第7章 サウシュラの月 ⑥


「さてと。……行くか…」


 のそっと、立ちあがった大陽は、予測ほどではない患部の痛みを意識しながら、対岸の川上をふりあおいだ。


 そこで、「あれ…?」と動きをとめる。



(…? いない…)



 こちらとどうよう、背の高い線状の葉や、地表を覆うように根をはりめぐらしているむこう側の岸辺。


 見つけられなかったのは、少し前まで、そのあたりで身をすくめていた人物ひとだ。


 そうするなかに、きらきらと…。草ばえに、ただよい消えてゆく光の粒子を見た気がしたが、それも、すぐに確認できなくなった。


 大陽は、テールを見て…、いたよな? と。

 言葉ではなく、視線でたずねた。


「そちらにあったものなら、消えた」


「消えた?」


「複雑すぎた。成りたちは、単純な方がまとまりやすい。

 生まれそうに見えたかもしれないが、あれは、自力ではひとつに成り得ぬ、アンバランスな集合だ」


〈なに? なにか消えたの?〉


 トゥウェースが、ふたりの方へ、つめよってきた。


 三メートルほどの距離は保ちながら、大陽の方を見ている。

 例によって、テールは、彼女を意識の外において話していたようだ。


 それは、トゥウェースがテールに反感をもつ、最大の理由になっているのだが、テールは、いっこうに、あらためようとしない。

 たまに、意図して聞かせたりしているから、出来ないわけではないのだろう。


 星の子を装っているが、実は日輪だと主張する。

 あきらかにその辺にいるのに無視できてしまう、その男の精神構造が、よく理解できなかったが……。

 いまのところ、自分がその対象になることはなかったので、大陽は、気が向いた時サポートするだけして、なんとなく放置していた。

 とりあえず、会話を成りたたせる。


「うん。星の子…」


〈星の子っ? どこに? 気づかなかったわ…。

 よっぽど生気のうすいヤツなのね〉


 ぞっとしたのか、こころなしか、および腰になったトゥウェースが、そわそわとあたりに視点をさまよわせた。


〈わたし、いてないよね?〉


「川のむこう岸にいたんだけど…。テールが〝成り得ないもの〟だったって、言うんだ」


 大陽が雲をかむように答えると、トゥウェースは、たちまち明るい表情をとりもどした。


〈なりえないもの? 星の子以前の鋳型いがたね? そんなの、注意していたら、きりがないわよ?

 わたしは、人をよけて歩くだけで、せいいっぱい!

 よその土地だと、よく見逃してしまいそうになるの。

 気づくとすぐそばに居たりして、どきっとすることがあるわ。

 言っておきますけど、まだ、人をいたことはないのよ?〉


 それ以前のものは、蹴ちらしていそうなトゥウェースの主張を右がわに…。

 大陽の気分は沈んでいた。



(…どこかへ行ってしまったんだと、思いたかったな……)



 目を離さず観察していたら、その瞬間を見たかもしれない…。

 見たいとも思わないけれども、後ろ髪をひかれる。


地元を出てから、あまり走りまわっていないしね。お荷物もいたし…。

 最近なら、陽がおっこちたみたいな光を見て、少し走ったくらいで、ふだんは、けっこうゆっくり動くようにしてるのよ?

 そうすれば、事故もほとんどおこらない…〉


 大陽は、なにやら、いいわけしはじめたトゥウェースをちらと見た。


「そんなに速く動けるなら、すべてが、にぶく見えるんじゃない?」


〈そうねぇ…、あえて、否定はしないわ〉


「他のものの先をゆく活力に恵まれているだけで、計算や判断が速いというわけではない。

 《陽の宮》の頭脳は、光輪やそのへんの星の子なみにひらきがある。

 まわりのものを見る視力や識別力は、見方によっては、かなり劣る」


〈タイヨウ。彼、いま、何て言ったの?〉


 伝えると角が立ちそうな内容だったので、大陽は、う〜…ん、と、視点をおよがせた。

 答えないままに、出発を沙汰する。


「行くよ…」


 時の流れ方や、一日の長さが一致しているとも限らないが、もう、一ヶ月以上こっちにいるのだ。

 来たのが、九月の頭なら、向こうは十月なのかも知れない。

 疲れてはいたが、まだ動けたので、大陽は進む選択をした。


 意識して見なくても、のびた前髪が睫毛を掠めるようになっていたし、うかうかしていたら、年を越してしまいかねないのだ。



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