第7章 サウシュラの月 ⑤


〈タイヨウ…。前から思っていたんだけど、彼がもっているものは何? たまに見るわね〉


 トゥウェースが、テールの右手のあたりを見ている。

 テールのその手にあるのは、シミのついた包帯だ。


 いつの間にまきとったのか、ふたつの円筒状にまとめられている。


 テールは、いそいそと、包帯それを自身の腰の小物入れにしまいこんだ。


〈どうして、しまうのよ〉


 トゥウェースの頬が、ぷくっとふくらむ。


〈あまり、汚れをよせつけない生地に見えるのに、汚れているわよね?

 帯にしては、ひょろひょろで、おかしな形だし…。それについているの、獣の体液じゃないの?〉


 軽蔑的な意思はまったく感じなかったが、大陽は〝獣の体液〟という発言に、カチンときた。


〈絞めて、ふたりで食べてるの?

 隠さなくても…。ちゃんと持ち主に話つけているのなら、かまわないわよ?〉


「ケモノで悪かったな。君らは、血も流さないのか?」


〈わたし、光輪じゃないもの。血液なんて、持っていないわ〉


 なされた言葉の意味をうたがって、一瞬、考えた大陽が、発言した相手を、まじまじと眺めた。


〈なによ。どうかした?〉


「血が、流れていないって?」


〈そうよ。陽の宮だもの…。そう見えない?〉


「…。光輪は、血を流すのか?」


 たずね返した大陽の視線が、ちらと、テールへ流れる。

 いっぽう。

 トゥウェースが、理解できないものを前に、もてあましているような不満顔で応じる。


〈光輪は、動物的陽的な器(肉体)持ってるもの。

 でも、ケガしても日輪が治療してしまうから、あまり、たくさん(血を)流したりしないわね…。

 どうして、そんなこときくの?〉


「いや…、ほら、俺、よそ者だから、知らなくて…。…それだけ」


 大陽は、かるく手をふって、ごまかした。

 遠くまで広がって果てが読めない栽培池に視点をなげたところで、おもむろに口を開く。


「トゥウェース。星の子が、どこからくるのか…。君は知っているか?」


〈どこからって……。

 星の子は、そのへんに転がってる要素モトが集まって、自然に発生するわ〉


「…。じゃあ、完成した星の子が、どこに行くかは?」


〈星の子って、完成するものなの?〉


 トゥウェースが、きょとんと赤茶色の瞳をしばたいた。


〈まぁ、くずれさえしなければ落ちつくものらしいけど…。《老》のことを言っているの?

 そういえば、あれって、きちんとしてくると、いつの間にか、いなくなっちゃうって、いうよね。どこか行ってるの?〉


 大陽が、うー…ん、と。うなった。



(それも、ここの常識とかじゃないのか…?

 これじゃ、どこまで口に出していいのかわからないし、なにを信じていいのかも、わからなくなってきたぞ…。でも…)



 テールに虚構をふきこまれていると思いたくなかった大陽は、立っているふたりを比較するように見て、トゥウェースに目をとめた。


「もしかして、勉強さぼったくち?」


 トゥウェースが、むっと、睨みかえしてくる。


〈陽の宮はね、いるだけでいいのよ!〉


「ぬけだして来てるじゃん…」


〈いまは、いーの! いたっていなくたって…。センシュウからもれ届く光だけでも、じゅうぶん、間にあうんだもの!

 こんなチャンス、もうないかもしれない。じっとしているなんて、馬鹿よ。

 じっとなんて、していられないわ!〉


 一方がわめきちらしているのをよそに、連れとなった二名の認識の相違を意識した大陽は、迷いをおぼえていた。


 状況を把握するには、情報がいる。

 虚構などではなく、たしかなもの。

 真実が。


 それを、どこから手に入れるべきか…。

 難しい顔をしている大陽を視界に見ていたテールが、感銘を受けたようすもなく口頭をきった。


「周囲八国の太陽と違い、センシュウの陽の光は、どこの国の光輪にも有功に働く。

 太陽に脱走されたサウシュラの月輪は、いまごろ、より能率的に活力を受けられる国境ふきんに集まって、その恵みを自国に向けて、せっせと反射していることだろう」


 あえて伝わるよう話したのか、うっかりそうしてしまったのか不明だが、その発言はトゥウェースにも理解できたようだった。


〈あなた、星の子のくせに、どうしてそんなことを言うのよ。

 もしかして(ぜんぜんそんな気がしないけど)、うちの者?〉


「陽が留守にしている邦土は、南だけではない」


〈そうだけど…。ほんと、変わってる…。光輪なら、まだしも…。

 星の子の学者は、そのへんの草とか木とか、自分の身のまわりばかり気にするものじゃない。

 日月ひづきの助手に入る子だって、そこまでではないわ。

 陽や光輪のすることに目を向けるなんて、わたしが知るかぎり、あなたがはじめてよ?

