コンビニ守護天使
のべたん。
ネコ型配膳ロボット
バイト先のファミレスに、最新式のネコ型配膳ロボットが導入された。
客が注文したピザや鉄火丼、パフェなんかを運ぶのが主な仕事だ。
このファミレスは割合進んでいて、注文は席に設置してあるタッチパネルを客が自分で操作する仕組みだから、オーダーも取りに行かなくていい。キッチンには正社員がふたりいて、フライパンを振ったり、まな板をとんとんしているが、近年多発するバイトテロの影響もあってか、バイトはレンチン以外の調理はしてはいけないことになっている。水はセルフだし、会計も入り口にある自動精算機で支払い。
つまり、ホールの人間はやることがほとんどない。唯一、といってよかったオーダー品を運ぶ仕事も、ネコ型配膳ロボに取って変わられてしまった。もちろん忙しいときには人間も働くが、そんな日はランチタイムか週末夜くらいなものである。あたしらホールのバイトが雇われているのは、配膳ロボが故障したときのスペア、というなんだか釈然としない理由なのだが、理由はともあれ『労働』などという面倒なことは体力を使い、かつストレスもたまるので、なるたけしないにこしたことはなく、結果、あたしと先輩は勤務時間のほとんどを、外にある従業員用の狭い喫煙所でタバコをふかして過ごしていた。
天使先輩(本名:天使かず子『天使』と書いて『あまつか』と読むけれど、あたし含めて『てんし』と呼んでる)は、すらりとした長身の、地元では名の知られたヤンキーで、肩まで伸びた髪は、脱色して金髪に染めた後不精して生えてきた黒髪とのコントラスト、いわゆる『プリン』と呼ばれる状態である。が、それが切れ長の目と相まって、黙っていても醸し出される猛者感にぴったりだ。と個人的には思っている。(レモン色の可愛らしいファミレスの制服にはかなり不釣り合いではあるが。)
その日もあたしと先輩が、店外の喫煙所でそろって煙草(ヤニ)を吸っていると、配膳から戻ってきたネコ型配膳ロボがやってきた。ネコ型配膳ロボット、いちいち言うのも面倒なので、みんなは縮めて『ネコ』と呼んでいる。
「なんの話をしているにゃ?」
客席に出るといかにもロボット、『イラッシャイマセ♪』てな感じの明るい丁寧口調であるが、バックヤードに戻ってくると急に砕けた口調になって、(店長が言うには従業員との友好関係を築くことで、円滑な業務遂行を行えるようプログラムされているそうな。)確かに丁寧口調で話しかけてくるよりはずっと話しやすく、人工知能というやつもずいぶんと進化したものだ、なんてことを偉そうに考えながら紫煙をフーッと吐き出し、「今度かず子さんと一緒に海行くんよ」と言うと、ネコは瞳をかがやかせ、
「あー、いいにゃー、にゃーも海に行きてーにゃー」と駄々をこねはじめた。
「いやぁ、ダメっしょ、海にロボ連れてくなんて」と、半ば呆れ口調であたしが言うと、
「行きたい行きたい、行きたいにゃー!」と、叫んでさらに激しくじたばた、たとえるなら三歳児くらいの駄々のこねかたで、地面にお尻をつけて四肢を振り回す、そのあまりの癇癪の声が店にいる客と店長の耳に入るのを恐れ、慌てて止めに入ったときにちらりと横目に見えた先輩は、気だるそうに目を細め、咥えタバコに火をつけていた。
「わーった、わーったから、落ち着け!」
あたしがそう言ってなだめていると、ネコは突然顔と尻尾をぴこんとあげて、
「ぬ、ご注文にゃ」
すっと立ち上がり、たったかたーと、一目散に駆け出して行った。
ネコが急に立ち上がったものだから、腰を降ろしてネコを押さえつけていたあたしは、アスファルトの固い地面の上へ盛大に尻餅をつき、尾てい骨を強打した。痛てぇ。
「……無理でしょ」天使先輩は地面にお尻をつけたままのあたしを見下ろしながら、口許を冷ややかに緩ませ言った。
「いやー、どうすかね、行けんじゃないすかねー、はは、労働者にもリフレッシュする権利くらい……」と、へらへらした感じで返すと先輩は、
「人間ならそりゃ、そうだけどさぁ、あいつ、機械じゃん」
