第41話 来たれ、銀の魔導弓アルギュロス

愛し子 ラスカリス・アリアトラシュの物語


 黒いマスクで顔を隠した暗殺者の表情が歪むのが見えた。

男が短い呪いの言葉を吐き捨てるのが聞こえた。

 そのまま、黒い夜の装束に身を包んだ男は、空中に身を躍らせた。

まるで、体重を感じさせない力強く、しなやかな動きであった。

「アスベル!!」

「姉さんっ!!」

 ジークベルトとマリベルが、暗殺者の矢を受けたアスベルの身体を抱き起す。

その胸には、真っ黒な霧のような魔力が渦巻いている。

「呪紋だわ…」

 アデリッサが、短い息を吐き出すように言った。

「呪紋…?」

 ヴァヌヌが、その意味を尋ねた。

「呪紋というのは…」

 その時、ラスカリス・アリアトラシュが男の影を目で追いながら叫んだ。

「あの男を逃すなッ!! この私に対する暗殺未遂事件、アインホルン侯爵家への襲撃事件、グアルネッリ家への誘拐未遂事件、エルデリッター襲撃など、一連の出来事に関係している連中の手の者に違いないッ!!」

 ラスカリス・アリアトラシュの言葉にいち早く反応したのは、マリベル・バウムガルトナーだった。

 マリベルは、自分の命が暗殺者に狙われたこと、大好きな姉のアスベルが自分を庇って、暗殺者の矢を己の胸に受けたこと、その衝撃が十五歳の少女の身体を硬直させていたが、ラスカリスの言葉は、マリベルを直ちに現実に引き戻した。

 マリベルは己の胸の内に、猛烈な瞋恚いかりが湧き上がるのを感じた。

雄渾の女神ネグベドから、銀の魔導弓アルギュロスを伝授されたマリベル。

 その左の目には、ネグベドの眷属である霊獣パトラ・パトラを宿していることを示す青玉サファイアのような蒼い輝が宿っている。

「銀の魔導弓アルギュロスよ、我が手に来たれ」

 マリベルの口から、魔法使いが呪文を唱える如く、魔導弓を顕現させるための

鍵言が紡ぎ出された。

 マリベルの左の手首に嵌められた銀色のブレスレットが、青い輝きを発する。

その光に包まれて、銀のブレスレットが大振りの弓へ形を変えた。

 マリベルの身長をはるかに超える長大な弓であった。

これが、四基の「魔神器」のひとつ、銀の魔導弓アルギュロスなのだった。

 クリューソスは全体が滑らかな曲線を描いているが、弓の上部が緩やかなカーブを描き、下部はほとんど直線という、いびつな形状を呈している。

通常の弓は、射手が弓の中心部を把持して、矢を放つものであるから、中心を挟んで、弓の上下が対称の形をしているのが普通である。

 しかし、銀の魔導弓アルギュロスは、弓の七割を占める上の部分が自然なカーブを描いて湾曲し、下の三割の部分は、ほぼ真っ直ぐな形をしている。

 これが、三百年前、遺跡発掘者エクスカベーターたちの手によって、公都ヴァイスベルゲンの地下に広がる廃ダンジョンから発掘されて以来、数え切れぬほどの人間の命を奪ってきた「魔神器」、銀の魔導弓アルギュロスの真の姿なのであった。

