第二話「ネームバリューと再現性に相関関係無し その1」
清川締時は夢を見た。
見知らぬ患者に薬を渡す直前であった。
「早くして。忙しいのよ。」
患者は50代女性、自重を長時間支えられないほど太っていて自分の足で歩けず、電動車椅子を使用している。処方せんに記載された保険の情報から、彼女は生活保護受給者だ。
生活保護を受給していて「忙しい」とはどういう事だろう。就労しているのか?まぁ勿論、申告さえしていれば、収入を得ていても問題は無いわけだが。
「勿論、今回も普通の薬が出てるわよね。前は勝手に変えられたのよ。」
夢の中でなくとも、服薬指導の現場に立つ薬剤師であれば「普通の薬」が「ジェネリックでない医薬品、つまり先発医薬品」を意図している事はすぐにわかる。
「すいません、2018年10月から、生活保護受給者の方には原則としてジェネリック医薬品で調剤する事になっているんです。」
この説明も、薬剤師であれば幾度となく繰り返したものである。
「そんなの差別よ。偽物飲んで効かなかったらあなた、どう責任取ってくれるの?」
ツッコミどころは三点ある。
まず、ジェネリック医薬品と先発医薬品の主成分及びその含有量は同一である。
化学の世界において、同じ成分を同じ人間が同じ量摂取したら、必ず同じ反応が得られる。これを「再現性」という。そこに「何処の会社の製品であるか」は関係無い。つまり同成分を同量含むという文言が嘘でない限り「偽物」ではない。ジェネリック医薬品も先発医薬品も、どちらも「普通の薬」なのだ。
次に、もしも仮に効果が得られ無かった場合は、先に挙げた「同成分を同量含む」がメーカーによる虚偽申告であるか、10万件に1件以下で発生する「主成分以外の添加物によるアレルギー等の反応」というレアケースである。いずれにせよ、その責任はその薬を製造したメーカーにある。中学生の「現代社会」の教科書にも載っているが、これを「製造物責任法(PL法)」という。つまり後発品の服用で効果が得られなかったとしても、その薬を渡した薬剤師には、何の責任も無い。
最後に、真面目に医薬品製造に携わるジェネリック医薬品の製造メーカーが、一生懸命生産した医薬品を「偽物」と侮辱する権利は、誰にも無い。ましてや納税もせずに国庫からの支出で薬を受け取っておいてその言葉を吐くのは、人間としてあまりに大きなものを欠如している。
目の前のPCで服薬指導歴を確認すると、案の定メーカー選定においてトラブルがあった旨の引き継ぎが書き込まれていた。
調剤した者はこの引き継ぎを見たのだろう。手元には既に、値段の高い先発医薬品が取り揃えてある。本来ならルール違反だが、トラブル回避の為に黙殺したのだ。保険が有効でなければ2万円を優に超える内容だが、彼女はこれを無料で手にする。
悔しくて悔しくて、何より、こんな事に加担している自分への怒りで涙が出そうになるが、それを堪えて平静に「申し訳ありません、いつも通りの内容で用意してあります。」と言って頭を下げる。ただ満足しただけなのだろうが、患者の勝ち誇った様な顔に胃がキリキリと音を立て、耳の奥で血液が逆流するようなゴウゴウという音がする。
「ふん」と鼻を鳴らして奪い取るように薬を掴んで帰ろうとする患者の後ろ頭を、先程までは無かったのに何故か手に持っているバットで殴りつける。
凄惨な死体を残す事なく患者が視界から消え、その虚空を見つめて
「簡単な事だったな」
と呟いたところで、目が覚めた。
「おいシメジ、起きろ。」
タケは、指示された時間きっかりにシメジを起こした。
終着駅でも乗り換え駅でもない中途半端な駅だったが、何故か降りて直ぐにビジネスホテルが建っている。シメジはそこのツインを1室予約して、部屋に着くなり「寝る、流石に限界だわ」と言ってすぐに眠ってしまったのだ。
「なぁ、ここって朝食付きか。」
「いや、生憎だけど素泊まりだよ。時間も時間だしね。」
時刻は午前5時、朝の早いビジネスホテルであっても、朝食のバイキングは開始前だ。
「まぁ、しゃあねぇか。にしてもこんなとこよく知ってんな。平日とはいえ当日のあの時間で一発で予約取るなんてよ。」
「薬剤師の国家試験ってさ、会場が何ヶ所かしかなくて、そこに全国から人が集結するんだけど、遠方からの受験者は前の日からホテル取るんだよ。移動に使う体力の温存やギリギリまで追い込みする事を考えて、ホテルは会場に近いところから順に奪い合いで埋まってくし、値段も高くなる。」