それは確かにその通り、ぐぅの根も出ない。休養とは、我々人類が長い歴史のなかで勝ち取ってきた権利でもあるのだし、そもそもあのネコ型ロボの発する言葉は、私たちの使う言葉を人工知能が学習し、あたしらに好まれるリアクションを選択しているに過ぎない、本気にするのもおかしいものだ。
感情のあるフリ。人間らしい振る舞い。ロボットに自我のあるとは思わないが、ネコを見ていると、本当に感情のあるように見えるのだから不思議。
「でもまあ、いつもあたしらの代わりに働いてくれてるんだし。それにあいつがいた方が賑やかで楽しそうだしねぇ、ちょっと店長に掛け合ってみるかぁ」
そう言って先輩は、吸いかけの煙草の火を押し消した。
「だめに決まってんだろ、海なんか見せてどうすんだロボットに」
狭い店長室のなかで解読不能の文字が羅列したピンクの伏せんだらけのパソコンに向かい、なにやら難し気な顔で腕を組んでいる店長は、画面に映る今月の売り上げを見ながら、うんうんと唸っていた。どうやら今月の売り上げも芳しくないみたいだ。
「店長最近新車のジムニー買った言うてたやないすか」先輩は店長室の扉に背中を預け、椅子に座った店長を見下ろしながら言った。この店長、歳は二十代半ばで先輩よりも歳上なのだが、身長が一六〇もないので、他のバイトたちから影で『こども店長』などと揶揄されている。一七〇より高い身長の天使先輩と比べると、店長が童顔なのも相まって、並ぶと姉弟のようにも見えてしまう。
「それに、なんで俺が車出す前提なんだよ」
「店長は来なくていいですよ、こっちはジムニーちゃんさえ貸してくれりゃ」「もっとダメだろ、それにお前、免許原付しかないだろーがよ!」
「あ?悪いかよ」「悪いよ!」
「つーか、お前らいなくても店はまわるんだよ、こっちはネコさえいりゃあいいの、お前らいつも裏でタバコ吸って帰るだけじゃねぇか、ったく、皿洗いくらい手伝ったらどうだ?」
それを聞いたあたしは、先輩とドア枠との間に顔をぬっ、と割り込ませ「だって皿洗うのは食洗機じゃないですか」と反論した。皿洗いなどしたくないからだ。
「だから洗い終わった食器とか片付けたり、床を掃いたりさ、そういうこと、探せばいくらでもあるのよ仕事ってやつはさぁ!」「でも、そのためのロボットなんじゃないですか」「お前舐めてんのか?」「舐めてないですよ、そういう嫌なことやってくれるためにネコがいるんでしょ」「……お、お前には情ってやつがないのか」「情?人間相手なら多少はありますが、こと機械にかけてあげる情はありません」
「ふーん、なら機械が海に行きたいって言っても連れていかなくても構わないだろ、情に流されないってんだから」
しまったやられた、と思ったときにはもう遅し、こども店長、頭脳は流石に大人だったか。
己れの不精のせいでネコに迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思い、何か良い返しはないかと考えていると、
「じゃあどうしたらネコ連れてっていいのさ?」と、先輩はシンプルに聞いた。
店長はうーん、とパソコンの画面を眺めながら数秒悩んだあとに、
「店が休みの日ならいいぞ」と言った、でもすかさず「まあ知っての通り、この店年中無休だがな!」がははは!と言葉を繋げて嫌味な高笑いを上げたので、あたしがネコを海に連れていくことを諦めかけたそのとき、ホールの方から盛大にガラスの割れる音が轟いた(車三つで『轟』という漢字は本当に良くできていると思う)。それもただ一枚とか二枚とか並みの枚数ではなく、百枚くらいをまとめて巨大な鉄球で一気にかち割ったような、それくらいけたたましい音がばーんと響き渡ったのだ。
あたしたちが慌ててホールに駆けつけると、白いプリウスが駐車場側の窓ガラスを突き破って客席のテーブルに車体の半分ほど乗り上げており、中空に浮いたタイヤは虚しくゆっくり空回りしていた。
