしめた。


「來嘉」


切が僕を見上げる。澄んだ、落ち着いた声が、僕の心を溶かす。僕は切を強く抱きしめた。そして。


「來嘉、成人おめでとう」

「……切。切が居たからだ。僕が生きてこれたのは」

「大袈裟な……」


大袈裟ではない。僕は首を振る。僕は切の耳元で囁く。


「切。良ければ僕の恋人になって欲しい」

「……來嘉」


切は耳を赤くし、顔を逸らした。初めて見る、切の照れ顔だった。


「絶対に幸せにする」


切は僕を見上げて、目を瞬いた。澄んだ赤色の瞳が僕を移す。すると、彼は目を細めた。これが笑っている事だと知ったのは、もう随分昔の事だ。


「來嘉、俺でいいのか」

「勿論だ。愛してる、切」


切から腕を解き、僕と彼は向き合った。静かな時間が過ぎる。そのまま僕と切は見つめあって、そして軽く口付けた。そこから先は、二人の秘密である。



翌日になっても鬼の村は騒がしい。


「何事だ」


切を傍に仕えて、僕は屋敷から外に出た。その傍らに、黒い鬼神波墨がいて僕に耳打つ。どうやら侵入者がいるらしい。

鬼の村の出入口は、特殊な鳥居が建てられている。その特殊な神力のおかげで、普通の侵入者は入って来れない。

つまり、普通の侵入者ではない訳だ。

言われた鳥居に向かうと、見慣れない衣服を身に纏った男性が立っていた。見た目がボロボロだが、それは神力の作用の筈だ。何故平然と立っているのか。

長い白髪を一纏めにした褐色の男。海の様な青い瞳が、僕の隣の人物を映す。


「切……!」


その男性は切を見つめて叫んだ。僕はなんの事だが、理解が出来なかった。

切は目を見開いて、男性を見ていた。そして呟いた、名前。


海丈うみたけ……?」




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