 マリベルは、暗殺者の動きを目で追った。

正確に言えば、闇の衣をまとう男の動作を負っていたのは、マリベルの左の目に宿る霊獣パトラ・パトラであった。

 パトラ・パトラは、一瞬で射手であるマリベルと対象である暗殺者の相対的な距離を把握した。

 それだけではない。

霊獣パトラ・パトラは、その男の魔法属性が「風」である事を直ちに見抜いて、「風」属性に最も効果的な「地」属性の魔法を選んで、魔力の矢を形成した。

 同時に、どれほどの魔力を込めれば、対象を仕留めることが出来るかを計算して、ぎりぎりで暗殺者の命を奪うことが出来る量の魔力を魔法の矢に込めた。

「よくも、姉さんを…」

 霊獣パトラ・パトラを宿し、蒼く燃えるように輝くマリベルの左目が、暗殺者の影を追う。

 銀の魔導弓アルギュロスは、その射手であるマリベル・バウムガルトナーによって、弓の中心からかなり下の部分で把持されている。

 マリベルが、矢を放った。

青く光る魔力の矢が、暗殺者に向かって飛ぶ。

 黒ずくめの暗殺者は、バウムガルトナー家の外壁から跳躍して、外へ身を投げた。

その行為によって、その男は銀の魔導弓アルギュロスの射線から逃れることが出来るはずであった。

 実際、直進する事しかできない普通の矢ならば、そのまま狙いを外していただろう。

 しかし、マリベルの左目に宿る霊獣パトラ・パトラは、男の動きを察して、魔法の矢の弾道を変化させた。

 暗殺者に向かって真っすぐに飛んだ魔力の矢は、目標である男の動きに従って軌道を変え、鋭い曲線を描きながら、男に向かって殺到し、空中でその胸を射抜いた。

 黒ずくめの男が、カッと眼を見開いた。

「ば、馬鹿な… 確かに、狙いを外したはず…」

 暗殺者は、命なき人形の様にバウムガルトナー家の外壁の外へ落ちた。

矢が命中する瞬間は、射手であるマリベルからも見えないはずであった。

 これが、「強いのはアルギュロス」と謳われる銀の魔導弓の威力であった。

銀の魔導弓アルギュロスから、「地」属性の魔法の矢を放った後、マリベルは魂が抜けたような表情となって、ぺたんと地面に腰を落とした。

 マリベルが気力と闘志を喪失するのに合わせるように、彼女の手から、銀の魔導弓アルギュロスが魔法のように消滅した。

「家令殿、アスベルを中へっ」

「は、はい」

 ラスカリスの言葉に初老の家令が反応した。

アデリッサが、家令に手を貸して、アスベルの身体を両側から支える。

「失礼します、お嬢様」

 家令がそう言って、アスベルの身体を抱え上げた。

「あいつの身柄を確保するぞっ」

 ジークベルトがそう叫んで駆け出す。

ザザ・グアルネッリとヴァヌヌ、二人の少年がジークベルトに続く。

 三人の級友の背中を目で追って、ラスカリス・アリアトラシュが腰を抜かしたまま、地面にへたり込んでいるマリベルに声をかけた。

「マリベル、大丈夫か」

「ラ、ラスカリス」

 ラスカリスは、十五歳の少女が大きな衝撃を受けて、放心状態になっているのを確認した。

 無理もない。

マリベル・バウムガルトナーは、今、暗殺者によって殺されかけた、そして、大好きな姉が凶漢の矢を受けて負傷した、さらには怒りに任せて「魔神器」、銀の魔導弓アルギュロスを起動させ、暗殺者を射撃した。

 恐らくは、銀の魔導弓アルギュロスの魔法の矢を受けて、あの黒ずくめの男は命を落としただろう。

 マリベルは生れて初めて、人を殺したのだ。

自分の命を狙われた、大事な姉が身代わりとなって、暗殺者の矢を受けた、そして、自分は生れて初めて、人間を殺してしまった…

 それが、十五歳の乙女の心を打ちのめしていた。

「しっかりするんだ、マリベル」

「ラ、ラスカリス…」

 ラスカリスは、マリベルの震える上半身を優しく抱擁した。

「今は何も考えるな、マリベル。ただでさえ、君は三日間、何も食べておらず、睡眠もとっていないのだからな。マリベル、君は一人じゃない。君には僕たちが付いている。だから、大丈夫だ」

「ラスカリス、姉さんが私の身代わりに… わ、私、人を殺しちゃった…」

 ラスカリス・アリアトラシュは、少女の身体を抱き締める腕に力を込めた。

「良いんだ、マリベル。今は何も考えなくていい。みんな、君のそばにいるから」

 マリベルは、ラスカリスの首に手を回し、薄桃色の唇をそっとラスカリスのそれに押し当てた。

「マリベル…?」

 マリベルは自らの行為に驚いたかのように、ラスカリスから顔を遠ざけた。

「ご、ごめんなさい、こんな時に… でも、私、ずっとあなたのことが…」

「マリベル…」

 ラスカリスはマリベルの細い肩に手を置いて、優しく笑いかけた。

「色々なことがありすぎて、君は今、心が弱っているのだ。さあ、一緒に屋敷の中へ戻ろう。さすがにこのままじゃ、君まで倒れてしまう。後のことは、それから一緒に考えようじゃないか。いいね?」