運転席のお爺さんに怪我はないように見え、幸い窓側の席にもお客はいなかったようだ。店内にいた数人の客が、遠巻きにその様子を眺めている。妙な静寂があたりに沈みこみ、互いの動きを見合っている。ガラスのない窓枠から入ってきた生ぬるい夏の風と、遠くで聞こえる車の走行音が、ファミレスのテーブルの上にプリウスが乗っているという非日常的な光景に、質感のあるリアルな匂いと環境音が織り混ざって、夏だというのに肌寒い感じがした。
「よかったですねー、お休みとれて」能天気に天使先輩はそう言って、口を開けて呆然としている店長の肩にぽん、と手をおいた。もしかしたら、この人は悪魔かもしれない。
臨時休業の張り紙には、誠に勝手ながら云々書かれていたが、肝心の期間について記載がなかったので、
「お店、いつまで休みなんです?」
「来月まで。……たぶん」
事故から五日後、プリウスは既に撤去されていたが、ぶち破られたガラス窓は特注のため納期が遅れるらしく、代わりに安っぽいブルーシートが張られ、時折吹く夏のゆるやかな風にシートの端が揺れていた。
店内に散らばっていたガラスやコンクリートの破片なんかは、その日出勤していたメンバー総出で掃除して、なんなら以前より綺麗になったくらいだが、念のため営業日前に一度清掃業者を呼ぶそうだ。
バイトはその日から暇が出され、キッチンにいた社員たちは、店が営業再開するまで他店の応援に駆り出されることになった。
店長には事故で生じた雑務処理等やることが山ほどあったそうだが、二三日缶詰で店に籠り、昨日ですべて終わらせたとのこと。それでも休みが取れたのは今日のこの一日だけ、それであたしたちは店長の休みの日に合わせて海水浴の予定を組んだのだ。これはただ単にこの県には海がなく、海へ行くには電車かバスを乗り継いで隣の県まで行かなければならないからで、つまり、移動が面倒臭いというのがその最もたる理由であるが名目としては、いつもお世話になっている店長と一緒に海に行きたい、ということにしている。
どこまでも突き抜ける夏の青空を眺めながら、店の客用入り口に続く短い階段の段差に腰かけてひとり煙草を吸っていると、一台の真新しい青のジムニーが、居並ぶ赤いカラーコーンの隙間を縫って、駐車場に入ってき、あたしの目の前にきゅ、と横付けした。
「なんで俺が車を出さなきゃならんのだ」
車から降りるなり、店長はそうぶつぶつ言ってはいたが、派手なオレンジ色のアロハシャツを着て、サングラスまでつけてくるあたり、本人もまんざらではないようだ。
「おはようごさいます、店長」
「あぁ、おはよ……、そうだ、そういやお前らテレビ出てたろ」
「あ、見ました?」
「見ましたじゃねーよ、ビール噴いたわ!」
事故当日のニュース映像で、ファミレスの制服を着た私のインタビューが放送されたのだ。プリウスの突っ込んだ哀れなファミレスを映像に納めようと、地元キー局の車輌が数台やってきて、そのお尻を舐めるように撮り始めたので、あたしと天使先輩は面白半分で店から抜け出すと、嬉々としてインタビューに出演し、また店に戻ったのであった。家に帰ってテレビをつけると、ぴったりのタイミングであたしと天使先輩がいぇーい、と舌をだしてダブルピースしている映像がローカルで流れていた。
雑務処理で店に残っていた店長は、薄暗い店長室のテーブルにひろげたコンビニ弁当をつまみながらビールをちびちび、スマホでニュース映像を見ていると、ダブルピースしてきゃっきゃするあたしと先輩の姿が映し出されて思わずビールを噴き出し、パソコンの画面をびちょびちょにしてしまったそう。
「てか、まだお前しか来てねぇの?」
「そうすね」と答え、店の入り口に貼り出されている紙の文字に目を走らせながら、
「お店、いつまで休みなんです?」と尋ねると、
「来月まで。……たぶん」という自信のない答えが返ってきた。
休みのあいだ別のバイトを探すかと、天使先輩がひとり愚痴ていたことを思い出す。
