コンビニ守護天使
あの頃の○崎駅前ほど、治安の終わっているところはない、と誰もが口をそろえて言っていた。踏み場のないくらいにゴミが散乱し、あらゆるところに落書きが、荒いアスファルトの地面にまで『F○CK』と書かれている始末。駅舎のガラスはすべて割られ、配属された不幸な駅員は、狭い駅員室の隅で膝を抱えて震えていた。近くに交番はあるものの、四六時中出払っていて、たまに屈強な警察官が駅前にたむろするガラの悪い若者たちを引っ張っていくと、その空いた空間にまたべつのガラの悪いのがたむろする、といった具合でお手上げ状態。ヤクザ同士のドンパチが、駅前で繰り広げられるのを、近所のアル中たちがワンカップ片手にぞろぞろやってくる世紀末の娯楽みたいな感じなので、開いている店はほとんどなく、唯一、道路を挟んだところにある、青い看板が目印の、コンビニエンスストアだけが、細々と営業を続けていた。
コンビニの駐車場には派手に改造されたバイクが並び、その持ち主らしき若者たちは、入り口のガラス扉を塞ぐように車座になって、怪しげな匂いのする葉っぱを吸って談笑していた。そのうちのひとり、中肉中背でモヒカン頭の男が、突然奇声をあげたかと思うと、げらげらと笑い転げながら、アスファルトの地面に顔を擦り付け「地面が近いよー」と叫び出したのだが、周りの仲間たちは、またかといった表情でその様子を眺めていた。
「邪魔」
記録的な夏日だというのに、龍の刺繍された黒いスカジャンを羽織った金髪の女は、ポケットに手を突っ込みながら、足元で笑い転げているモヒカンを、汚物でも見るような瞳で見下ろして、冷ややかに言い放った。
聞いてないのか、聞こえないのか、モヒカンはひゃははと笑ったままで、身体を退ける気配は全くない。金髪女は、嘲笑うように鼻からふん、と息をひとつ吐き出すと、黙って片足を高々と上げ、だらしなく寝ころんでいるモヒカンの頭骨に、ブーツの踵で激しい一撃を喰らわせた。
擬音では現せない音がした。
悶絶するモヒカンを跨ぎ、ひび割れたガラスドアを押して店に入っていく女の後ろから、モヒカンの連れらしきロン毛で背の高い男がぬらりと立ち上がり、
「コラテメェなにやっとんじゃワ……」と言い終わらないうちにロン毛の身体はくるりと半回転し、タイル張りの入り口の床へ、顔面から派手に落ち、グチッという生々しい音が周囲に響き、倒れた男は白目を剥いて、カニのように泡をはき、それから動かなくなった。
「邪魔だ、ってんだろ!」
ロン毛の革ジャンに唾をぺっ、と吐き、金髪女は店に入っていった。ロン毛の仲間たちは、山中熊に出会したような、怯えた目付きで、女がガラスドアを押して、なかへ入っていくのを目で追っていた。
店内は薄暗く、蛍光灯が何本も切れている。ガラスの破片が床に散らばり、歩くとジャリジャリ音がした。商品棚もがらがらで、おにぎりやサンドイッチはなく、あるのは日持ちするカップ麺とミネラルウォーターくらい。雑誌棚には日に焼けて色の抜けた表紙の白い漫画本や雑誌が、申し訳程度にならんでいた。あとなんか臭い。臭いから察するにトイレの手入れがされていないのだろう。
「すいませーん」
金髪女がカウンターの呼び鈴をチリンチリン鳴らしてしばらくすると、奥から気弱そうな男が、幽霊のように音もなく現れた。
「お、お金はありませんよ……」
開口一番、おずおずと男は言って、開けっぱなしのレジをちらりと見た。その様子をみて、金髪女は『はっはーん、このおっさん、なんか勘違いしてんな』とでもいった表情で、
「おじさん、なんか勘違いしてるっしょ」
「あたし、バイト募集の張り紙見て来たんです」
「はあ、バイト……」
男は思い出した。入ってもすぐに辞めてしまうので、店の窓ガラスに張りっぱなしにしていたバイト募集の貼り紙を。
「悪いけれど、もう募集はしてなくてね。貼り紙、剥がし忘れてたんだ」
「あー、そうなんすか」
そう言うと、残念そうに女はスカジャンのポケットに手を突っ込んで、黒い折り畳み財布を取り出すと、
「ついでに煙草。買って帰りたいんすけど」
「ああ、煙草」
「銘柄は?」「わかば」
店長は棚から『わかば』を三箱とってカウンターのうえに置き、
「持っていきなさい」
「え、いいんすか」
「うん、もう今月で閉めるから」
万引き、恐喝、破損に修繕。店を維持することに、店長はほとほと疲れはてていた。
特にここ最近ときたら、店の出入口を塞いで客の邪魔をするガラの悪い連中が、頻繁にたむろするようになって、胃がきりきりするほど困り果てていた。