「は、はい」

 ラスカリスは、マリベルの身体を両手で抱え上げた。

マリベルは、少女のように端正な顔立ちをしている同い年の少年の意外な膂力に新鮮な驚きを覚えていた。

 ラスカリスに軽々と空中に抱え上げられ、マリベルは、幼い頃、父親であるグイン・バウムガルトナー伯爵に抱っこされていた時のような安らぎを感じた。

 マリベルはそのまま、眠りに落ちてしまった。

その痩せこけた頬に涙の跡が残っている。

 ラスカリスは、マリベルの口付けの熱さの名残りを唇に感じた。


何て一日だ…


 今日、私はマリベルに愛を告白し…


アスベルは、私のことばを受け入れてくれた…


 そして、今、妹のマリベルから愛の告白を受けた…


ラスカリス・アリアトラシュはこの日、ヴァルデス公国にあっても、まさに特別な美少女二人の愛を獲得したのだった。

 彼女たちの気持ちが、嬉しくない訳はない。

だが、それを誇る気は、さらさらなかった。

 アスベルとマリベル、二人の少女たちの告白にどう、応えたらいいのか…

 ラスカリス自身もまた、若干、十五歳の多感な少年であることは間違いのない事だった。


 マリベルが再び、目覚めた時、彼女は自分を覗き込む友人たちの顔を認めて、弱々しく笑った。

 マリベルは、頭上に広がるのが、見慣れた自室の天井であることを認めた。

ラスカリスが彼女を寝室まで運び、ベッドに寝かせてくれたのだ。

 それを想像すると、マリベルの顔が恥ずかしさで赤く染まった。

ラスカリス・アリアトラシュが莞爾とマリベルに笑いかけた。

「目が覚めたんだね、マリベル。何か、温かいものでも飲むかい」

 ラスカリスの言葉に、マリベルは小さく頭を振った。

「姉さんは…?」

 ジークベルトが答えた。

「アスベルの寝室で、アデリッサが付いてくれている。アスベルが受けたのは、魔法の矢で、アスベルの胸には、『呪紋』が刻まれている。直接、この目で見た訳ではないよ。僕たち、男性がアスベルの… その… 胸を…」

 マリベルは、小さく唇を歪めて微笑した。

「男の子が、女の子の胸を覗き込む訳にはいかないわよね…」

 マリベルの顔にわずかに生気が戻っている。

少しばかりであっても、睡眠をとったからであろう。

「マリベル、よく聞いてくれ。君が銀の魔導弓アルギュロスで射撃したあの黒ずくめの男だが、残念ながら死んでしまったよ」

 マリベルが息を飲む。

「心配するな、君が殺した訳ではない。僕たちがあの男の身柄を確保する寸前、あいつは隠し持っていた毒物を飲み干してしまったんだ」

「まあ」

「恐らく、尋問を受けて背後関係を吐かされてしまうのを恐れたのだろう。暗殺者としても、本物のプロだってことだな。だから、余計なことは考えないで、マリベル。あの男は自決したのだ。君が殺害したわけではないからね」

「う、うん…」

 マリベルのベッドを囲む級友たちは、彼女の顔に安どの色が浮かぶのを確認した。

ラスカリスが、羊のような穏やかな表情でマリベルに笑いかけた。

「さあ、もう少し、眠るといい。君は三日間、一睡もしていないのだから。アスベルの事は、今は心配しなくていい。彼女のことは、アデリッサが… 魔導の専門家であるレオンハルト家の令嬢が看てくれているからね」

 そう言って、ラスカリスはマリベルの顎の下のあたりまで毛布をたくし上げた。

「ラスカリス…」

「何だい、マリベル」

「…ありがとう」

 マリベルは自分で毛布をつかんで、それで顔を覆った。

ラスカリスばかりでなく、思春期の少年たちは、マリベルの仕草に心を搔きむしられるような愛おしさを感じた。

 ラスカリス・アリアトラシュ、ジークベルト・フォン・アインホルン、ザザ・グアルネッリ、そしてヴァヌヌは、マリベル・バウムガルトナーの寝室を離れた。

「すまない、ジーク」

 ラスカリスが、ジークベルトに頭を下げた。

「何がです、ラスカリス」

「あの暗殺者は、自決したわけではあるまい。どう見ても、毒を呷るような余裕はなかったはずだ。あの男は、マリベルの矢を受けて絶命したのだろう? 君は、マリベルに余計な心の負担をかけないように、あの男が毒薬を服用して自決したと、彼女に噓をついてくれたのだ。彼女に代わって礼を言う」