先輩はたしか駅前のコンビニと、ここのファミレスバイトの掛け持ちだったから、いまはコンビニのバイトを増やして、それでも空いた時間はウーバーをしているそうだ。もしかすると、いま遅れているのだって、原付に跨って、お腹を空かせた人たちに料理をデリバリしているのではないか、あの人ならやりかねない、そんなことを考えさせるヒトなのだ、というより、あたしも家賃やら光熱費やらなんやら払わないとならんので、さっさと新しいバイトを探さなきゃ、なんて考えていると、
「ネコ、呼んでくるか」
あ、私も行きますと言って店長の後に付いていく。
従業員用の出入り口の鍵を開け、SECOMの警備を切り、バックヤードを真っすぐ進んで右側にある狭い休憩スペースを覗くと、電源オフ状態の旧式ネコ型ロボット二台のあいだに守られるようにして、ネコが目を閉じて直立していた。高い位置にある長方形のガラス窓から差し込む白い光の帯のなかに舞う埃に反射して、空間はきらきらと輝き、ネコのながい睫の先に光を灯している。
ネコは絶賛充電中で、黒い円盤のうえに立っている。円盤にはコードがついていて、プラグは壁際のコンセントに刺さっている。理屈はよく分からないが、この円盤のうえにネコが乗ると自動で充電される仕組みなのだ。ちなみに一回の充電で約十時間活動が可能で、仮に充電が切れても予備のバッテリーが三時間分あるから、海へ行って帰る程度には充分に余裕がある。仕事中、ネコは充電が切れそうになると、自分でこの円盤のうえに乗る。その間の客対応はといえば、以前から店で働いている、二台の旧式ネコ型ロボットがしてくれるので、やっぱりあたしらバイトの出番はない。
「服持ってきた?」
「持ってきましたよ」
「悪いな、会社の制服汚すと、まずいからさ」と、店長が言い終わるのと同じくらいのタイミングで、充電が満タンになったことを知らせるピーという甲高い電子音が鳴り、ネコの 瞳がぱちっと開いた。
「あ、店長、おはよーにゃー」
「お、やす子もいるにゃー、おはよーにゃ」
名前を呼ばれたあたしは、おはよーして軽く手を上げた。ネコは微笑んだ。
「今日はみんなで海に行くんだにゃ!楽しみだにゃー!」そう言って、ネコが嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねると、二畳ほどの休憩室に埃が舞った。
「ほら、着替えな」鞄から白のTシャツとジーパンをとり出してネコに手渡す。いつもは店の制服を着ているのだが、今日に限っては流石に制服はマズイということで、外行きの服をあたしが用意することになっていた。
「じゃあ、俺店長室いるから」と言い残し、店長はいそいそと去っていった。
ネコは自分でぷちぷちと、半袖シャツのボタンをはずしていくと、マネキンのように白く硬質な身体が露になり、部屋を満たす自然光に照らされて、彫像を見ている気分になる。
「お前ロボットのくせに、いい身体してんなー」あたしはネコの膨らんだ胸と腰のくびれをしげしげと眺めた。
ネコは制服のシャツとミニスカートを脱いでいる状態であたしの言葉に反応し、得意気な表情で、
「どうにゃ、どうにゃ?」と腰に手をあててポーズをとる姿はいちいち魅惑的で、これ以上見るとあたしのなにかが壊れそうな気がしたので、慌てて首をぶるぶる振って思考を乱し、
「……いいから早く着替えなよ」
「でも、ちょっときついにゃ」
ネコはすこし不満そうに舌をだした。ネコの豊満な胸にTシャツが膨らんで、ヘソが覗いている。
「やす子は乳がないから、この苦しみが分からんのにゃ」
「うるさい、我慢しろ」
ネコを連れて店を出ると、ジムニーの車内を覗き込んでいる天使先輩の後ろ姿が見えた。
「ちーす」先輩は夏だというのに背中に羽を広げた鷲が刺繍されたスカジャンを着ていた。暑くないんですかと聞くとジッパーを下げて、黒いビキニを見せてきた。
「どうだ?」
「変態じゃねぇか」
「は?」
その変態の後ろに隠れるようにしてひょっこりと、白い帽子が揺れるのを見た。
夏らしい白のワンピースに、艶のある黒髪の上からつばの長い帽子をかぶった色白の女性が立っていて、
「はじめまして」と頭を下げた。隣の不潔な変態とは対照的な、清楚で真面目そうな見た目で、あたしよりも三つか四つ、歳が上の気がした。