店の出入を邪魔する奴らが現れ始めた時期は、○崎駅前が再開発されるとの噂が立ち始めた頃と重なるから、大方立ち退き料目当ての悪どい連中が、暇な奴らを集めて、店先に座らせているのだろう、と考えていた店長は、その老いた体でいろいろと、努力してはみたものの、まったくといっていいほど効果はかった。
彼は『わかば』をレジ袋に入れようと、頭を少し下げた。そのときぬっと、黒々とした濃い影が現れ、店長と金髪女のからだを染めた。
「お前か」
頭上から野太い声が降ってきた。
店長が恐る恐る顔をあげると、金髪女の真後ろに、頭が天井まで届きそうなほどの大男が、太い柱のように立って、にやにやと薄笑いを浮かべているのだった。
形のよいつるりとしたスキンヘッドに、ちかちかした青白い蛍光灯の光が反射している。
「おい女、表出ろ」
巨漢は首を軽く捻り、尖ったアゴの先を店のガラスドアに向けて、のしのしと歩きだし、女はそのあとからついていく形で、店から出ていった。
「おぶっ」
と、悶絶して、巨漢はその場に崩れ落ちた。
店長の目には、店を出た途端、金髪女が男の股間を思い切り蹴り上げた光景が、白い夏の日差しと共に、鮮明に焼き付いていた。
金髪女はすばやく馬乗りになると、倒れた巨漢の両腕を、太ももで地面に固く押さえ付け、手慣れた様子で拳をコンパクトに何度も顔面に打ち込んだ。男の顔は最初の一撃で赤くなり、鼻の穴から血がたらりと垂れた。その後も女はパンチを放ち続けた。見た目には軽そうにみえるパンチであるが、拳が打ちつけられるたび、石で殴ったような硬質な、乾いた音が夏に響いた。巨漢は、はじめこそ必死に抵抗していたが、やがて戦意を喪失してしまい、女の拳を目で追いながら、懇願の表情を張りつかせるだけになった。
それでも金髪女は手を止めることなく、機械のような淀みない動きで、男の顔面に拳を打ち続ける。
「あのぅ、もう止めたら?」
店から出てきた店長は、おずおずと、金髪女の背中に声をかける。
「ダメっすよー、こういう輩はちゃんと再起不能になるくらいボコボコにしとかなくちゃ、徹底的にあたしへの恐怖を覚えさせておかないと。仕返しに来られると厄介ですからねー」
女の背中越しに見える男の顔は、殴られ過ぎて原型が変わっていた。拳を打ち付ける音も、ゴツゴツからグチッ、ぐちゃッという肉を叩く生々しいものに変わり、赤く染まったその拳は、ちいさいながらも鈍器のような、冷たくて血の通わない残忍さを思わせた。
ようやく拳を打ち込むのをやめた金髪女は、倒れている男の財布から、彼の免許証を取り出して自分の財布に仕舞うと、放って財布を返した。
男は財布を掴み、夢遊病患者のようにふらふらと立ち上がると、赤く染まった顔面を押さえ、去っていった。
金髪女もコンビニに背を向け、つかつかと歩き始めた。その後ろ姿が、真夏の蜃気楼のなかに溶けていくのを、店長は白昼夢でも見ているみたいに、しばらくぼんやり見ていたのだが、突然はっ、とした様子で、彼女の背中に向かって声をかけた。
「き、君!」
ぴたりと立ち止まる。
そのとき龍の瞳と目があった、気がした。
この娘がいれば、もしかしたらもう少しだけ、この店を続けられるのかもしれない。
店長は、藁にもすがる思いで叫んだ。
「ここで働いてみないか!」
「え、いいんすか」
嬉しげに振り向いたその顔には、返り血が頬にべっとり張りついていた。
「あまつか、って呼ぶんです」
狭い控え室で、履歴書を見ていた店長に、対面のパイプ椅子に座る金髪女はそう言って、微笑んだ。頬の返り血を拭いもせず。
「頬っぺたに血、ついてるよ」
店長は部屋においてあったボックスティッシュを差し出した。天使はお礼を言って一枚とり、血のついてない方の頬をごしごしとこすった。
「反対だよ」
店長は自分の左頬を、ぽんぽんと指差した。
「あたしがいれば、ここの防犯もばっちりですよ」頬の血を拭き取りながら、天使は言った。どうやら自分のセールスポイントは、充分理解しているようだった。
「うん。これからよろしくお願いしますね」
「応、よろしく!」
そう言って天使は、勢いよく手を彼に差し出した。白く艶やかな手を。
彼は黙ってその手を握った。
その手はとても、冷たかった。
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「それからね」
店長はそう言ってしみじみと、懐かしむように目を細めて、天使さんの数々の武勇伝を、私に語り聞かせてくれたのでした。
「店長、今日は天使さん、いらっしゃらないの?」
「確か、今日はファミレスでバイトの日だよ」
新商品のカップ麺を棚に並べながら、店長は答えました。
コンビニ守護天使 のべたん。 @nobetandx
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