 ジークベルトは、忸怩という表情を作った。

「おっしゃる通りなのですが、発案者は僕ではありません。ヴァヌヌなんですよ」

「ヴァヌヌが」

「ヴァヌヌが、マリベルが人を殺してしまったという罪悪感に苛まされることがないように、あの男が毒を飲んで自決したという事にしようと提言してくれたのです。彼は、本当によく気が付いてくれます」

「そうだったのか… ありがとう、ヴァヌヌ」

 ヴァルデス公国の第三公子、ラスカリス・アリアトラシュ・ヴァルデスは、平民の友人ヴァヌヌに頭を下げた。

 ヴァヌヌは、本気で恐縮した。

「お役に立てたようで、何よりです」

 ジークベルトが、ラスカリスの顔を真剣な表情で見詰めた。

「諸々、考慮し、吟味し、あれこれと思案を巡らせ、状況を分析し、最終的に最も適切と思える結果を導き出せるよう、判断をしなければならない局面です、ラスカリス・アリアトラシュ殿下」

 ジークベルトは、態々わざわざ、気の置けない友人であるラスカリスの事を敬称をつけて呼んだ。

 それは、これから話す内容が友人同士の問題ではなく、ヴァルデス公国の継承権を持つ公子と、国家の重鎮たる宰相の地位を預かるアインホルン侯爵家の嫡子との国家レベルの対話であることを意味していた。

「提言があるなら、喜んで聞かせていただこう、ジークベルト・フォン・アインホルン」

 ジークベルトの暗黒の意思をラスカリスは明敏に察知したようだった。

「今回、マリベルが暗殺者に狙われたのは、彼女が雄渾の女神ネグベド様から、銀の魔導弓アルギュロスを授かったからです。我々の敵は、マリベルを亡き者にすることによって。銀の魔導弓アルギュロスを使えないようにするのを目的とした行動である事には違いがありません」

 ラスカリスばかりでなく、ザザもヴァヌヌもこっくりとうなずいた。

「あの暗殺者は、我がアインホルン侯爵家に侵入し、僕と姉のメーアを狙ったエドラー・ヴォルフを殺害しようとした男と同一人物です。つまり、暗殺命令の出どころは一緒だという事です」

「そいつが全ての黒幕だね」

 ザザが自らを納得させるように言った。

ジークベルトは頷いた。

「僕はずっと、陰謀の主は、エフゲニア帝国か、沙馮シャフーだと思っていました。しかし、最近、考えが変わりました」

「というと」

「わがヴァルデス公国の内部に、エフゲニア帝国、沙馮シャフーの双方に内通し、南北の大国の力を借りながら、ヴァルデス公国を転覆させようと計画している者がいます。それが、あの暗殺者を操っている真の黒幕です」

 ラスカリスは、自室でエフゲニア人に変装した、沙馮シャフー・ザッタギア族の少女、ガザーラ・アフメドの言葉を思い出した。

 ガザーラは、自ら毒を仰ぎ、死の寸前に呪いの言葉を残した。


「今、ヴァルデス公国に差し掛かっている巨大な影は… あなた方が想像しているより、ずっと深く、ずっと静かに、この国に浸透している… 公国はもう、終わりよ… あなた方では、どうする事も出来やしない… さっさと逃げ出す算段でもする事ね…」


 ジークベルト自身も、アインホルン侯爵家で、エドラー・ヴォルフ・フォン・ゼークトの襲撃を受けた際、エドラー・ヴォルフが勝ち誇りながら吐き出した言葉を思い出していた。


「…この国は、もう終わりだ。ヴァルデス公国を覆い尽くす闇は、お前らが想像しているより遥かに深く、静かにこの地に根を下している。これからすべてがひっくり返るだろう。もう、大公家も大貴族も騎士も平民も関係ない。この国の人間は、ことごとく地獄に落ちる羽目になるだろうよ。お前らはみんな、負け犬だ」


 ジークベルトは、強く唇を噛み締めた。

「ヴァルデス公国を滅亡させようとしている勢力は、もう、手段を択ばなくなってきています。ラスカリス・アリアトラシュ殿下、あなたを毒殺しようと図ったこと。エドラー・ヴォルフが我が姉メーアを手籠めにしようとしたこと。ザザと彼の義姉アリーチェ殿が誘拐されそうになったこと。『魔神器』のひとつ、『月影ムーンシェイド』の所有者で、アデリッサの父上であるガレオン・ド・レオンハルト伯爵率いるエルデリッターが謎の武装勢力から襲撃を受けたこと。そして、今回、同じく『魔神器』のひとつ、銀の魔導弓アルギュロスの射手、マリベル・バウムガルトナーを暗殺しようとしたこと… これら、一連の事件は、ヴァルデス公国の要人、及び、『魔神器』を操る術者を殺害して、公国の力を根こそぎ奪い去る狙いがある事は間違いありません」