「バイト先の後輩」
「亜希さん」と天使先輩が紹介すると、優し気な微笑みを口元に浮かべた亜希さんは「よろしくお願いします」としげしげと頭を下げた。
品のある人だなぁと思っていたが、あたしのうしろでちょうちょに気を取られているネコを見るなり、
「わー、可愛い!」
と、叫びながらネコに後ろから抱きついた。
「おめー、なにするにゃー!」
「しゃべったー、きゃわいいー!」
「はぁ、な、せ、にゃあ!」
「先輩、何なんすか、あの人」ネコに抱きついて頬擦りしている亜希さんを指差す。
「ネコの話をしたら付いてくって五月蝿いから連れてきた」
「そんな勝手に」
「いいじゃねぇか、減るもんじゃねぇし」
「それより店長、ネコ連れてっていいんすか?」薄ら笑いを浮かべながら、先輩は店長に尋ねる。
「いいんだよ、店は休みなんだから」と少し不満げに店長は答えた。
後に聞いたところ、どうやらあのとき先輩はスマホの録音機能で店長の言動を録音していたみたいだ。やることがえげつない。
「あ!」と声をあげ、パッと我に返った亜希さんは、あたしらの前にあわただしく走り出て、直立の姿勢から地に額がつくほど深々と頭を下げた。
「本当にすみません!私、ネコ型配膳ロボットを見ると、居ても立っても居られない癖(へき)でしてっ!」
「そんな可愛い顔して『癖』って言葉使うんだ」
以前から名前だけは聞いていたけれど、こんな変な人だとは思わなかった。あたしの隣に立っている店長も、なんと言えばいいやら分からない困り顔をしている。
「店長さんのこと、先輩からよく聞いています。とっても優しくて頭もいい方だと」
「そうですか……」口元のニヤつきを隠そうともしない店長は、むしろ亜希さんと二人きりで海に行きたそうな表情をしている。
「急に申し訳ありません」
ぺこり、と再び頭を下げた亜希さんに、いいっていいって、と店長は慌てて言って、旅行の同行を許可していた。
それから全員ジムニーにぞろぞろと乗り込み、あたしがバックミラーを覗くと、後部座席の真ん中のネコを挟んで左に天使先輩、右に亜希さんが座っているのが見えた。
「じゃー、行くぞ」
店長の一声で、ジムニーは動き出した。
ジムニーは町を出て、野を超え書を捨て山を越え、山沿いの狭い道から遠く水平線が見えたとき、車内から歓声が沸き上がった。バックミラーには煙草に火をつける先輩の姿がみえ、あたしも窓を半分開けて煙草を吸った。
夏の強烈な白い日差しを浴びて、木々の梢はその影を、アスファルトの道路のうえにばら蒔いて、ジムニーは颯爽と走り抜ける。緑の風を鼻で吸いながらの煙草はいつもと味が違って旨かった。
山を降りると平野が続き、コンビニや本屋のあるちいさな町を抜けると、太陽に照らされた海が白く輝いているのが見え、車内から再び歓声があがる。
ジムニーは海岸線に沿って走る。
開いた窓から入って来る海風が心地よい。天使先輩は横目で海を見ながら煙草を一本取り出して、ノールックで火をつける。その淀みない動作をきらきらとした瞳で凝視していたネコは、衝動が抑え切れなくなったのか、
「にゃーにも一本くれにゃー」と言い出した。
「は? ぶっ壊れるだろ、機械が煙草吸ったらよぉ」
「にゃーには空気清浄機機能が付いてるのにゃー」自慢げに目を線に細めてネコは言ったが、あたしはそんな機能がネコについているなんて知らなかった。
「いいんすか、店長?」先輩が聞くと店長は軽く頷き、
「知らんけど、本人言うならいいんじゃねーの? でもあんまり吸わすなよ、会社の備品なんだから」
「ありがとにゃー」ネコはにっこにっこの表情でもらった煙草を唇に咥え、先輩に火をつけて貰うのだが、吸いかたを知らないので火が付かない。吸うんだよ、と言った先輩の声を聞いたネコが、勢いよく空気を吸い込むと同時に激しく咳き込んだ。
「ごっふぅ、ごふぅ、ゲッボ、ゲッ……『ピー、カジデス!カジデス!ピー、カジデス!カジデス!』」