 そうするよう誰かに言われでもしているの?〉


 成された問いをテールが無視したので、二者の論争はそこで途切れた。


 水の流れに視点をおとしていた大陽は、怠けたがる体を意識して、そっと、吐息をつく。



(ともかく…。また、くたびれるまでは、進まないと…)



 行動すれば、きっと、なにかしらの情報がころがりこんでくるだろうと、自分を鼓舞して、水の中から両脚をひっぱりあげる。

 そんな彼の鼻先に、ループ織りのタオルが差しだされた。


 タオルを持っている手は、ほかでもない。テールのものだ。



(ほんと、気の利くやつだな…)



 必要を知るまで、少しかかるが、そうと理解すれば、あたりまえのように行動するようになる。


 なぜ、親切にしてくれるのかは謎だが…。

 大陽は、ほんの少しだけ、わかった気がした。


 おそらく、あわれまれているのでもない。

 センシュウの日輪だという男。

 ねぎらいの言葉を口にすれば、できることをしているだけだ……と答える。


 トゥウェースは、日輪が治療者でもあるようなことを言った。

 以前、星の子の話をしていて、〝処置するのは日輪だ〟という言葉を聞いた憶えもある。

 多少、へそ曲がりだろうと、何かに尽くすのが日輪の本質のようだ。


 その大元となる力…。

 陽のエネルギー(明確には月を通した二次的なエネルギー)が大陽に働かないので、持てあましつつも、あれこれ、世話をやいているのだろう。


 水分を拭きとり、足の裏の状態を確認する。

 そうして、大陽が患部にあてた布を包帯で固定しようとしていると、トゥウェースが、〈ヒャッ…〉とかいう、息を吸いこむような声をあげた。


〈ど、どうしたのっ? その足っ………わ、わかった! おかしなもの食べて、安定が悪くなっちゃったのね?〉


 大陽は、しばし、自分の足を見つめた。

 眺めていてもしょうがないので、作業を再開する。


 初めの頃は、きつく巻きすぎて鬱血したり、ちょうど傷があるあたりが圧迫されて悩まされたり、ゆるすぎて用をなさなかったりと。時間をとられて散々だったが、自己流ながら、かなり手際よく処置できるようになった。


「俺は、星の子じゃないから。これくらいで、死んだりしない」


 大陽のすることを、おっかなびっくり、うかがい見ていたトゥウェースは、ちら、と。テールの腰にある小物いれを見た。

 そこにしまわれたものの正体に気づいたのかも知れない。


〈フィンと、おなじようなことを言うのね…。血を流すの?〉


 大陽は黙ったまま作業を進めたが、トゥウェースは、独自に考え、結論をだした。


〈わかった! あなた、光輪なのね?

 血を流す人間は、月か日……光輪以外にありえないもの!

 輝く力をなくして、途方にくれているのでしょう?〉


 大陽は、見るともなく、彼女の方を意識した。


「そういうゆうことって、よくあるのか?」


〈さぁ…。知らないわ。聞いたことないけど、世の中が、こんなに単調なはずは、ないもの!

 いろいろ起こってくれなきゃ、つまらないわ〉



(つまらないから、こうだっていうレベルか……。

 どいつもこいつも、他人事だよな)



 大陽は、むっとしながら、両足の処置をすませた。


 そうしていて、そばに足首丈の黒っぽい履物があることに気づく。

 いつからそこにあったのか…。

 何度かテールに勧められたおぼえのある、銀色の金具つきのショートブーツだ。


 例によって、微光をおびている。


 テールの荷物は、けっして多くない。

 ベルトに固定されたポケット調のウエストポーチと、厚みのないショルダーだけだ。


 身軽なので、道中、疲労困憊する大陽の荷物(いざという時のための寝具はもとより。主に着替えや食料の類を積みこんだ二輪のリヤカー)を片手間に運んでくれたりする。


 それを、どこからとりだしたのか、疑問をおぼえたが、

 大陽の荷リヤカーに忍ばせていたとしても、全然かまわない種類の品なので、追求する手間の方をはぶく。


 大陽は、これ見よがしに置かれていた履き物を手にして、つまさきを入れてみた。



(…思ったほど痛くない…)



 水につけていたから、少し、感覚が麻痺していたのだろう――大陽は推測した。

 ジンとこないこともなかったが、サイズに問題はなさそうだ。

 足首までカバーする形状で、少し履きづらかったので、留め金を一時的にはずして挑んでみる。


 ちょうどいい感じにフィットした。


 見た目ほど硬い材質でもない。

 大陽が触れ、装着する行程にしたがい、その靴が帯びていたわずかな光が消失してゆく。



(きっと、立てば、このかぎりじゃない…)



 べつに不幸を望んでいるわけではないが、ナーバスな時の大陽は、かなり疑いぶかかった。


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