 ザザがうなずいた。

「僕もジークの考えに賛同する。僕とアリーチェ義姉ねえ様をかどわかそうとしたのは、僕たち二人を人質にとって、兄のギデオン・グアルネッリ伯爵の動きを掣肘するためだろうしね…」

 ジークベルトは、ラスカリスを真正面から見詰めながら言った。

「この数か月、ヴァルデス公国の要人たちが見舞われた事件を世間に公開する時が来たと思います」

「公開?」

「はい。ヴァルデス公国の十万の公民たちに、この国は今、非常事態にあることを自覚してもらう段階に入ったと思います」

 ラスカリスは、俯きながら沈思した。

「そうだな…」

 ジークベルトは、身を乗り出してラスカリスに訴えた。

「ラスカリス・アリアトラシュ殿下、私の提言を聞いていただけますか」

 ラスカリスは、くすっと笑った。

「さっきから聞いているよ、ジーク」

「ありがとう。ヴァルデス公国公民全てに、これまで発生したすべての事件の顛末を明らかにして、強い危機意識を持ってもらう必要があると思います。それから、これは僕の個人的なアイディアなのですが… 今回、暗殺者が狙ったのは、ラスカリス・アリアトラシュ殿下、あなただという事にした方がいいと思うのです」

 ラスカリスは、ジークベルトの言葉の意味を図りかねて、首を傾げた。

「マリベルではなく、この私が狙撃されたと、そういう事にした方が良いと君はいうのかい」

「そうです。暗殺者は悪質な魔力を籠めた魔法の矢で、ラスカリス・アリアトラシュ殿下を狙った… そして、偶々たまたま、同じ場所にいたバウムガルトナー家の娘、アスベル・バウムガルトナーが殿下を庇って魔法の矢を胸に受けた… アスベルは殿下の身代わりになった…」

 ヴァヌヌが手を打った。

「そうか。ラスカリス・アリアトラシュ殿下がすんでのところで、殺害されてしまいそうな状況で、アスベル様がラスカリス殿下を庇って自分で矢を受けたことにするのですね。アスベル様の自己犠牲のお蔭で、ラスカリス・アリアトラシュ殿下はお命を落とさずに済んだのだと」

 ジークベルトは、首肯した。

ザザ・グアルネッリもまた、興奮を抑えきれない様子で言った。

「凄い名案だと思う。アスベルは、繊麗の女神アルシノエ様から金の魔導弓クリューソスを授けていただけなかった。このままでは、彼女は面目が立たなくてアカデミーにも通学できなくなるだろう。どのような公式の場にも出席できなくなるかもしれない。でも、自分の身を捨ててまで、ラスカリス・アリアトラシュ殿下のお命を救ったという事にすれば、その勇気は国中で称えられる。『魔神器』を得られなかったことで、彼女を白い目で見る者など、いなくなるだろう。うん、素晴らしいアイディアだよ、ジーク」

 ヴァヌヌも目を輝かせた。

「さすがです、ジークベルト様。こんな状況で、冷静にそこまで考えておられたなんて… ただ、敬服するしかありません」

 ジークベルトは、自嘲的に笑った。

「みんながアスベルやマリベルの事を心配している時に、僕だけこんなことを考えているのだから、我ながら忸怩たる思いがあるのだがね…」

 ラスカリス・アリアトラシュが、ジークベルトの肩に手を置いた。

「君のようなやつの事を『畏友』と呼ぶのだろう。私は君のことを心から崇拝する。君が友人でいてくれて、本当によかったと思っているよ」

「殿下…」


 この日、後の「三年戦争」を戦い抜く英雄たちが語らったことは、数日を経ずして実現する。

 ヴァルデス公国の十万人の公民たちは、彼らの指導者たちが連続して暗殺の危機に晒され、かろうじて虎口を脱してきたのだという事実を公報で知ることになった。

 ヴァルデス公国公民たちは、否応もなく、自分たちが建国以来、最大の危機に見舞われていること、そして自分たちがそれに対する当事者意識を持つことを求められている冷厳たる事実を思い知らされることになった。





 


 

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