ネコは突然目を赤信号色に点滅させたかと思いきや口を大きく開けて、かん高い警告音を狭い車内に響き渡らせた。それは鼓膜をびりびり震わせるほどの大音量で、
「うるせー!」「換気換気!」と車内はパニックに揺れ、ジムニーは右へ左へと蛇行し、対向車線のトラックからの激しいクラクションを浴びせられる始末。咄嗟の判断で店長が車内の窓ガラスを全開にして煙を飛ばしてくれたので、しばらくすると音は止んだが、耳の奥にはまだ警告音が残っていて、じんじんする。
「大丈夫?」亜希さんは心配そうに、ネコの背中を優しくてさすっている。
「う、うまいにゃ」
「嘘つけ」「泣いてない?」「泣いてないにゃあ」「にゃあ、もう一本くれにゃあ」と、ネコは天使先輩にすがりつくがぷいと無視される。
「いゃあ、すっかりニコ中ですね、ヤニネコさん」と何故か嬉しそうに亜季さんは微笑むと、茶色い革製の洒落たポシェットから『わかば』を取り出した。
「あれ、煙草吸われるんですね」すこし残念そうに店長が聞くと、亜希さんは穏やかな口調で、
「はい、天使さんの影響で」と言って煙草に火をつけた。
「あきー、一本くれにゃー」
「だめですよー」「にゃー(悲)」
「お前吸ったら音鳴るだろが、うるせーんだよ」天使先輩が割り込んでくる。
「もう鳴らんにゃ、警報切ったにゃ」
「ホントか?」「ホントだにゃ、ロボットは嘘がつけないにゃ」「さっきついたじゃん」「亜希さん、ネコに一本やってよ」「あら、よろしいんですか?」「いいんですよ」「おいこら、天使!やめろ!」「はい、ネコさん、お煙草ですよ、あーん」「亜希さん、ちょ、マジやめて、おい、お前止めろ!」慌てた店長があたしの肩をぱんと叩く。「あ? 痛ぇな」「ごめん」「ありがとにゃ、亜希はいいやつにゃー」「やめて!」「じゃあ火つけますね」
ジュ。
「ブッフェ、ごっふぅ、ガッ、ごっふ……『ピー、カジデス!カジデス!ピー、カジデス!カジデス!カジデス!』」
「また鳴らしてんじゃねぇよ!」「こいつロボットなのに嘘ついてんぞ」「嘘つき、嘘ネコ!」咥え煙草の天使先輩が腰をあげ、ネコの頭を思い切り叩く。走行中の車体がぐらりと大きく傾き、タイヤがふわりと浮いて輝く海が近くなり……、どすんとタイヤが地面に戻って上下に衝撃。
「お前ら暴れんな!」店長の怒号が響きわたる。
「たく、おい馬鹿ネコ、これでも吸ってろ」と言って天使先輩から差し出された禁煙パイポを口に咥えてからは、ネコは随分と大人しくなった。
「これならいけるにゃ!」
と、嬉しそうにパイポを咥えて得意気にしている様子を見て、おそらくネコは煙草が吸いたいんじゃなくて、みんなと同じように煙草を吸う『格好』がしたいのだなと思った。みんなもあたしと同じように考えているのか、ネコを見る目がさっきより暖かくなった気がした。
そんなことを考えているとジムニーは海水浴場の看板を抜け、砂利の駐車場へと滑り込んでいった。車が幾台も縦に並び、平日だというのに混んでいた。浮き輪を腰にした裸足の小学生くらいの男の子が元気よく走り、大学生らしき男女のグループが楽しげに話をしていたので『夏休み』という単語が頭に浮かび、随分と前の懐かしい響きと共に、かつての不登校時代を思い出して気分が悪くなった。
店長はトランクから引っ張り出したクーラーボックスのベルトを肩にかけ、ゆっくりとあたしたちの後ろからついてきた。
緩い砂地の傾斜を登りきる。
真っ青な海が視界いっぱいに広がった。
「海だ、にゃー!」
海に向かって勢いよく飛び出していくネコの後ろ姿を眺めながら、砂浜であたしたちがとりあえず一服していると、波打ち際ではしゃいでいたネコは寂しそうな顔して戻って来、あたしらの横に腰を下ろしてパイポを吸い始めた。
「よし、泳ぐか」煙草を吸い終わった天使先輩は、スカジャンとジーパンを脱ぎ、黒のビキニ姿になって軽くストレッチをしたあと、
「先、泳いでるわ」と言ってざぶざぶ海へ入っていった。
「にゃーもいく、にゃーもいく!」
ネコは先輩を追って海へ入ろうとしていて、「馬鹿鹿野郎! ぶっ壊れるじゃねぇか!」と後ろから店長に羽交い締めにされていた。