「おう、そうだな、それで?」
「俺は当時、風邪をひかずに遅刻さえ回避すれば合格出来る成績だったからな、たった1駅ズレてそれで乗り換えの回数が1回増えても、安くて穴場の宿が押さえられれば良かったのさ。」
「なるほど、それがここか。」
「そう、思い出の宿だよ、こんな不便な立地のところ、もう来る事も無いと思ったのに、まさかその不便さを逆手にとるかたちでもう一度使う事になるとはね。」
「その逆手、カシラに読まれないか?」
「まぁ、今朝まで無事だったし、大丈夫でしょ。」
シメジの言にタケは肩をすくめた。
そんな会話をしながらも、2人は身支度を整えていく。昨夜の顛末を考えると、幾らかの無精も許されようが、シメジは律儀に髭を剃り、タケもそれに倣う。
「几帳面だな、習慣ってやつか?」
「まぁね。タケちゃんこそ、髭なんて気にしないかと思ったよ。」
「ムショ暮らしするとよ、毎日髭が剃れるのも贅沢なんだって気付かされんだよ。」
「なるほどね。じゃあ、贅沢に朝マックか牛丼と洒落込もう。出所祝いにオゴっちゃうよ?」
「あれ?そんなの近くにあったか?」
「当然、乗り換え駅で一回降りる。」
「不便だな畜生、生卵2個付けてやる。」
「どんとこい。」
地方都市とはいえ、乗り換え駅周辺には早朝からも営業している飲食チェーンがいくつかはあるものだ。
2010年前後から始まった朝活ブーム以降、 大手牛丼屋チェーンは牛丼以外に朝の定食メニューを提供するようになったが、その初期から、彼らが朝に牛丼屋を使う時は、2人共その他のメニューを無視して牛丼を頼むのがルーティーンだった。
シメジは具材のみ大盛りで白米の量は普通。タケは特盛を半分普通に平らげたあと、残りに卵を落として掻き込むと、もう1杯特盛を頼み、紅生姜等の無料の薬味を使って半分、更にそこにもう1つの卵を落として半分。
「はいはい、分かってる分かってる、言われなくても1杯だけとは思ってないし文句も無いから味わって食べなよ。」
牛丼で口を一杯にしながら何か言おうとするタケを、シメジがそう言って遮る。
心底空腹だったのか、それとも懐かしいやり取りにサウダージでも感じたのか、ほんの少しだけタケが涙ぐんでいた事をシメジは見逃さなかった。
しかしてシメジは、それについて何か言う余裕も、言葉も持ち合わせていなかったのだが。
腹ごしらえが済めば在来線を乗り継いで数時間、通勤ラッシュが始まる頃も、座ってしまえば他にやる事も無く、お互いの知らない話をする。
殺猫事件の幕を引いたタケは、黒幕からの最後の報復を一手に引き受ける形で高校卒業を3ヶ月前にして逮捕を受けての高校中退、少年院で知り合った「自称:敏腕マネージャー」のツテで、関東最大級の地下格闘技場「ぱんくらちおん」にてメキメキとその頭角を表していく武勇伝や「財布を拾って金を抜かずに返して来た中国娘に、お礼に何でも言うことをきくと言ったら中国マフィアを壊滅しろと言われた話」というライトノベルのような派手な話とその結果獲得した「トラガリ」の異名の顛末を話した。
一方、殺猫事件の最後を病院のベッドで人づてに聞くことになり、全てを飲み込んで罪人に堕ちた相棒から面会さえも拒否されたシメジは、その後の自分には何一つ面白い事が無かったという恨み節を語る。事件に追いつ追われつの高校生活から一転した、普通の進学、普通の就職の、何と色気の無い事か。しかして、その色気の無い人生こそがタケがシメジに望んだものである。
「そんなお前が何でスジモン共から狙われてる?」
「いや俺もまさかこんな事になるなんてね。」
シメジのその言い草にタケは憤る、というよりは拗ねたように口を尖らす。
「俺はさ、お前がゲキヤクでも、そうでなくても、お前の為に動くつもりで来たんだ、なのにお前は俺に何も教えてくれないのか?」
シメジはスマホでちらりと時間を確認し、目的地までの残り時間を逆算する。
「タケちゃんの武勇伝が面白過ぎて、退屈凌ぎをしなきゃいけいない時間はもうそんなに無いけど、じゃあ、俺の武勇伝も1つくらい披露しておこうか。」
シメジはニヤリと笑う。
「おう、是非とも聴かせてもらうぜ。」
タケは満足したように腕を組む。
「さて、何から話そうか。」
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