「にゃーには防水機能がついてるのにゃ!」「もう誰もお前の言うこと信じてねえぞ!」
「大丈夫でしょうか?」ネコと店長のやりとりを見ながら、亜希さんは聞いてきた。
「ほっときましょ」とあたしは言って、ひとりすたすたと更衣室のある方へ歩いていった。
更衣室、といってもビニルカーテンで仕切られた公営ぽいコンクリ地肌の簡素なもので、狭い個室には壁付けの棚がひとつだけあり、おそらくあたしの前に着替えたであろう人の日焼け止めがちょこんと隅に置かれていた。
ビキニに着替えて外で待っていると、白いビキニ姿の亜希さんが出てきてまずその胸の大きさに目を奪われた。でかい。
「でか……」
「?」亜希さんは小首を傾げる。
「いや、なんでもないっす。……行きますか」「はい」
黙って歩くと豊満な胸に目がいってどきまぎしてしまう、なにか話題を振らなければ、
「亜希さんは先輩と、どういう関係なんすか」
「関係? バイト先の先輩ですよ」
「あの人、サボってばっかりいるんじゃないすか?」確信的にそう言うと、
「あら、そんなことありませんよ」
なんだか嬉しそうに亜希さんは答える。微笑むと八重歯が覗く。
「私のバイト先、○崎駅前のコンビニなんですけど、前はかなり治安が悪かったんですって、でも天使さんが来てからずいぶん良くなったって、うちの店長よく言ってますよ」
「ふーん」あたしの知らない天使先輩の一面を見た気がした。先輩が青いコンビニの制服を着てレジを打ち、商品を補充し、からあげを揚げる姿を想像してみる。
背筋がぶるっと冷えるほどの違和感。
「あらあらネコさん、どうしたんですか?その恰好」
体育座りしている店長の隣で海を見ていたネコは、ブルーシートのうえに正座させられていた。その太腿のうえにはクーラーボックスが重しとして置かれていたが、痛覚ないので平気な顔してパイポを咥えている。
「ネコさん可哀そう」亜希が慈悲深い眼差しを向ける。
「そうにゃ、にゃーは可哀そうなネコなのにゃ」
「行きましょ、亜希さん」あたしはネコを無視し、亜希さんの細くてふにゃりとする二の腕を掴んだ。
「店長は? 泳がないんですか」
「こいつの見張り」横目で猫をちらりと見て、店長は言った。てか、さっきから亜希さんの胸ばかり見ているなこの野郎。気持ちは分かるが。というより、もしかして海に行きたくても行けないんじゃないのか、立てなくて、と思った途端、意地悪な気持ちがむらむらと湧き上がり、口端が上がる。
「店長も行きましょう!」あたしは亜希さんを掴んでいる反対の手で、店長の腕を荒っぽく握って無理矢理に立たせようとすると、
「や、やめろ!やめろぉ!」半腰で前屈みになった店長は必死に抵抗する。両手で股間を押さえ付け、顔にはべったりと脂汗が浮かび、アゴを上げて歯を食いしばっているのが分かる。楽しい。嗜虐心を刺激されたあたしはさらに力を入れて店長の腕をひっぱる。そのとき、
「ずるいにゃ店長!海行くにゃ」と、ネコが店長の半ズボンみたいな水着の腰ゴムを握って後ろにぐっ、とひっぱったものだから、ライトグリーンの水着は膝までずるりと脱げ、勢いよく前のめりに倒れた顔面は、まともに砂のなかへ突っ込む形となり、瑞々しい冬瓜のように、つやつやとしたお尻が燦々と照りつける太陽の下に露わになった。
「お、灰皿にゃ」
と言ってネコは咥えていたパイポを店長の菊門に半分ほど突き刺した。およそ人間の声とは思えない、くぐもった呻き声が砂のなかから洩れ出てきた。
周りではしゃく大学生らの楽しげな声が、急に大きく響いて耳に入ってきた。
「私、少し泳いできます」亜希さんは顔を真っ赤にして海へ走っていく。
「すんません、店長」と言い残し、あたしも亜希さんの後に続いた。
「店長泣いてない?」
海で泳いでいた天使先輩は、浜辺で体育座りをしている店長を指さした。
あたしと亜希さんは目を見合わせて首を横に大きく振った。
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